私はビーチサンダル2

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私はビーチサンダル2

私は車庫の中から自転車を出してまたがると、庭でそんな私の姿を見守る飼い犬にだけ、そっと小さな声で「行って来るね」と告げる。 鎖で繋がれ、普段から滅多に吠えることはない大人しいその犬は、真っ黒な目で、家を去る私のことをじっと見つめていた。 この黄色い自転車だって、一緒に店に選びに行き、私に買ってくれたのは父だった。 私が上手く乗れるように庭で練習をしているのを横で眺め、褒め、時には叱咤し、指南してくれたのも父だった。 そうして、何度もコンクリートの上で転び、脚や腕を痣やすり傷でいっぱいにした私が、上手く濃いで、上手く走れるようになった頃に、一緒に喜んでくれたのも父だった。 私は、ちっとも不幸なんかじゃなかった。 ただ、朝になって太陽が昇るのは東からだと言うことを知っていて、その瞬間を見られる場所が海である、と言うただそれだけの理由から、私は海へと向かうと決めた。 そのはずだった。 それで、朝焼けを見て、日が昇って、両親が目を覚ます前に帰宅すれば、怒られることもないだろうと思っていた。 海までの道は、とても長い下り坂になっていて、途中から急な角度へと折れ曲がるが、カーブなどはなく一直線で行けるので、どれだけスピードを上げても恐ろしくはなかった。 そこを、既に十分すぎる程に速度は出ていると言うのに、私はペダルを漕いでもっと、もっと、もっと早く、と自然へと強請るように、それだけを考えて脚を動かした。 風が鼻や額を叩いて、耳や頬を切るように勢いよく撫でて行くのが気持ち良かった。 私に見えているのは緑に囲まれた、一本の車一台通っていない道路の薄いグレーと、淡く黒と紺が剥がれて行く広すぎるキャンバスを支える真っ直ぐな一本の線だけだった。 辿り着け、辿り着いたら、私は、私は何をしよう。 砂浜に一人で座って何をしたら、気は晴れるだろうか。 何か、機嫌の良くなるような出来事って、ないだろうか。 そう考えているうちに、ポツリポツリと弱く肌を打つ、大きめの水の塊が、私の漕ぎ進める自転車の勢いの良さのせいで、たくさん身に纏うキャミワンピースへと染みを作りはじめた。
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