夜を切り裂いて

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夜を切り裂いて

 静寂を知らない夜を派手なネオンの光が眩しい程に照らす。  空高くそびえ立つ建物が並ぶこの都市は全世界が知る有名な地なだけあり、夜が深まった時間であってもその賑わいを失っていなかった。むしろ一日の始まりだと言わんばかりに熱が上がる。  洒落た服装に高級な料理、金の装飾に豪華なシャンデリア、中央に置かれたグランドピアノで奏でられる音楽。闇とは無縁な光で満たされたこのパーティーがお開きとなるのは果たして何時間後だろうか。  固く閉じられた扉を隔てていてもなお纏わり付いてくる笑い声と華やかな喧騒に、うんざりしたように溜め息をついたのは一人の少年だった。    人気のない通路の壁に体を預け、目の前で夜にも関わらず煌々と輝くライトを鋭く睨み付けている。服装こそ場に相応しいキッチリとしたタキシード姿だが、美しい銀髪から覗く切れ長の深い青の瞳は冷たく、どこか近付きがたい雰囲気を醸し出していた。  現在、少年の周囲には誰もいなかった。あくまで、浮わついた会場の空気に酔い休憩のため外に出てきたという設定を崩さぬよう、ホテルの使用人達が通る度に手で顔を扇いだり辛そうな表情を作ったりと少年が立ち回ったおかげで気を遣って貰えているのだろう。舞台が着々と整っていくのを少年は肌で感じていた。  「パーティー参加者の誰かの連れ」を演じ外で待機。合図の後上の階へ潜入し目当てのものを速やかに回収する。  それが今回の少年に任された役目だった。 「あ……大変失礼いたしました」  少年が立ち上がるのと同時にウェイターが一人、扉を開けて外に出てきた。少年を中に戻ろうとする客だと思ったのだろう。通れるようにと、閉じかけていた扉を片手で支え彼は一礼をした。  その隙間からは中で行われているショーが丁度次の出し物へと変わる様子が見える。 「お客様?」  いつまで経ってもその場から動こうとしない少年にウェイターが首をかしげ、どうかなさいましたかと声をかけた時、その声をかき消すかの勢いで心なしか先程よりも大きくなった音楽が流れ出す。  どうやら次の出し物はマジックショーのようだ。眩しいライトの下、派手な衣装に身を包んだ金髪のマジシャンがステージに上がりペコリとお辞儀をしている。 「ああ、すみません」  少年は愛想の良い笑みを浮かべてウェイターに応えた。 「少し空気に酔ってしまったみたいで。外で休んでいたんです」 「そうでございましたか。何かお飲み物でもお持ちいたしましょうか?」 「いえ、大丈夫です」 「かしこまりました。それでは、何かありましたらお呼びください」  定型文通りの受け答えをしたウェイターが手に持っていた空のグラスやトレイを通路の脇に用意されているブースへと片し、一礼して出てきたばかりの扉へと手を掛けた。中はかなり賑わっている様で今度は飛び交う歓声が外まで漏れている。 「ああ」  ウェイターの背後で、不意に少年が声を上げた。  長い前髪の奥で瞬く瞳がスッと細められる。端を吊り上げた口許、尖ったものが光を反射してギラリと煌めく。 「――今はそっち行かない方がいいと思うけど?」  次の瞬間ホテルを包む全ての音と光が一斉に消滅した。  会場から吹き出した白い煙。暗闇の中驚いたように動きを止めたウェイターの首を、素早く伸ばされた白い手が強く的確に打つ。その身体が深く沈むのと同時に巻き起こった小さな風。発生源である少年は既に、倒れ込むウェイターには目もくれず階段へと駆け出していた。いつの間にかその頭には髪と同色の尖った耳が生えている。  この姿こそが少年の……ローレンスの本来の姿だった。  潜入のため制限していた力を思い切り解放し数フロアの距離を瞬く間に埋めていく。研ぎ澄まされたローレンスの五感は遥か前方の気配や音まで素早く捕らえ、その度にローレンスは物陰に身を隠したり通路を変更したりと素早く計画を調整していった。  