黄色い傘

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 少し肌寒いような感じがして、腹のあたりまでかけていたタオルケットを、ほとんど無意識のうちに肩まで引っ張り上げていた。  ああ、そろそろ起きて夕飯の支度をしないといけないと、夢うつつに思っているのに、なかなか体が言うことを聞いてくれない。  私は畳を背にしたまま、ついさっきま見ていた実家の夢をぼんやり思い返していた。母親が三面鏡の脚で怪我をする夢だ。  あの人が三面鏡で怪我をしたのは本当のことだったが、私はその現場に居合わせてはいなかった。それなのに夢の中にあらわれたひとつひとつのシーンが、まるでこの目で一部始終を見ていたかのように生々しかった。  離婚したあと、私はしばらく実家に身を寄せていた。当時は職についてもいなかったので、住むところを確保できず、やむを得ずそうしたまでだ。  父親も母親も私の離婚を嫌がらなかった。母親に至っては、むしろ歓迎している風でもあった。今思えばそうだったろう。母親は元々、単なるサラリーマンに過ぎない平凡な結婚相手の身分を、どんな根拠があってのことなのかは知らないが、「不釣り合いだ」として気に入っていなかったのだから。  言うなれば私の離婚は、あの人にしてみれば再び自分の手で思う存分、娘を支配できる状況に持ち込むことができる幸運な事態なわけで、歓迎しないはずもなかったというわけだ。  父親もまた、私の離婚を歓迎したのは全く自分の都合だった。妻の支配対象である娘がいなくなってからというもの、全面的に自分がその代わりに近いことを要求されていたはずだった。そうであるがゆえに、娘が戻ってくるということは自らの解放を意味するのであり、拒否する理由はないのだった。  母親はきっと、常に誰か相手がいないと生きてはいけない病的な人種らしい。  私はあるときそのことにはっと気づいた。恐ろしいと思った。私はとんでもないところに舞い戻ってしまったのだと確信した。だからふたたびあの家を出た。離婚して2年がたった、33歳のときのことだった。  私はあの日、着の身着のまま、誰にも行く先も告げずに、両親の不在時を狙って忌々しいあの家を後にした。  無論、実家を離れてすぐに、携帯電話の番号も変えていた。ただ、一部の親戚には事情を説明して、絶対に両親には教えないで欲しいと頼み込んだ上で新しい番号を伝えていた。母親が三面鏡で怪我をしたという話は、その親戚から聞いて知った話だった。
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