秦荷坨

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秦荷坨

女児は女の声を無視して、小石拾いに熱中しているようだ。 「さ、阿鼻さま。お父上の大事なお客さまですよ。粗相があったらこのアワまで怒られてしまいますからね、どうぞお部屋にお戻りください」 「うーん、もうちょっと待ってね」 女児は小さな小石をもうひとつ摘まんで、左の掌に載せると、それでようやく腰を上げた。女は素早くその手を取って、屋敷に連れ戻していく。 そこまで見てから、雄蛇はふたりの後を追った。 上がり段の手前にある太い柱をつたって板の間にあがると、長い渡り廊下に出た。左にも右にも部屋の戸が続いている。雄蛇は女児の足音のする方向に頭を向けた。 廊下の曲がり角まで進んだとき、小庭をはさんで向こう側の部屋からさきほどの、アワと呼ばれた女が出てきて、後ろ手にぴしゃりと戸を閉めた。 あの部屋に女児がいる、と雄蛇が再び這おうとしたそのとき、彼は自分の尾が持ち上げられたのを感じた。 逆さまに吊り上げられると、雄蛇の目の前に髭面の男の顔があった。男はふん!とうんざりした顔をして、腕に勢いをつけると、屋敷の外に向けて思い切り腕を振った。すると蛇は宙を飛んで、庭の隅に放り捨てられた。蛇は落ちた姿のまま動かないでいたが、まぶたのないその目はじっと屋敷を見ている。 「お、蛇か」少年が男に声をかけたのが聞こえた。 「死んでおりましたゆえ、捨てました」 「そうかなあ。動いていたように見えたが」 少年は足を止めて、廊下の縁から蛇をじっと見ている。 「生きてたらもっと面倒なことになってましたぞ。なにしろ荷坨さまはいたずら好きじゃ。丹比家の大事な姫に何をするやら」 「お前は大人の癖に何も知らん。おなごは蛇に身体を這われるのが好きなのじゃ」 「シッ!この家の姫さまに、いたずらはなりませんぞ。顔を見るだけ、声を聞くだけですからな」 「ふん。父はそんなに丹比が大事か」 「このあたりの有力者です。御屋形さまのお考え次第では、荷坨さまの許嫁になられましょう」 「ふん。それでは顔を見んとのう。つまらぬおなごは嫌じゃ」 少年とお付きの男は庭に背を向けて、女児のいる部屋に向かって歩きだした。
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