明るさを教えて

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「あれ」  次にその子を見たのは、駅構内での打ち合わせを終えて、近くのカフェで先程の会議で聞いた話を整理しようとしていたときだ。その子が一人であれば軽率に話しかけられるくらいには、対人スキルを磨いていたつもりだったが、今回その子は一人ではなかった。  そのカフェの手前、強面の集団が、その子を囲むように存在していた。  スキンヘッド数名、サングラスが倍の人数。うちスキンヘッドかつサングラスが二人。合計十人には満たないであろうと思われる人数が、たった一人を取り囲んでいた。  普通に、避けて通るべき案件だと思った。  近所に交番はないと知っている。きっと店員が事前に警察を呼んでいるに違いない。だから私は別のカフェなりファストフードなりで頭を整理するべきだったのだ。  けれど私は、そうしなかった。  その集団から目を背けようとした瞬間に、見てしまったのだ。  ややこしそうな人たちに腕を捕まれ、引っ張られたその子の姿を。  それから逃げようとしたひとりが「この野郎!」なんて叫ばれたのだ。人の子として許せない。カバンの内側に引っ掛けたままで、柄が擦り切れたそれを取り出し、紐を引く。けたたましい音が響いて、全員の視線が、私に向く。  逃げたら、楽だったのに! 「あの! そこで! なにしてるんですか!」  いわゆるカツアゲの現場らしきものを見て、自分はなにを思ったか、びいびいと鳴り響く防犯ブザーを掲げてそう叫んだ。  仕事のむしゃくしゃが全部吐き出されたのかと思うくらいの大声で、叫んだ。 「なんだぁ、そこの」 「一般人だろ? やめとけやめとけ」  なおも私は声を張り上げる。 「私は! その奥の! カフェに! 行きたいんです!」  お願いします、どいてください!  音が広がったことでより早くなったのか、自分が鳴らす音の奥からパトカーのサイレンの音が重なった。 「おい! あっちから警官がきてる!」 「ちっ、この野郎、覚えとけよ!」  わいわいがやがや。ざわついた集団がいなくなって、その子はふらふらと歩き出した。で、転びそうになったので慌ててその子の腕をつかんだ。張り裂けそうな思いで引いた腕は思っていたよりも骨ばっていて、なんだか冷たい手だった。 「大丈夫?」 「はい、なれてますんで」 「慣れてるって」  そこに警察のひともいるし、一緒に行こうか、そういったけれど首を横に降っていたので、当初の目的地に、その子と二人で入った。警察もなぜか、私たちを追ってはこなかった。 「ええと、私も持ち合わせが多い方ではないけれど、好きなもの、選んでもらったらいいわよ」  甘いものがいいのだろうか、と思いつつ入った店内。メニューのデザートに目をきらきらさせていた。ああ、やっぱりこういうものが好きなのか、と私は頭の中でホットコーヒーについて思いをはせていた。ウーウーとカバンが振動している。携帯が鳴っている気がするけど、きっと営業用の呼び出し。急ぎの案件は、ない。ないのだから、出ない。時間外です。  鞄をみるのもいやになって、腰と背もたれの間に差し込んだ。 「あの……お姉さん、名前、なんて読むの」  ふう、と一息ついた私に、彼は言う。 「名前? え、なんで」 「……名札、ついてますけど」 「え、ああ。ごめんなさい。あ、の……えーと」  あ、と思ったときにはもう遅い。社員章の下に、会社名と、名字。恥ずかしい。どうしよう、さっきのひとたち、これ見てたんだろうか。  なにより、この子の声が思っていたよりも低かったことに驚いてしまって、思わず声が裏返る。そういう性別の人もいるっていうこともわかっている。けど、脳が処理を拒否している気がする! 「とうち、だけど」 「そう、トーチさんね」  明らかに男性の声が聞こえてきて、私は不躾ながら彼をじいと見てしまった。  うそでしょ! なんで!  失礼に当たると思って口には出さなかったけれど、あんぐり開けた口で察したらしい〝彼〟は曖昧に微笑んだ。 「別にいいとは思います。そういうの」  名前はない。 「〝オレ〟を〝わたし〟に、できるならね」  ナチュラルに男と女を入れ替わる声。どちらも同じトーンであるのに、不思議と耳に残っている。 「……ひとまず、注文。話はそれからね」  店員を呼ぶボタンが、軽快なメロディを響かせる。この日から、私の向かいにクリームソーダが目の前に置かれるようになってしまったのである。
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