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偶然か、必然か
「?!」
その驚き方は正しい。なるべく足音を殺しながら近付いて、肝を潰す勢いで曲がり角を飛び出したのだ。しかし、目を白黒させたのは何も相手だけではない。僕も同様に息を呑んだ。
鼠色のジャケットに白い細身のパンツを履きこなす成人女性が、首根っこを噛まれた猫のように身動ぎ一つしない。よく見ると、足は地面から離れており、背後にいる人間の支配下に置かれているようだった。抵抗のために暴れた形跡が残る髪は、寸暇のうちに宥められた名残りだろう。女性の安否が判然としない中、同時刻、同空間で学校教育を受ける身にある僕が、僕だけが今この瞬間に理解できたこと。それは、
「瀬戸海斗」
韜晦を装うフードの影に隠れた顔を正しく認識し、口に出すことであった。町中でクラスメイトと路上で鉢合わせる事はあれど、強姦の加害者として相対する機会は終ぞないだろう。呆気にとられた身体は縄で縛られたのと変わらない硬直具合にさらされた。
瀬戸海斗の手中に収められていた女性が突然、前のめりで倒れ始める。危機を察知した人間の手は、それを遠ざけるために腕を目一杯伸ばして防御姿勢を取るものだ。しかし、意識がないであろう人間が取るべき姿勢などこの世に存在せず、コンクリートの地面を真正面から味わう他なかった。土の入った麻袋が地面に雑然と置かれる鈍い音と似た不穏な音を耳にした直後、真珠のネックレスが弾けるように白い歯が数本、飛び散る。
僕は皮膚に粟立つ鱗を持った。寒気や冷や水などの対外的な原因を除いて、「血の気が引く」という形容詞に即した身体の芯からくる冷えで身震いする。先程まで口の中で鎮座していたはずの歯が地面に転がる違和感は、卑近な事として腑に落ちてしまった。もはや額面の上で繰り広げられる出来事のようにお客様気分でいれば、血気盛んに走り出す瀬戸海斗の姿で僕は現実に引き戻された。
有無を言わさず制圧する気概に溢れた形相に気圧されて、絡れた足に尻を着かされる。地面に倒れた女性の姿が自分と重なり、僕は充分に膨らんだ肺を押し潰すつもりで叫ぼうと口を開けた。
「君、やりすぎだよ」
空から降ってきた人影が、僕と瀬戸海斗の間に割って入ると、さながら僕の盾として立ち塞がった。
「糞」
去り際に残す言葉の取捨選択に、「糞」を選んで誹るとき、あまりに苦し紛れな口吻だと結論付けられる。瀬戸海斗は、人間離れした跳躍で二階建ての屋根へ飛び乗り、闇夜の帳に紛れて消えた。
「大丈夫?」
目鼻立ちのはっきりした顔に乗っかる薄い化粧と銀縁の眼鏡は社会に即した座持ちの持ち主で、自立という言葉に齟齬がない女性だった。だが、先刻の身のこなしから僕を庇護する道理を鑑みると、浮世離れした人間であることは間違いない。僕は、浮力を得たように立ち上がって、つかぬことを口走った。
「僕を、匿ってくれませんか」
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