闇に紛れてしまえば人間を躱すのは容易だった。頭にしっかりと叩き込まれてきた内部構造に狂いはなく、すぐに最上階にある目的の部屋へと辿り着く。  周囲に警備の者は誰もいない。停電と下の騒ぎで駆り出されているのだろう。ホテル全体がざわざわと騒々しい。そのことを確認してローレンスは扉に手を掛けた。 『決して油断するんじゃないよ』  ……しねえよ。  頭の中で再生された師の声。ニヤニヤと笑う彼女の姿が簡単に想像できローレンスは顔をしかめた。徐々に手に力を込め慎重に扉を開いていく。  中も同様に暗闇に包まれているが、夜目の聞くローレンスにとって大したことではなかった。注意深く探るも誰かがいる気配はない。  しばらく室内を探り見つけ出した箱を前にローレンスは考えた。 「これか?」  ここに来るまでに飽きる程見せられた写真と手の中の物を比較する。間違いはなさそうだが、こんなにも簡単に見つかるとは予想外で。ちょっとした違和感を覚えつつも中に入っていたUSBメモリを取り出し、廊下へと足を踏み出した時。  ビーッと大きな警報が辺りに響き渡り、ローレンスはチッと舌打ちを溢した。同時に力強く地を蹴る。低く、しかし物凄い速さで階段までの距離を駆けていくその様は獣……狼そのものだった。  警報が鳴り響くホテルの中。ローレンスは階段を降りるのではなく上へと上っていった。扉を壊す勢いで開け放ち屋上へ出ると、そのまま数メートル先にある隣の建物の屋上へと飛び移る。  しばらくそうして走り続けた後、前方に金色の光を見つけローレンスはそれを追うように更に加速した。もはや生物の形だとも視認できない。銀色の弾丸となって闇を切り裂いていく。  ローレンスと光の距離が縮まっていく。そうして隣に並んだ時。 「失敗したのかい?」  マジシャンの格好をした女が開口一番そう尋ねた。見事な金髪が風になびき、チラリとローレンスに向けられた瞳の奥ではルビーのように濃い赤が楽しそうに煌めいている。その印象はあながち間違っていないようで、実際に女の口許にはからかうような笑みが浮かんでいた。 「随分と派手にやったみたいだねえ」  その言葉にローレンスは顔をしかめ女を睨んだ。 「警報は切ったんじゃねえのかよ」 「全部とは言っていないだろう。アタシはただ自分の周りのセキュリティを無効化させただけ、お前のとこまでやるとは言っていないさ」 「はあっ?」  スピードを一切緩めることなく足を動かしながら、ローレンスはグッと拳を握り締めた。 「そんなの話が違う!」 「はは、まだまだ子供だねえ」  女は慣れた動きで遥か下方にある路地めがけて飛び下りた。僅かに遅れてローレンスもそれに続く。タンタン、と軽い音が二つ辺りに響いた。 「だが甘えるんじゃないよ。ここ数年間お前は一体何を学んできたんだい」  深まった夜の中、女が振り返る。 「アタシが鍛えてやってるんだ、こんな依頼くらいそろそろ一人でやれるようになってくれなきゃ困る。良い依頼屋になるんだろう?」  にやりと挑発的に笑って。 「なあ、ローレンス」  月明かりに照らされたその姿はまるでこの世の者ではない、特別な存在であるかのように、ひどく浮いていた。一言で表せるようなものでは到底ない。世界が全て彼女を中心に回っているかのような、そんな錯覚を覚えてしまう。  あの日と、一緒だとローレンスは思った。 「……さあ」  ふいと不貞腐れたように目を逸らしたローレンスに女は呆れたように肩をすくめた。 「さあって何だ。随分と他人事だな。お前の人生だろう?」 「知らねぇよ」  まだ、決めていない。  握ったままだったUSBメモリを女に向かって放り、ローレンスは歩き出した。入り組んだ路地を迷うことなく進んでいくが……果たしてどこを目指しているのだろうか。ローレンスにはわからなかった。 「人間は馬鹿だ」  自分の事ばかりで周りの事なんてお構い無し。