70人が本棚に入れています
本棚に追加
表札は『青木』、ここが今の私の家だ。
鍵のかかった玄関ドアを開けて小さく「ただいま」と声をかけて、玄関ホールの奥にある階段を見上げた。
「おかえり」の言葉が返って来ないのは、いつものことだ、聞こえていないみたい。
リビングのドアを開けると、朝と同じ風景。
冴子さん、日中、少しは起きれたのかな? ご飯は食べたのだろうか?
時計の針は十八時少し前、あまり時間がないので、制服のままキッチンに立つ。
お米をとぎ、スイッチオン。
サラダ菜とレタス、トマトに玉ねぎをスライスしながら、お鍋に沸かしたお湯で豚しゃぶをサッと湯がき、ザルにあけた。
今夜は冷しゃぶサラダにしよう、これならサッパリしていて冴子さんも食べられるかもしれない。
最近ようやく安定期に入ったって聞いたし、つわりも少しは治まってきてるかな。
出来上がった冷しゃぶを一人分だけ器に入れラップをかけ、お水と共にトレイにのせて二階の寝室のドアをノックする。
「冴子さん、起きてますか? ご飯食べれそうですか? 冷しゃぶです。味付けは、ゴマにしてもいいし、ポン酢でも」
調合したタレはかけないまま、二種類つけた。
「心陽ちゃん、おかえりなさい。ごめんね、眠くて……、後で、パパが帰ってきてからにするわ。いつも、ありがとう」
「じゃあ、パパの分と一緒に冷蔵庫に入れておきますね」
「……ありがと」
まどろみの中で返事をするような、冴子さんの声を聞き、静かに階下に降りる。
冷蔵庫の中にパパと冴子さんの分のおかずを片付ける。
それから、ご飯が炊けるまでに着替えて、お風呂の掃除をし、お湯を張りながら、ダラダラとTVを見ながら夕飯を食べて。
パパが帰宅するまでに入浴も片付けも済ませて、二十時半には玄関横にある自室にひきこもる。
そうするとしばらくして、トントンと階段を降りてきて、リビングに入り閉める音。
私と入れ違いに、冴子さんが起きてきたのだ。
まともに顔を合わせない生活を送っている。
会えても週に、二度三度。
冴子さんが妊娠してからは特にそんな生活だ。
お互い、ドア一枚隔てていた方がきっと気持ちは楽なのかもしれない。
この距離が丁度いいと思う。
最初のコメントを投稿しよう!