黄色い傘

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 私は実家と完全に音信不通になって、とうとうあの人の支配から解放された。これは紛れもなく「真の解放」と言えた。  というのも、結婚していたときのことを振り返ってみたとき、母親とは同じ屋根の下に暮らしていたわけではなかったのに、私の生活の中にはその人の影が常にちらついていた気がするからだ。かかってきた電話に応じている最中でなくとも、何の前触れもなく、突然訪問してきたときでなくとも、私の暮らしの中には、常に母親の気配があった。  母親は自分で拵えた寄せ植えを、新居の玄関先に勝手に置いていったことがあった。結婚してしばらくは仕事を続けていたこともあり、手入れが行き届かず枯らしてしまったのだが、それを知った母親は親戚の者相手に私の悪口を言いふらしていたらしく、あるとき私の耳にも入ってきたのだった。  もっとも、こんなことはほんの序の口で、思い出すのも忌まわしいほどの侵攻行為は数え挙げたらきりがないほどあった。  それにしても、両親とも、私の行方を捜している気配はまるでなかった。親戚の話によれば、両親の口から私の話題が出ることは皆無だという。当然に捜索願も出されていないはずだった。  幸か不幸か、母親の訃報はまだ聞かない。でも、生きていようがいまいが、今の私にはもう、関係のないことであり、完全に決着のついた「過去」でしかなかった。  
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