ただ笑いただ遊ぶ。それが当たり前だと思っている。食糧の捕り方も敵との戦い方も何も知らない。生まれた時から用意される場所で温かなご飯をもらい、汚れを知らずに育ち夢を見る。なんて楽な生き方だろうか。なんて恵まれている生き方だろうか。なんて愉快な生き方だろうか。  吐き気がする、とローレンスは唇を噛み締めた。  自分とは違う。そう思った。そうでありたいと思っている。人間のようになんかなりたくないとも思う。  今でも瞳を閉じれば戻ってくる、あの日の感覚はひどく鮮明だった。  迫り来る大きな炎。全てが焼けていく焦げ臭い匂い。身体に纏わり付く熱。吹き付けてくる熱気。耳にこびりついた悲鳴。忘れもしないあの光景――  ローレンスは小さく息をついて空を見上げた。無駄に高い建物と趣味の悪いライトに削られ僅かしか残っていない夜空。ローレンスの深い青の瞳に映るそれは美しく、まるで水面で揺れる月のように、どこか儚げだった。 ◆◆◆  ローレンスが彼女と……レディ・ヴェルヴェットという女と出会ったのは、今からもう五年も前のことだ。 「ローレンス」  自分を呼ぶ声に、箱を抱えテントの中を元気に走り回っていた狼耳の子供は足を止め振り返った。  視線の先には彼が大好きな団長が立っている。たちまち明るい笑顔が彼の顔に浮かんだ。そして箱を抱えたまま、クルリと体の向きを変え駆け出した。  団長! と。声が出せたのなら、人の言葉が話せたのなら間違いなくそう叫んでいただろう。  物凄い勢いで飛び付いてきた彼を受け止めた団長は楽しそうに笑っていた。 「おうおう、お前は相変わらず元気だなあ」  ローレンスの頭を撫でるその手付きは優しい。団長だけじゃない。ここの人間は良い人たちばかりだ。  生まれてすぐにローレンスが引き取られ、育ってきたこの場所はサーカスの一団だった。色々な演目を披露し毎週のようにサーカスを開いてパフォーマンスをする。血も繋がっていない赤の他人同士だが、家族のような強い絆が確かにそこにはあった。 「お前はきっと立派になる。その日が楽しみだよ」  団長の言葉にまかせて! とでも答えるようにローレンスは耳をピンと立たせた。温かくて楽しいこの日々が大好きで、ずっと続くものだとローレンスは信じて疑っていなかった。  しかし現実とは残酷なもので。 「さあさあお次は今宵のラストを飾る……」  輝くライト。賑わう客席。盛大な音楽と演出の中。  立ち込めたのは黒煙だった。  催されたサーカスに盛り上がる夜に突然起こった、見知らぬ誰かによる放火。逃げる暇もなく燃え広がる炎に客席もステージも何もかもが飲まれていく。人の叫び声と炎の音が響き渡り、焦げ臭い匂いと煙が世界を満たす。その様子を狼姿のローレンスは呆然と見つめていた。  何日もかけて準備した大道具も装飾も、あんなに練習を繰り返した演目も。全てが目の前で消えていく。頭上でテントの天井が崩れた。  煙のせいで五感が上手く効かない中、聞き覚えのある声を耳に入れローレンスは急いで辺りを見回した。そして見つけた。いや……見つけてしまった。  崩れたセットの下に埋もれ血を流し、既に動かなくなった家族の姿を。  ローレンスの視界がグラッと揺れた。前足のすぐ側に落ちてきた木材に阻まれ、駆け寄ろうにも近付くどころか身動きすらもできず。煙も炎も目の前に迫っていて。  ローレンスは空を見上げた。いつか、綺麗だと皆で笑い合ったその空は真っ黒で美しさなんて微塵も感じられなかった。何が悪かったのだろう。何故こんなにも残酷な終わりを与えられなければいけないのだろう。初めての感情がローレンスの胸を燃やさんばかりに膨らんでいく。  堪らずローレンスは雄叫びを上げた。炎の音をかき消すかのように、力強く、けれど苦しげな。その声は辺りを切り裂き響き渡って。最期の力を使い果たしたローレンスはそのままゆっくりと地面に崩れ落ちた。  コントロールできなくなってしまったその身体は、人形に狼耳と尻尾が生えた獣人の姿へと変わっていく。