会津戦争

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会津戦争

 二百六十年続いた徳川治世が崩れ去るとき、血で血を洗う戦いは起こった。なかでも、もっとも苛烈を極めたのが、奥羽越(おううえつ)列藩同盟軍と新政府軍が激突した会津戦争だった。  大儀の名を借りた理不尽な車輪は、深い(わだち)を残しながら、罪のない人びとの未来を踏み潰していった。 5f76350d-fdeb-4dba-a371-23c5e1801978 「死ぬどぎは一緒だよ!」  斬髪した髪。額に巻いた白羽二重の鉢巻きに白襷(しろだすき)。稽古着の義経袴(よしつねばかま)。白足袋に草鞋(わらじ)、腰に差した大小と手には薙刀(なぎなた)。  会津がなぜ賊軍なのだ。時代はいったい、何を見誤ったのだ。  汚名を(こうむ)った会津のため、戦いを挑んだ女たちがいた。  四斤山砲(よんきんさんぽう)が土煙を上げ、絶え間なく銃声が鳴り響く中、中野竹子が声をかぎりに叫んだ。 「生け捕られるな! 恥辱を受くるな!」  薙刀(なぎなた)を手に走り出した竹子を追うように、娘子隊(じょうしたい)は走った。
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