蔦屋重三郎

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蔦屋重三郎

『写楽を語る上で、絶対に忘れちゃならないな人物がいるんだ』 「ンうゥ……、蔦屋(ツタや)か?」  ボクも頷いて応えた。 『ああァ、そうだ。蔦屋重三郎……。版元の蔦重(ツタじゅう)だ。彼がいなければ東洲斎』 「写楽を生み出した男。蔦屋重三郎。  通称、蔦重(ツタじゅう)!」 『そう今で言うプロデューサのようなものさ。乃木坂やAKBを創った秋元康やモー娘、ハロプロのつんく♂みたいな』 「ううゥ……」  それとはニュアンスが違うと思うが、浮世絵をまったく知らない人に、わかりやすく説明すればそうなのかもしれない。   『その蔦重が生涯を賭けて、生み出したのが写楽だ。おそらく蔦重は借金で首の回らない北斎を(そそのか)し、として大々的に売り出そうとしたんだろう。  それだけ蔦重が北斎の腕に()れ込んだんだ。  阿波の能役者がどんな腕かは知らないが、蔦重が身代(しんだい)を賭けて。北斎ならば絶対に売れるはずだと踏んだんだ』 「ンうゥ……、そうかもしれない」 『蔦重は、いずれ北斎が日本一の浮世絵師になると確信していたはずだ。まァ、美人画では歌麿に勝てなかったかもしれないが、(タコ)(マジ)わせる事で、新境地を開いたんだ』 「まァねェ……」  美女と巨大蛸(おおダコ)を絡ませた浮世絵は画期的だ。 『北斎は改名するたびに、新しい画風に挑戦している。写楽として役者絵を描くのも初めは意気揚々としていたはずだ。  そして写楽の役者絵は、雲母刷(きらず)り『大首絵』で版元の蔦屋から大々的に売り出された。これまでの北斎の画風とは違って大胆なディフォルメをした役者絵だ。  特に手は明らかにデッサンが狂っているが、それもワザとやったのだろう。  手のデッサンの狂いが気にならないほど絵が生き生きとしている。でも……』  そこでナポレオンも口籠(くちごも)った。 「ン、でも結果的に」  ここは、もっともところでもある。爆発的に売れたとする識者もいる。『写楽殺人事件』の高橋克彦先生もその一人だ。 『そうだ。それも。そのことは後の『浮世絵類考』でも述べられている。  だが、それでも()りずに蔦屋は二の矢、三の矢を放った。だから北斎説否定派の評論家は蔦屋ほど見識のある版元が無謀な事をするはずはないとしてと邪推した』 「ううゥン……」ボクも小さく唸ってしまった。 『もし爆発的に売れたとすれば蔦重(ツタじゅう)が死んだ後に、北斎は写楽の画名を売っただろうからという論法だ。  しかし実際、写楽は思ったほど売れなかった。だから北斎は写楽の画名を弟子に売り出せなかったんだ。売れなかった画名を欲しがる弟子もいないからね』 「なるほど……」 『その結果、写楽はドイツ人のクルトに見いだされるまで日本ではだったんだ。そのことからも売れなかった事は明白だ。写楽は当時、日本ではまったく評価されなかったんだ』 「そうか。でもなんで売れなかったのに蔦重は」  ここが一番の謎だ。  どうしても矛盾が生じる。超一流の版元の蔦屋が、まったくをどうして十ヶ月の間に百四十点も制作し販売し続けたのだろうか。 『蔦重の意地と矜持(プライド)だよ。自分の審美眼に狂いはないと。  いつか。それも爆発的にだ。  いずれ写楽は世の中に認められる。絶対に流行(はや)るはずだ。蔦重(ツタじゅう)身代(しんだい)を賭けて売り出したんだ。必ず売れるはずだ。しかし結局、正体を明かす事なく亡くなってしまった。  だが時が経ち当時、江戸庶民には受け入れられなかった写楽の浮世絵はんだ。  それこそが蔦重(ツタじゅう)の執念の賜物だろう。  浮世絵も描いていた蔦屋重三郎が、最後に江戸庶民に放った謎解き(ミステリー)が、だったんだ』 「うううゥ……、蔦重(ツタじゅう)のミステリー」  なんてヤツだ。  このナポレオンと言う美少年は。  本当に同じ子供なのか。 『確かに蔦重は稀代の版元ではあった。商才もあったし審美眼も確かだったと思う。  浮世絵師として絵も描いていた。  けれどもと言えば無理だろう。そんな事は蔦重(ツタじゅう)自身もわかっていたはずだ』 「ううゥン……、なるほど」 『現在でも蔦屋が有名なのは、謎の浮世絵師東洲斎写楽の正体を突き止める際、どうしても彼の存在を抜きにしては語れないからだ。  だから蔦重はんだ。いずれ蔦重のトリックが日本じゅうを巻き込んで、が起きるはず……。  写楽の正体を(あば)こうとしてね。  だからワザと写楽の正体を隠したんだよ。  販売当時は絶望的に売れなかったが自分の審美眼は絶対に間違いなかったと。  江戸じゅうの……、いや世界じゅうのヤツらを見返すためにねェ!』 「なるほど……」 『蔦重はとして、今でも名前が残っている。本来、どんなに有名でも版元の名前など残らない。忘れ去られる運命だ。しかし写楽を創った事で、(いま)だに『蔦屋』と言う屋号が残っている』 「なるほど……」  ボクは胸をながらナポレオンの説に聞き入っていた。  ついに東洲斎写楽の正体を暴いた瞬間だ。    版元(プロデューサー)、蔦屋重三郎。  浮世絵師(アーティスト)、葛飾北斎。  稀代の天才同士が手を組んで東洲斎写楽を演じたのだろう。  これが、天才探偵ナポレオンの導き出した答えだ。  もちろんボクも彼に賛成だ。  しかしこの熱量が夏休みの自由研究の発表で教師やクラスメイトに伝わるかどうかは定かでは無い。  それでもほど発表が愉しみだ。  いつしか雨も降り()んでいた。  静かにメロディアスな『雨音はショパンの調べ』だけが流れている。  心まで晴れやかで清々(すがすが)しい気分だ。  青い空に虹の橋が掛かった。  THE END    
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