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一人二役
『とにかく写楽は北斎ではないと言う評論家の多くはアリバイを主張するんだ』
「ぬうぅ、アリバイ……? まるで殺人の容疑者だな」
『ああァ、つまり当時、北斎はすでに活躍していたから写楽ではない……。一人二役は出来ないと言うんだ』
「そうかァ……。たった十ヶ月の間に百四十枚も仕上げたんだからね。写楽の絵だけでも大変なのに、他にも仕事を抱えていたらパンクしちゃうだろうな」
『うん、写楽の出現したのは寛政六年五月から翌年の二月までの間のおよそ十ヶ月の間。
その時、北斎は勝川派を離れて勝川春朗を捨て琳派の流れを汲む俵屋宗理の名を継いで活躍していたらしい』
「まァねェ……、だから掛け持ちは出来ないと言うのか」
『でもそれは評論家や小説家の説だからね。彼らは、しょせん頭では考えられても絵は描けない。絵描きじゃないから』
「え……?」
『例えば漫画家で、メジャー史上もっとも描くのが早かったのはドカベンの水島新司先生だと言われている。もちろん『バカボン』の赤塚不二夫先生のようなギャグマンガや四コマ漫画ならもっと早いだろうけどね。
だいたい手塚治虫先生だと下書き30分、ペン入れが30分。約一時間で1ページを仕上げたらしいが水島先生はさらに上らしい。
全盛時には下書き30分、ペン入れを20分で仕上げたと言うんだ。
何しろ週刊少年チャンピオンで『ドカベン』。サンデーで『一球さん』、マガジンで『野球狂の詩』、隔週で『あぶさん』や月刊で『球道くん』を描いていたらしい。すべてその時の週刊漫画誌の顔だ』
「ええェ……? 週刊誌三本に、隔週ッて。ほぼ二日で一本、週刊漫画を描いていたの」
とてもではないが今の漫画界では信じられない。もちろん今の漫画の方が作画が緻密なので、多作できないのだが。
掛け持ちをしている有名漫画家は浦沢直樹先生くらいだろう。
『月産では『仮面ライダー』や『サイボーグ009』で有名な石ノ森章太郎先生が六百ページ以上仕上げたらしい。
ちなみにゴルゴ13のさいとうたかお先生は、分業制なので割愛させてもらうけど。
他にも宮崎駿監督は『未来少年コナン』のレイアウトを一人で描いていたと言うからね。毎週二十六話全部。もちろん制作には余裕があっただろうけど、それでも一年あまりで全部のレイアウトを描いたんだ』
「うン……」
レイアウトとは構図の事で宮崎監督の構図を見たこともあるが清書すれば止め絵として充分使えるレベルだ。一話だいたい三、四百カットあるので、膨大な数のカットのレイアウトをたったひとりで描いたことになる。
『おそらく北斎は彼らと同じレベル……。もしくは、それ以上のスピードで浮世絵を描いていたんだ。モチーフさえ決まれば、一枚、数十分も掛からない。
だとすれば百四十枚描いたとしても、掛け持ちも可能だろう』
「ンううゥ……、確かに」
『このナポレオンの辞書に不可能と解けない謎など存在しない。
写楽の絵を描いていたのは北斎で間違いないはずだ』
「なるほど……、でも」気がかりがある。
『そうだ。北斎ひとりでは、どうしても写楽の謎は解けないんだ』
「ううゥン……」ボクも唸ってしまった。
まだ写楽の謎は残っている。
写楽、最大の謎が。
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