煙と炎が彼を取り囲み、そうしてローレンスの短かった人生が幕を下ろされる……はずだった。 「あーあ、どうやら随分と派手にやらかした馬鹿な奴らがいるようだねえ」  突然頭上から降ってきた声。  顔を上げる力もなく、ローレンスはぴくりと肩を揺らして瞳を僅かに開いた。狭くぼんやりとした視界の中、誰かの靴が大きく見える。 「へえ珍しい。狼の獣人なんて滅多にお目にかかれないのに」  まさかこんなところにいるとはねえ、と声は笑った。  笑うという、この地獄のような光景を前にまるで場違いな行動を取ったその声に対して、ローレンスはグルッと小さく唸った。 「おお、ちゃんと生きているようだね」  布の擦れる音。ローレンスの顔に落とされた影。 「気に入った」  ローレンスの視界に映った声の主は、真っ黒な夜空と真っ黒な炎を背負っていて。 「お前、アタシと一緒に来るかい?」  差し出された手をじっと見つめる。ローレンスはしばらく動かなかった。上手く働かない頭で考えるのは失ったばかりの家族のことばかりで。楽しかった日々のことばかりで。短時間に色々なことが起こりすぎて整理が追いつかない。けれど一つだけはっきりとしていることは。  ……今ここで、この手を取らなかったらローレンスに待っているのは死だけだということ。  ローレンスは重い腕を動かした。今にも地面に落ちそうになりながら、必死に力を込め持ち上げる。  まだ、死にたくない。死ぬのなら……  一つの思いだけがローレンスの身体を動かす。そしてその手がようやく女の手に触れて。  この日から、ローレンスはレディ=ヴェルヴェットという名を持つ依頼屋と行動を共にすることになった。 ◆◆◆  ローレンスは彼女から色々なものを与えてもらった。人の言葉も文字の読み書きも教えてもらい、世界のことや十分すぎる程の知識も身に付けた。  レディ=ヴェルヴェットはどんな依頼でも受ける。その仕事を手伝うことでそういった時に使う技も覚えた今のローレンスには、きっと色々な未来があるのだろう。けれど、いったいどの未来に進むべきなのだろうか。  眩しかった都市部を抜けたところでようやく足を止める。さっきまでいたホテルのある方向から響くサイレンは、微かに聞こえる程度にまで遠ざかっていた。 「どうかしたのかい?」  突然立ち止まったローレンスに、ここまで彼の様子を楽しむかのように無言でついてきていたレディ=ヴェルヴェットが声を上げた。 「まだまだ油断はできない距離だが。それとも道を忘れたかい?」 「……」  忘れたんじゃない。わからないんだ。  ローレンスは心の中で呟いた。そう、わからない。この道の終点なんて知らない。  黙り込むローレンスに息をつき、レディ=ヴェルヴェットはその横をすり抜けて歩き出した。前後が入れ替わる。今度はローレンスがついていく番。  ふとローレンスは思った。彼女はわかるのだろうか。彼女なら、知っているのだろうか。 「……なあ」  その大きな背中に向かってローレンスは声を投げた。 「オレが依頼屋にならないって言ったらアンタはどうするんだ?」  もう用なしだ、と捨てられるのだろうか。それともそんなことは関係ないと連れていってくれるのだろうか。  どんな、道を与えてくれるのだろうか。  息を飲みじっと返事を待つローレンスに、金髪を煌めかせゆっくりと振り返った彼女は…… 「そりゃあ置いていくさ。今すぐにここでね」  はっきりと、そう言い切った。 「え……」 「ははっ、人に聞いておいてなんだいその間抜けな顔は」  置いていくなんて言われないとでも思っていたか? と心底楽しそうな彼女のように、ローレンスは笑えなかった。  心のどこかで期待していた。そして呆気なく砕かれた。  ひとしきり笑った後、揺れるローレンスの瞳を見つめて彼女はスッと笑みを消した。 「いいかい、ローレンス。アタシがお前を育てるのは、お前があの日アタシの手を取ったからだ。