明るさを教えて

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 甘いドリンクなんて、いままで頼んだことなかったじゃない。  私は配膳されたドリンクを見て、ため息をつく。今日も彼のと私のが逆に置かれていて、向かい合わせのサラサラで手入れの行き届いた髪、彼の前に、私のためのブラックコーヒーが置かれている。 「やっぱり、だめだったね」 「うるさいわよ」 「さすがに店員さんの一人や二人、トーチさんのこと覚えてそうなのにね」  あれから一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、三ヶ月まであとわずか、というところまできた。  なぜか自分がこの駅で降りるときに、このカフェの前でぼんやりしている彼に出会うのだから、本当によくわからないと思う。  時間も、曜日も、全く違うのに、だ。  残念ながら営業担当のわたしは日々会社と電車までの往復に、各担当エリアを通る。いくつかの大学も近いので、当然学生の集団下校のタイミングに重なることもある。けれど、彼に会うことはなかった。  なのに、この駅にきて、この場所にくると彼はいるのだ。エスパーかなにかの存在を疑ってもいいと私は思っている。 「たまには人工甘味料でも味わってみない?」 「そんな甘ったるいもの、」 「おいしいのに、あーんしてあげよっか」 「……っ、いらないわよ」  なにを期待しているのだか。パフェ用の長いスプーンが、私に向けられる前に、彼の口に吸い込まれていった。  別にたかられているわけではない。最初の一回以外は割り勘、もとい自分が支払うべき額だけを払っているし、格好も毎日違う。今日は鮮やかなブルーのセーター。  何を着ても似合うのだから、もっと奇抜な格好をしたらいいのに、彼は日々シンプルさを追求しているようにも見えた。  ギャザーの寄ったブラウスを着ることにも飽きてきた自分にとって、非常に、羨ましいことだ。これが暗黙の了解で制服化していることにも、非常に、不満なのである。 「トーチさん、あのさ」  今日はやけに甘ったるい声で語りかけてくる。一回り大きめのニットから隠れた手の甲に隠したなにか、今日は女子の気分のようだ。 「どうしたの、アキラ〝ちゃん〟」 「ちぇー、またそうやって」 「自分がそうしろって言ったんでしょう」 「まあ、そうですけどぉ」  女子大生よろしく、ふう、と頬を膨らませて、可愛らしいふりをしたところで、身体的には、おそらく彼は男性なのだ。気を許しすぎてはいけない。  あの絡まれた男たちにだって、ああしとけば穏便に済むから、と言っていたけれど、どうやったらあの状況が穏便と呼べるものだったのか、私にはわからない。  私の存在それ自体が想定外だったであろうことは、まちがいないのだが。 「今日は化粧品買いに行くから、ね。一緒に」  とろんととろけたチョコレートのような甘ったるさで誘いをかけてくるのは、たぶん一ヶ月ぶりくらい。  機械を通した通話であれば、ホンモノの声の仕事をしている人間にしか聞こえない声質の彼が出す猫なで声は、それはそれは、やわらかいものだった。  私だって。  浮かんでは消える黒いモヤモヤを、できるだけ押し込めて、私は彼に呟いた。 「普通にひとりでいったらいいじゃない」 「トーチさんも一緒じゃなきゃやだ」 「うるさい、こっちは」 「仕事の合間の息抜き、でしょ。もう何回も聞いたって」  そんなしかめっ面してたら、眉間にファンデ溜まるよ、なんて。  言われなくても、わかってる。来月は決算月。がんばらなくては、ならないのだ。こっちはこっちの世界で生きている。口の中をブラックコーヒーで潤す。酸味が強すぎるのは、きっとこの店の店主が関東の人間だからだろう。  深煎りのほうが好きだとしってしまったのも、つい最近、出先で飲んだコーヒーがおいしかったから。  関西風で処理されたものが美味しい、なんてはじめて知った。できたら仕事じゃないところで、知りたかったのだが。  きっと、アキラはそんな世界にはいないのだろう。羨ましい。ああまた出てくる。  ないものねだりをするくらいなら、あるものを探せって、日々同僚に言っている自分が、こんなことに固執して。 「仕事くらい、適当にしたいわよ」  自分が気にしていることも、わかっている。モラトリアムに浸れるほど、現実は甘くないし、文字通りにそれを浴びていた自分ができることなんで、せいぜいこの体をどうにか酷使して成立するものだ。 「たまに〝あたし〟と遊ぶくらいじゃ、不満?」  むう、と膨らませた頬ですら、つやつやで、張りがあって、かわいい。 「そういうわけじゃ」  オンナノコの横にいる自分が、どれだけ、と思うだけで、本当に、気持ちが落ち込むのだ。それを知ってか知らずか、アキラは言う。 「じゃあ、〝オレ〟なら見てくれる?」  まんまるの瞳が、私を捉えてはなさない。  その瞳に写っているじぶんが、くたくたのよろよろで、悲しくなる。 「トーチさんの求める形に、なるからさ」  それを知る機会など、一生来ないほうがいい。  ゆるく混じったハスキーボイスが、私の鼓膜を揺らしたのだった。
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