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レイニーレイン
「ファミレスの駐車場に来てる」
彼女の携帯にそう送った。
本当に貰った午後からの有休を、こんなことに使っている自分が情けなくなる。
休日にしなかったのは、彼女がつかまらない可能性があったから。平日彼女は仕事終わり7時頃、きっちり家に帰って来る。
ファミレスは、相変わらず幸せそうな人たちで賑わっていた。
暫くして、彼女から返信が来る。
「会えないよ」
そこを説得し、なんとかもう一度だけ会おうということになった。
ラストチャンス…。
彼女を車の中で待つ。初デートの時でさえこんなに緊張はしなかった。
今にも雨粒が落ちてきそうな夜。
初デートの時はまだ暑かった。雨だったけど、これから何か始まる、という期待に胸膨らませこの街に向った。そして、思い描いた通り、いやそれ以上に満ち足りた気持ちで帰途に就いたあの日。
あれから数か月……。
彼女が見えた。
ゆっくり歩いて来る。急激に高まる緊張感。
ドアを開け、彼女が静かに入って来た。
そのあまりに曇った顔つきに、咄嗟に言葉が出て来ない。
「亜美……」
俯いたままの彼女は、何も言わない。
直接会えばきっと……、という考えはあまりに楽天的過ぎた。
「電話でも言ったんだけど……」
強烈な無力感に襲われながら、彼女を思い留まらせようと、同じ言葉を繰り返す。
彼女は何も言わない。
言葉は15分もしないうちに尽きた。
どうにもならない時間が、止めることも出来ずに流れていく。
いたたまれなくなり言ってみた。
「海の方に歩いてみようか」
目を伏せたまま、にこりともしないで彼女は頷く。その横顔に胸が苦しい。
「優ちゃん!」
彼女に会いに行く日、ただ あの声が聞きたくて、車に飛び乗った。
頭をそのことで一杯にして、そのことだけを考えて彼女の街へと走り続けた。
だが、今日は違う。
目の前の彼女はもう「優ちゃん」とは呼ばない。
ファミレス横の細い道を初めて通り抜けた。
沈黙に耐えられず、呟いてみる。
「この道、初めて通ったな……」
意味の無い言葉が虚しく路地を彷徨う。
海は風が強かった。
防波堤から向こうの街の明かりが綺麗に見えて、黒い海に揺れていた。
出会って三月。会う度彼女が好きになった。
躊躇いはあったが、ぼくは彼女の言葉を引っぱり出した。
「わたしは変わらないわ、って言ってたじゃない」
無言だった彼女がポツリと言った。
「あの時は……、ほんとにそう思ってた」
「……」
返す言葉もない。
今更過去の言葉を持ち出し、どうなるわけもない。
海は暗く、風はもう肌寒かった。
表情ひとつ変わらない横顔はずっと目を伏せたまま、自由な時を待ち続けている。
言葉もなく潮風にあおられ、防波堤の前にただ立っているだけのぼくら。時間だけが容赦なく過ぎてゆく。
真夏に2人が出会った。
駆け抜けるようにストーリーを紡ぐ度、季節は夏から秋へと変わって行った。
出会ったことのなかった愛しい恋の形……。
ハッピーエンドを信じて疑わなかった。
だけど、今ぼくの目の前にいるのは、ぼくの知らなかった彼女。
(こんな顔をする彼女がいたんだ……)
物語の終わりにこんな結末が用意されていたなんて、思いもせずに幸せに浸っていた。
ぼくは急ぎ過ぎたのか。ぼくは間違えたのか。
今、目の前の彼女との距離は2人の家よりも遠い。伸ばせば届くその手を握ることはもう出来ない。
(あの時に戻れたら……)
だが、時間は戻らず、刻々と進み続ける。
(……この流れを止められない……)
思わず天を仰ぐ。
雨粒がほおの上に冷たく落ちた。
「わかったよ。帰ろう」
あの人懐っこかった彼女はもういない。
ぼくらは、今終わった。
あの夜、駐車場で彼女と別れ、一人引き返して海に投げ捨てたぼくらの全て。
溢れる思いも眩い記憶も、彼女の街の暗い海の底に遠く投げ捨て、鍵をかけた。
荒れ始める海。次第に雨脚が強まる。
互いのことを深く知りもしないで、身勝手な恋に落ちていた。
「雨の日のドライブもいいね」
ふと蘇る彼女の声を掻き消すように、一人呟く。
「別々に生きて来た2人が、たまたますれ違っただけ」
言い聞かせるように繰り返す。
「……そう、すれ違っただけ」
傘を差すカップルが横を通り過ぎる。
顔を伝う雨を拭いもせず、ぼくは一人車に戻る。
静かな車内。もう横に彼女はいない。雨音だけがソフトトップを打ち続けていた。
流れる雨はフロントウインドウを滑り落ちる。あのカフェで見た窓ガラスみたいに。
(もう、いいだろ、俺……。帰ろう)
だけど、どうしてもアクセルを踏めない。
溢れるものを止められず、ステアリングにうつ伏せる。
冬が近づいていた。
どんな言葉も、誰の優しさもぼくを慰めることなど出来なかった。
時間だけが必要な頃もある。
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