老人と雨

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老人と雨

 雨が降りはじめると、この老人は決まって窓際から離れなくなる。  水滴に歪む景色が楽しいのか。それとも雨音が若い頃の記憶を呼び起こすのか。その表情はとても穏やかで優しく、まるで遠く離れた恋人に漸く会えたような顔で外を眺め続けている。  数年前に山で保護されて入院。身寄りも無かった為、福祉課がこの老人ホームへ入所を手配した男性。  陳旧性の脳梗塞、認知症の診断あり。保護された時から徘徊と放尿、ベッドを使おうとせずテーブルの下や壁沿いの床で寝るといった行動障害が見られていた。  この“雨が降ると窓際から離れなくなる”という行動もその頃からずっと続く奇異行動のひとつで、雨が降っている間は寝食も忘れひたすら窓に張り付き、独り言を呟き続けるのだ。職員が声を掛けると、 「もう少しだけ。もう少しだけお願いします」 と普段の様子からは考えられない程にはっきりと、とても丁寧な口調でお願いしてくるのだが、オムツ交換の時間だ食事の時間だと強制的に連行される日々を過ごしている。
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