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初めての日は雨
「オープンカーの天井に雨が落ちると、こんな音がするのね」
初めてのデートは雨だった。
迎えに行くのにうんと早く家を出た。なにせ2人が住んでいる所は県境を2つ跨いだ。
途中でガソリンを入れて、ついでに洗車もしてもらう。
(十分間に合うよな)
お昼1時の約束。待ち合わせ場所は彼女の街のファミレスの駐車場。
15分くらい前にファミレスの看板を見つけると、傘を差して立っている彼女が見えた。
(えっ、もう……?!)
彼女の家から近いという話だったので、5分位前に来るのだろうと思ってた。
駐車場の入口で「ごめんね」を言おうと窓を開けると、満面の笑みで彼女が言った。
「優ちゃん、久しぶり! 元気だった?」
ぼくらが会うのはこれが2回目。たけど、何の躊躇いもなく「優志」のぼくを「優ちゃん」と呼ぶ。そんな彼女の人懐っこさに惹かれていた。
ぼくが彼女と初めて会ったのは3週間前。友人と夏の定例飲み会をしていた時、隣のテーブルにやって来たのが彼女と彼女の友人だった。
女子2人旅の彼女達はたまたまぼくらの街に立ち寄った観光客。
ぼくが26、彼女は22の夏だった。
カウンターとテーブル5つの店はさして広くはなかったが、洒落ていて他県からのお客さんも時おり訪れた。店にはいつもマスターとアルバイトの麻友ちゃんがいる。世話好きのマスターが、出会いの場を用意したくてやってるような実益無視の趣味のお店だ。
そこへやって来たのが、彼女達だった。
話しかけるのに丁度良い距離、暗めの照明、心地良いBGM。話は自然に盛り上がった。これも全てマスターの腕。
帰り際、彼女の
「また、会えたらいいな」
の一言で、ぼくらのやり取りは始まった。
あれから2週間。お店で会って以来、久しぶりの再会。
彼女を車に迎え入れる。
「雨じゃなかったら良かったんだけどね」
そう声をかけると、
「私は大丈夫だよ。優ちゃんとならきっとどこでも楽しいから」
などと言う。
そんなに買い被られるのは怖いなと思いつつ、そのストレートな言葉は結構効いた。
その日は「スイス村に行こう」という話になっていた。
全国にスイスをテーマにしたパークは色々あるのだろうけど、ぼくらが目指していたのは山の上の長閑なパーク。9月の休日にはピッタリだと思ったのだが、生憎の雨。9月は意外と雨が降る。
靄の立ち込める雨のトンネルを抜け、山道をロードスターで上っていく。晴れの日のためのオープンカーだが、キャンバス地に直接雨を感じるのも好きだった。
だから、信号を待つ間、彼女の言った、
「オープンカーの天井に雨が落ちると、こんな音がするのね」
の言葉は嬉しかった。
「布一枚を挟んで雨を感じるのもいいでしょ?」
「そうだね、ちょっとスリリングな感じかな」
「エアコンはちゃんと効くから快適だし」
「そう言われると、こんな雨のドライブもいいね」
初めてのデートということで、リップサービスもあっただろうけど嬉しかった。
「オープンカーって、車の原点を感じられるクルマだと思うんだ」
ほんとにそう思ってた。
道路は前も後ろも空いていた。こんな雨の日にスイス村に行く人はいないのだろう。
「だんだん高くなってきたね」
「そうだね」
エンジンの軽いビート、雨をはじくロードノイズ。霧が濃くなるワインディングロードをゆったり走りながら、次第にぼくらは2人だけの世界に入っていく。
思った通り、雨のスイス村はガラガラだった。ディズニーやUSJみたいに館内アトラクションなんてものはない。だから雨の日、人は来ないのだろう。それで遠慮なく園内を歩き回れる。傘一つで2人の距離を縮めながら。
「雨のパークも雰囲気があるね」
そんなことを言いながら、彼女はすっと腕を絡めてくる。
どきっとして心拍数が上がる。
慣れているのか天然なのか。こんなことができる女の子はそのどちらかだ。だが、どう見ても彼女は後者だと思う。
休憩で入ったカフェの窓から外を眺めて、雨に感謝していた。
「このカフェラテ、すごく美味しい!」
少し冷えた指先をカップで温め、美味しそうにラテを飲む姿が可愛い。大人っぽい長い髪と少女のような愛らしさの危ういアンバランス。それが彼女の魅力なのかもしれない。
雨水がゆっくり窓を流れ落ちていく。滑るように上から下へ、まるで何かを洗い流すみたいに。
「どうしたの?」
彼女が聞いた。
「あ、ごめん。流れる窓の雨粒を見てた」
「きれいだよね……。何かが洗われていくみたい」
「そう思う? おれもそう思ってたんだ」
考えることまで一緒だなんて、きっとぼくらは上手くいくに違いない。ぼくでなくてもそう思っただろう。
「ね、あそこにチャペルがあるでしょ。後で行ってみようよ」
「そうだね」
ぼくらは支払いを済ませ、店を後にした。
チャペルはオレンジを基調とした洋瓦。僅かに黄色味を帯びた白い壁のシンメトリーなデザイン。左右で柔らかな弧を描き、頂点で繋がる入り口のアーチが美しかった。
石段を上がり、ボーチで傘を畳む。
少し重い扉を押して、中へ足を踏み入れてみた。
外より1,2度低いだろう。誰もいないチャペルは静まり返っている。
中央に通路が通り、左右に長椅子。壁にぽつぽつ明かりが灯っていた。
正面にステンドグラスが浮かび上がる。
「静かだね……」
ぼくらは惹き寄せられるように、中央の通路をゆっくり進む。
足音が響く。それはきっと神聖なアルゴリズム。
ステンドグラスはマリアを描いていた。
「綺麗ね……」
仄かな明かりの下で、ぼくらはどちらからともなく手を繋いだ。
触れ合う指先。柔らかくしなやかな彼女の手のひらを感じ、閃くような幸福感に包まれる。
ぼくらはそのままマリアを見つめ、暫く無言で立っていた。まるで明るい未来を見つけたみたいに…。
屋根に落ちる雨音だけが響いていた。
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