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昨夜少し眠りが浅く、朝は朝で早くに目が覚めてしまったせいか、私はまた、相変わらず畳を背にしたままうとうとしてしまったみたいだが、チリチリチリチリという、屋根に小雨がはじけるような音がだんだん耳に大きくなって、はっと目が覚めた。
「あ、シーツ!」
朝からはっきりしない曇り空だったが、昨夜、珍しく外で飲んできた夫がひどく寝汗をかいたとかで、シーツ類を洗って欲しいと言ってきたから、大物だけ外干しにしていたのだ。
私は飛び起きて、畳の上を小走りし、障子を引きベランダの窓を開けた。
6月の夕空は相変わらずどんよりとしていたが、雨粒の姿は確認できなかった。
雨音でないのなら、何の音だろう?
耳をそばだてると、音はどうやらふすまの向こう側から聞こえてくるらしかった。
取り込んだシーツとタオルケットをササっとたたんでから、ふすまを引くと、チリチリチリチリという音がはっきりと耳に届くとともに、熱せられたバターの甘い香りがふわっと漂ってきた。
「あっ、起きたんだ」
台所に立っているのは娘の夏美だった。振り返ってニコッと笑う娘の頬には、夫によく似た小さいえくぼがあった。
「あら、なっちゃん、来てたんだ!」
私の顔も自然とゆるむ。
「気持ちよさそうに寝てたから、声かけるのやめたんだ」
木べらを動かす手を休めずに、でも、顔はしっかりと私の方を見て言う夏美。いい夢を見ていたわけでもなく、あんまり後味の良くない昼寝ではあったが、傍目にはそうも見えなかったらしい。
「もしかして、夕飯……作ってくれてるの?」
「うん、まあ」
大学を卒業し、去年の4月から会社勤めを始めていた夏美は、3ヶ月ほど前から職場の近くに家を借りて、一人暮らしをしていた。
仕事が休みの日には、こうして時々実家に顔を見せてくれるが、台所に立っている姿を見たのは初めてだった。
「今日、買い物さぼっちゃったから、冷蔵庫の中、たいした食材、入ってなかったでしょう?」
夏美は長いまつげをしばたたかせてから首を横に振ると、
「まだ自炊始めたばっかりで、一品料理みたいな、簡単なものしか作れないから問題ないよ、ふふふ」
肩の辺りで切りそろえられた黒髪を小刻みにゆらして、照れくさそうに笑った。
何ができるのだろうかと思いながら、すらっとした若い背中に近づいて行くと、手元のフライパンには、きつね色になりつつあるみじん切りのタマネギが濃い匂いを漂わせ、チリチリチリチリという、いかにも食欲をそそる音が大きくなった。
その音を聞いているうちに、まだ私がこの家に来たばかりの、夏美が全然なついてくれない時期に起こった、ちょっとほろ苦い出来事を思い出した。
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