「おかえり」

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 時刻は夜8時。  弟が危篤だと連絡がきた。  一瞬の後。過去の出来事が頭を駆け巡り、出たのは乾いたような、消え入るような、笑いだった。そして思考は停止した。  スマホの画面を見つめたまま、居合わせた友人に荷物をつめたリュックを持たされ、半ば強引に車に押し込まれた。  駅まで車で1時間。新幹線で約2時間。電車に乗り継ぎ15分。駅から車で約10分。  ただ新幹線の車窓を眺めていた。  駅には、当然だと言わんばかりに迎えの車が来ていた。黙って乗車した。  運転手は義弟だった。  途中、母と妹を拾って車は一気に騒がしくなった。  3人は、泣くわけでもなく取り乱すわけでもなく、いつも通りだった。  いつも通りに「もうだめだ」と、口を揃えて言った。 「そんなこと、言わないでよ」と、不意にその場にそぐわしくない言葉が聞こえた。  それが自分の口から出たのだと気付くのに数秒かかった。それと同時に、急激に鼓動が速まった。  そぐわしくないその言葉は当然のように否定された。 「寿命だから仕方がない」と、いう母の言葉を、真っ白な思考のまま否定し続けた。  その度に鼓動は高鳴り、速くなっていった。  家に着いた。一目散に玄関に向かった。  リビングのドアが開いた。 「おかえり」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加