葛飾北斎

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葛飾北斎

 青い髪の美少年(ナポレオン)は、なおもボクに話しかけてきた。 『ボクは先天的にメラニン色素が作れなくて紫外線に当たると、ヤケドしたようにんだ』 「え……? それは」可哀想に。 『日焼けなんてだし、新型感染症も怖いからね。だから昼間は絶対に外へ出ることが出来ないんだよ』  美少年は少し照れくさそうに微笑んだ。 「あ、そうなのか……」  どうりで病的に肌が白いと思った。透き通るような白さだ。 『ほとんど肌は真っ白でね。髪も白いんで青く染めているんだ』  サラサラのブルーなヘアを手でかき上げた。 「はぁ、そうなんですか。大変ですね」  それにしても綺麗な美少年だ。一瞬、女の子かと思った。緊張してドキドキしてきそうだ。 『いいよ。写楽。もっとざっくばらん(フランク)で』 「ああァ、そうだね」緊張して上がってしまった。 『だからボクは生まれてからほとんど外へ出たことがなくて……、地下のシェルターで引きこもり(ヒッキー)状態なのさ』 「そりゃァ、マジで大変だ」  せっかく美少年なのに。彼のルックスなら女の子からモテモテだろう。 『だからリアルな友達は皆無なんだ』 「そうなんだ。じゃァ、ボクで良かったら友達になるけど?」 『そうだな。友達の候補のひとりにはしておいてやるよ』  「なんだよ。そりゃァ……」  ボッチな割りには上から目線だな。  ヤケにワガママで厄介な美少年だ。 『ところで……。東洲斎写楽の正体は、これまで何人も現われたけど未だに決定的なのはないね』 「うッ、ううゥン……、まァねェ」  ようやく本題だ。  『まァ……、ボクには写楽の謎も()けているけどね』 「ええェ……?」 『ナポレオンの辞書に不可能とから』 「はぁ……」  そりゃァ、スゴい自信だ。 『まァ、写楽はメジャーな絵師の中で唯一、春画を(のこ)していない絵師だからね』 「ううゥン……」確かにそうだ。  春画とはもちろんエロくて妖艶な浮世絵だ。  歌麿も北斎も名だたる浮世絵師は、みんな春画を遺している。 『普通、絵師は春画を描きたくて浮世絵師になるんだ。芸術とは人間の本質を描くこと。つまりエロスだからね。  描いた春画を高く売るために彼らは名前を有名にする必要があるんだ』 「そうだな……」そう言う考え方もできるだろう。  そう言った意味でも美人画で有名な歌麿などはトップクラスだろう。当然、春画を買うのは絵師の贔屓(ひいき)筋だ。歌麿等は当時でも高値で売り買いされたはずだ。 『だからボクが写楽の有力な容疑者のひとりだと(にら)んでいるのはなんだ』 「うん、ボクも北斎は怪しいと思っているよ」  これまでにも北斎が写楽だと推理している人はいる。  なにしろ葛飾北斎ほど魅力的な浮世絵師は他に類を見ない。やることなす事、尋常ではない。想定外なのだ。 『そう今さら説明する必要はないが、経歴も謎だらけの写楽とは違って、北斎は逸話もやたらに多い』 「まァ、みずから画狂老人と画名をつけたくらいだしね」 『ああァ、護国寺の境内で百二十畳の大達磨(おおだるま)を描いた大道芸(パフォーマンス)を披露したり、逆に小さな米粒に達磨を描いたりもした。  しかも極端に掃除嫌いで部屋が散らかるたびに引っ越しをし、なんと九十三回も引っ越したと言われてる。だから北斎隠密説とか言われてるけど、そんなのはご愛嬌(あいきょう)さ』 「うン、九十回のうち同じ町内の一丁目から二丁目へ引っ越したのもあるらしいからね」 『さらに人と会ってもろくに挨拶もしないし着るものには無頓着でボロボロの着物を着ていたとかね』 「まァ、芸術家には良くいるタイプだよ」 『だけどもし北斎が写楽なら、三大浮世絵師になっちゃうけどね』 「フフゥン……、まァそうだね」 『でも歌川広重(ひろしげ)、鳥居清長、鈴木春信も入れて六大浮世絵師って言う(くく)りもあるから』 「うん、さすがだね。よく知ってるね」  見た感じでは、この美少年もボクと同年代だろう。北斎、歌麿、写楽までは知っていても歌川(安藤)広重(ひろしげ)、鳥居清長、鈴木春信まで知っているのには恐れ入った。 『ボクが北斎の事を一番、怪しいと思うのは北斎がなんだ』 「なるほどねえェ……。北斎は画名をコロコロと変えていく事でも有名だからね」 『ああァ、なにしろ三十回以上改名したらしいから』 「うん、確かに……、浮世絵師にしても芸術家は後世に自分の名前を残そうとするのが普通だ。そのために一生懸命に描いている。  けれど北斎は有名になるとポンポンと名前前を弟子に売ってしまった。 『ああァ、なにしろ北斎は貧乏だったらしいからね。別にネットカジノで、有り金全部使ったわけじゃないけどさ』 「フフ、そりゃァそうだろう」  どっかの誤送金詐欺師とはワケが違う。丁半博打で財産を失くしたわけではない。 『北斎は人生のすべてを浮世絵など絵の創作にあてたんだ。   稼いだ金は全部、西洋から取り寄せた油絵の具に使ってしまったらしい。当時は西洋の絵の具は法外に高かったらしいからね』 「ただ北斎は、あまりって言う話しがあるから」  このことからと言う識者もいる。写楽イコール北斎説の反対論者が根拠としているだ。 『そうそう、確かに他の画名も含めて北斎としては役者絵を数えるほどしか残してない』 「まァね。北斎の作品総数は約三万点らしいけど、役者絵はほんの少しだけだ」 『ああァだからと言う論法だ。  だけど、それはと言うことにはならない』 「でも多くの評論家たちは北斎は役者絵に興味がなかったと。だから」 『違うね。もし北斎が写楽なら十ヶ月間に百四十二点も役者絵を描けば飽きるだろう。事実、写楽は後期になればなるほど情熱が薄れていっている。絵に活力(パワー)が無くなっていくんだ。  最初の大判絵の頃は生き生きと描いていたのに。徐々にやる気や情熱が無くなっていく。  写楽の代表的な絵はほとんど初期に描かれたものだ。後期の絵とは雲泥の差だよ。  写楽が役者絵に飽きた証拠だ。もう役者絵は()りごりなんだろう』 「なるほど……、だから(のち)に北斎は役者絵をほとんど描かなかったと言うワケか」  それなら納得できる。北斎が写楽なら極端に役者絵が少なかった理由もつくワケだ。
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