親切心でやってるわけじゃない。お前を連れていこうとする、という選択をアタシはした。お前はアタシについていくという選択を選んだ。あの時、アタシとお前の二つの選択が重なったんだ。だからアタシはお前をあの炎から連れ帰った」  淡々と、真剣な瞳でレディ=ヴェルヴェットは告げた。いつものふざけた調子ではなく、ものを教える師の目だった。 「人生は選択だらけさ。一つでも間違えれば簡単に狂っちまうだろう。だからこそ選択は何よりも慎重にしなきゃならない。誰かに与えられるのを待っているようじゃあ駄目さ。勿論、赤の他人が誰かを自分の道に引きずり込むなんてことも許されてはいけない」  ローレンスはその言葉を黙って聞いていた。辺りの静けさが一層深まったように感じる。この時、ローレンスの世界は彼女の言葉だけが全てとなっていた。  不意に、彼女はフッと気が抜けたように笑った。 「アタシが今歩いてる道はね、ローレンス。そう簡単には抜け出せないものなのさ。もうお前もよく知っているだろう? 世界の影の部分に嫌でも気が付いてしまうし、時には暗いこともしなきゃならない。そんな道にお前を無理やり連れてはいかないよ」  お前は自由だと。選択の自由があると。 「自分の道は自分で選べ、ローレンス」  そう言い捨てるなり彼女はローレンスに再び背を向けてしまった。 「……オレは……」  自分で、選ぶ。  考えたことがなかったとローレンスは思った。  幼い頃はいつだって団長達に付いて回っていた。レディ=ヴェルヴェットに出会ってからは、彼女に付いて回っていた。  誰かが前にいること、誰かが付いてきてくれること。それがずっと当たり前だった。  いつかは無くなる。そのことを考えたくなくて無意識に避けていたのだと気が付く。あの日のようにまた失うのが怖かった、だから逃げていたのだと。目を逸らし何も考えず誰かに倣うだけの道は楽だから。  でも、それはあくまでその人の道であってローレンスの道ではない。いずれローレンスも、自分だけの道を見つけなければいけない。  どうやって生きていくかなんて想像が付かなかった。人形のまま人間として生きるのは絶対に嫌だ。かといって狼や獣人の姿で生きていける所なんて、野生か影か……随分と限られてくるだろう。そう考えるとこうして自由に動ける依頼屋という仕事はローレンスの性に合っている。  しかし、それでいいのだろうかとローレンスは迷った。  その道を選べば、結局はレディ=ヴェルヴェットの道を辿ることになるのではないか。今と大して変わらない、付いていっているのと同じことなのではないのか……それじゃあいったいどの選択が正しいのか……  そこまで考えてローレンスは思考を止めた。  結論を出すにはきっとまだ早すぎる。これは思い付きで決めていいものではない。慎重に選択しろと彼女も言っていたばかりではないか。  先を行くレディ=ヴェルヴェットの姿を見つめる。その後ろ姿は大きくローレンスの瞳に映った。 「オレは」  自分の道はまだわからないけれど。幾つも分岐している道を一つに選択するには、きっとまだ時間がかかるけれど。 「……強くなりたい」  誰かに頼らず一人で生きていけるように。もし大切な存在ができた時、今度こそ何が起こっても必ず守れるように。  彼女のような強さを身に付けたいと、ローレンスは改めて強く思った。 「なんだそれは。随分と大雑把だな」 「別にいいだろ、オレの勝手だ」  いいんだよ。今はこれで。  軽く頭を振りローレンスは狼の姿となって駆け出した。あっという間にレディ=ヴェルヴェットに追い付きその隣に並ぶ。  世界は選択しなければいけないことだらけだ。わからないことだらけだ。だけど。  この生活は悪くない、なんて。  ローレンスはバレないようこっそりと笑い、夜を切り裂くように一声吠えた。
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