私はビーチサンダル3

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私はビーチサンダル3

見慣れた故郷の天井を見上げれば、細かな星屑がまだ幾つか東の陽光に吞み込まれずに残っている。 つまり、これは天気雨と言うやつで、そんなに長い間降るものではないと言うことだ。 だったら、私はやはり海へ行くべきだろう。 どうせ濡れるのだから同じことだ。 私が海へ向かう目的はもう変わってしまっていた。 だって、どうせ、私の存在は忘れられてしまっていて、私に残された愛情はこのビーチサンダルだけなのだから。 ビーチサンダルだったら、海水浴で忘れ物として捨て置かれても、すぐに新しい可愛らしいものを安く手に入れることなど容易いだろう。 その程度の値段であって、夏場であればコンビニですら売っていることのある代物だ。 私はピンクのビーチサンダル。 だから、海に置いて来たって良いのだ。 きっと新しい、新品の、もっと素敵でイイヤツがすぐに見つかるのだ。 そしてそんな一年の中で数回程しか役に立つことはない、すぐにボロボロになって捨てられてしまう運命にある、ゴムとプラスティックの靴とも呼べないただのゴミは、せめて海と共にあることの方が幸せなのかもしれない。 私は、ピンクの、Sサイズの、ビーチサンダル。 雑貨屋で210円。 それが私の価値であって、今日海に忘れられたのだ。 そう思うと、なんだか気分が良かった。 やった! 自分のご機嫌を取る方法を思いついたぞ、と言う気になって、私は浮かれた。 雨粒でキャミワンピースを重たくしながら、海へと到着した私は、黄色い自転車を道路の終わりである行き止まりの部分に停めると、一発だけ蹴っ飛ばした。 その自転車は、ガタン、と音を立てると、あっさりとコンクリートの上に横になった。 思い出が嫌だった。 哀しくなるから嫌だった。 どうして私のことを殴ったりするのなら。 どうして私のことを可愛がったりしたの。 幼い私には、大人の人が、親と言うものが、完璧な人間ではないと言うことも理解出来ていなかったし、そのビーチサンダルを用意してくれたと言う行動が、母なりの精一杯の愛情だと言うことにも気づいていなかったし、憎むと言う行為そのものもあまり上手ではなかった。 ただ、無邪気に、喜怒哀楽、の四つしか持っていなかった。 道路の部分から斜めに下の広い砂浜へと続いている、石で作られた短くて小さな階段を下りると、そのまま真っ直ぐに行き来する波が濃い白い台地を砂鉄だけに変えているように黒く染めている箇所を目指して歩く。
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