【始まりの日】

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 表札は『青木』、ここが今の私の家だ。  鍵のかかった玄関ドアを開けて小さく「ただいま」と声をかけて、玄関ホールの奥にある階段を見上げた。 「おかえり」の言葉が返って来ないのは、いつものことだ、聞こえていないみたい。  リビングのドアを開けると、朝と同じ風景。  冴子さん、日中、少しは起きれたのかな? ご飯は食べたのだろうか?  時計の針は十八時少し前、あまり時間がないので、制服のままキッチンに立つ。  お米をとぎ、スイッチオン。  サラダ菜とレタス、トマトに玉ねぎをスライスしながら、お鍋に沸かしたお湯で豚しゃぶをサッと湯がき、ザルにあけた。  今夜は冷しゃぶサラダにしよう、これならサッパリしていて冴子さんも食べられるかもしれない。  最近ようやく安定期に入ったって聞いたし、つわりも少しは治まってきてるかな。  出来上がった冷しゃぶを一人分だけ器に入れラップをかけ、お水と共にトレイにのせて二階の寝室のドアをノックする。 「冴子さん、起きてますか? ご飯食べれそうですか? 冷しゃぶです。味付けは、ゴマにしてもいいし、ポン酢でも」  調合したタレはかけないまま、二種類つけた。 「心陽ちゃん、おかえりなさい。ごめんね、眠くて……、後で、パパが帰ってきてからにするわ。いつも、ありがとう」 「じゃあ、パパの分と一緒に冷蔵庫に入れておきますね」 「……ありがと」  まどろみの中で返事をするような、冴子さんの声を聞き、静かに階下に降りる。  冷蔵庫の中にパパと冴子さんの分のおかずを片付ける。  それから、ご飯が炊けるまでに着替えて、お風呂の掃除をし、お湯を張りながら、ダラダラとTVを見ながら夕飯を食べて。  パパが帰宅するまでに入浴も片付けも済ませて、二十時半には玄関横にある自室にひきこもる。  そうするとしばらくして、トントンと階段を降りてきて、リビングに入り閉める音。  私と入れ違いに、冴子さんが起きてきたのだ。  まともに顔を合わせない生活を送っている。  会えても週に、二度三度。  冴子さんが妊娠してからは特にそんな生活だ。  お互い、ドア一枚隔てていた方がきっと気持ちは楽なのかもしれない。  この距離が丁度いいと思う。
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