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冴子さんは、パパの二人目のお嫁さんだ。
一人目の奥さんは、私のママ・一ノ瀬今日子、享年三十六歳。
私が中二の時、事故で亡くなってしまった。
私の苗字がパパの姓の『青木』じゃないのは、小学校一年生の秋に両親が離婚したからだ。
それまでは札幌市内中心部の市営団地に住んでいて、離婚した後、私はママに引き取られた。
それから中二まで千葉にあるママの実家で暮らしていた。
ママの訃報を聞き、千葉に駆けつけてくれたパパが、泣きながら私を抱きしめて。
『また一緒に暮らそう、心陽。もう一回、パパと家族になってくれないか』
あの時の私は、何もかもどうでも良かった。
おばあちゃんももう年だからと、快くパパの申し出に感謝していて。
大人同士の話し合いで、私はまた札幌でパパと暮らすことになったけれど、どっちでも良かったんだ、本当は。
今更また姓を変えるのも、と一ノ瀬姓のままで、生まれ育った札幌に戻ってきた、中二の冬。
久しぶりに肌で感じる札幌の冬は、とても寒くて不安で心まで震えていた。
買ったばかりの一軒家には、笑顔で私を出迎えるパパと、冴子さんが待っていて。
『よろしくね、心陽ちゃん』と、優しい笑顔で出迎えてくれた。
パパの会社の同僚だった冴子さんは、当時は三十歳、その春に二人は結婚したばかり。
つまり私は意図せず、新婚夫婦の家に居候する形になってしまったのである。
パパより十歳年下の冴子さんは年頃の、ましてや母親を亡くしたばかりの義理の娘に対してどうしたらいいのかと、きっとたくさん悩んだと思う。
一生懸命、私を慰めようとしてくれていたのは感じていた。
私のことを心配してくれていたのも、わかっている。
控えめで優しいお姉さん、冴子さんはそういう人だった、私が中三の冬までは。
「心陽、起きてる?」
考え事をしていた私の耳に小さなノックの音と、パパの声が聞こえる。
「起きてるよ」
ドアを開けたら、帰ってきたばかりのパパの笑顔とケーキの箱。
「はい、お土産。美味しいんだ、ここのチョコレートケーキ」
「また!? ケーキは好きだけど、太っちゃうよ! この時間はもうちょっとアッサリしたのがいいなあ」
「心陽は、少しくらいポッチャリしててもいいと思う。その方が可愛いし」
ニコニコと私の頭を撫でたパパ、一体何歳だと思ってるんだろうか。
離れて暮らしていた時間が長かったせいか、パパの愛は深海級。
ありがたいけど、こういうのもダメなんじゃないかな……。
「冴子、ご飯食べてた?」
「パパと食べるって、待ってるよ」
「そっか、いつもありがとね、心陽」
ありがとう、ではなく、ごめんと聞こえるぐらい寂しそうなパパの笑顔を否定するように笑ってみせた。
間に挟まれた形のパパは、私と冴子さんの顔色をうかがってばかりだ。
ママが亡くなって悩んだパパの背中を押してくれたのは冴子さんだった。
『心陽ちゃんと一緒に暮らそう』
私とパパが一緒に暮らせるようになったのは冴子さんの、その一言のおかげなのだ。
それなのに――。
先日、夏休みの終りに、パパに提案したことがある。
私の話を聞いたパパはとても悲しい顔をして『もう少し一緒に考えよう』とつぶやいた。
頷いたものの、私が夏休みいっぱい考えて覚悟を決めて、伝えたことなのだ。
まだ変わらない、多分、変わらない。
だけど、今はパパとこうして笑っていたい。
ううん、最後までずっと笑っていたい。
「パパ、明日の朝のお米だけお願い」
「了解、セットしとくよ」
おやすみ、とドアを締めたパパは、リビングを開けてもう一つの「ただいま」をする。
冴子さんの、おかえりが少しだけ聞こえた気がして胸が痛くなった。
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