桜を語る

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桜は綺麗なものである。 私たちは生まれてから幾度も大人に教えられ、そうして「そんなものか」と半ば諦めの態度をとることによって桜は綺麗なものであると信じるに至った。 実際桜は綺麗なものかもしれない。 しかし僕はまったく違う見方をしている。 僕からしてみれば桜の木なぞ所詮たかが「木」である。 そして、木というものはもっと肉体との関係性がならなければならないと勝手に考えている。 例えば、木に頭をぶつけたり張り手をしたり下腹部を擦ったり。 汚い言い方をしているが、それくらい肉欲的な存在が「木」なのである。 体に葉が付いたりしたら痒くて腹立つでしょう? それがいいのである。快活である。 葉が付いてこれも人生の一部だ!なんて悟ったって、ちっとも偉くもないしどうでもいいことなのだ。 だから僕は桜を綺麗だと信じない。 信じてはいけないとそう誓っている。 批判は結構。共に育とうではないか? 木と肉体と一緒に。 以上!
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