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トイレの個室の中からは、上の隙間から僅かに天井が見えるばかりとなっている。しかも電気を消しているので、トイレの中は非常に暗い。窓から月明かりが入ってくるせいで、辛うじて青く照らされているというだけだ。
――お願い、私に気づかないで。そのままどこかに行って……!
天井付近に、“それ”の影が黒く浮かびあがっている。ゆっくりと、ゆっくりと、影がこちらの個室の方へと近づいてくるのがわかった。やはり、自分がここにいるのがわかっているのか。耐えられなくなり、ぎゅっと祈るように手を握って目をつぶる。
自分は、何も悪い事なんてしていない。
ただ、友達に言われるがまま七不思議のひとつを試しただけだ。それで、ほんのちょっと刺激的なものを見たかっただけなのである。別に、動画を撮影してSNSにアップしようとか、そういう面白がるようなことをやろうとしたわけでもない。本当の本当に、ちょっとした出来心のようなものだったのである。
――お願い、神様!もう、懲りました。二度と、面白半分に七不思議に近づいたりしません!毎日がつまらないから、楽しいことが起きて欲しいとか、刺激的なイベントが欲しいなんて望みません!くだらない妄想したりとか、しません、だから!
だから、お願い助けて。
そう思った瞬間、ずるり、と這いずるような音が止まっていた。重苦しい気配。背中に、冷たい汗が伝う。見てはいけない――わかっていても、瞼を持ち上げることを止められなかった。
ドアには、一見、何の異変もないように見える。しかし。
――!!
個室のドアの前。下の隙間から、黒い影がちらちらと動いているのが見える。そう、明らかに蠢いているのだ。美郷は恐る恐る視線を上の方へと持ち上げていった。がくがくと足が、肩が、祈るように合わせた両手が震える。そして。
「ひっ」
トイレのドアの上から、こちらを覗いているものと目が合った。そいつはドアに手をかけて、真っ赤に血走った目でこちらを見下ろしている。
にたり、と真っ黒な影の中で、赤い口が三日月型に開いた。ずらりと並んだ歯が見え、鋭い牙が覗き、そして。
「い、いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
そこで、限界。
美郷は絞り出すように、凄まじい声で叫んでいたのである。
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