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雨の音を願う
梅雨の時期にも雨がほとんど降らなかったこの年は、やはりと言うべきか、ひどい干ばつにより農作物は壊滅的な被害を受けた。隣村とは山二つほど離れ隔絶され、自給自足が基本のこの村では、作物が採れなければまともな生活が送れるはずもない。
『龍神さまに花嫁を捧げよう』
村人の誰かがそう提案した。
それは、きっと誰もが心の片隅に考えていたことだった。
そして、その花嫁に選ばれるのは、身寄りのない咲であろうと少女自身も思っていた。
「すまない咲……」
そう涙を流しながら頭を下げる年老いた村長夫妻に、咲は笑顔で花嫁になることを了承したのだった。
幼い頃に流行り病で両親を失った咲は、村長の家に引き取られた。
実の子供のように大切にしてもらったと思う。
咲は、生まれたときから右目の下に青い痣があった。
どういう訳か雨が降る前になると、色が濃くなる不思議な痣。
そんな奇妙な痣を持った咲だったが、それを理由に虐げられることはなかった。むしろ、一部の村人たちからは崇められていたようにも思う。
今回の龍神の花嫁に選ばれた理由も、身寄りがないからというだけではなく、《雨を予知する不思議な痣を持つ》ということも理由の一つだろう。
生きることに未練がないわけではない。しかし、このまま日照りが続けば村が大打撃を受けるのだ。もしかしたら親しい誰かが亡くなってしまうかもしれない。それが、年老いた村長夫妻である可能性もある。両親を早くに亡くした咲にとって村長夫妻は親と言っても過言ではなかった。
そんな二人に置いていかれることは恐怖でしかなかった。
置いて行かれるくらいなら、自分が犠牲になった方が良いと思うくらいに。
だから、笑顔で了承したのだ。
儀式が行われる日。
この日も空を仰げば、雲一つない青が広がっていた。
咲は今まで着たことがないような上質の布で作られた着物を纏った。これは、儀式のために村人の家々からかき集めたものを、女衆が徹夜で縫い上げたものだった。
龍神の花嫁になるために作られた、言わば花嫁衣装なのだ。
咲はこれから、手足に重枷を着けて龍神の泉に投じられる。
花嫁になるというのは、これから生け贄として死ぬ咲の苦痛を和らげるための方便であることは、無知な咲にも分かっていた。
生身の人間が重りを着けて水に入れば溺れる以外にはないのだから。
生け贄を捧げても雨が必ず降る確証はない。
けれど咲は『どうか、村に雨の音を……』と願う。
儀式は簡単なものだった。
木で造られた舟に乗り、泉の真ん中まで移動する。
そこで、祝詞を唱え、あとは池に身を投じるだけだ。
バシャンッ
コポコポコポッ……
咲は目を閉じて耳を澄ます。
ポチャッ、ポチャッ
パラパラパラッ
薄れていく意識の中で、雨粒が水面を叩く音が聴こえた気がした。
*****
昔々、龍神には伴侶がいた。
仙女だった彼女と何百年も仲睦まじく連れ添ったが、永遠を生きる神とは違い彼女の寿命が訪れた。
『いつかまた生まれ変わって、貴方の元に来るわ』
悲しみに暮れる龍神に、そう言って仙女は泡となり消えた。
龍神は待った。
何百年もの年月が過ぎても、彼女への想いは変わる事はなく、むしろ愛しさが増すばかりだった。
そしてある日、愛しい彼女と同じ気を纏った少女が龍神の元へ訪れた。
龍神の花嫁となった少女は、彼と眷属の契りを交わし、永い年月を幸せに過ごしたという。
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