例えばこんなオープニング

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 週末。明日が休みということでぱーっと飲みに行き、弾んだ気持ちのままアパートの階段を上って玄関を開けたら、なんか男が土下座してた。 「大変申し訳ありませんでしたぁ!」  取り敢えず、閉めた。念のために鍵をかけて。 「ちょ! お待ちください! わた、わたくしあの、あなた様にお許し願いたいことがございましてですね!!」  内側から普通に鍵開けて出てこられた。くそっ どうして逆じゃないんだ! 大体不法侵入だろ! 「あのですね、あの、……取り敢えず中へどうぞお入りくださいッ!」 「ここ私の家なんだけど?」  ……。さて、男によって家の中に引きずり込まれた私はそのままリビングへ連れて行かれた。男はそこで正座をして、さも肩身の狭そうに私の顔色をちらちら窺ってくる。正直、勝手に人の家に上がりこんどいて何で中途半端に主導権握ってんの? とか思わんでもないけど、相手は男。暴れられると怖いに決まっている。下手に刺激はしない方が良いだろうと思いつつ、私は少しだけ距離を取って、でも相手が慌てて距離を詰めるほどは離れないようにして(追いかけられたら怖いし)じっと男の挙動を見遣った。 「あの……勝手にお邪魔してしまい誠に申し訳ありません……きっと信じて頂けないことは承知しております。ですがどうかわたくしの話を聞いていただきたいのです……。その、わたくし、気が付けばあなた様のご自宅であります、こちらのリビングにて倒れ伏しておりまして。それより前の、特に直前の記憶が不確かなので何が起こったのかと問われてしまうとお答えできないのでございます。ですがですね、わたくし、こう見えて……大変その、申し上げにくいのですが……あ、はい、ええと、……。あ! いえ、決して! 決してあなた様に害為すつもりなどないのです! 毛ほどもございません! それだけは、それだけは何よりもまず知っておいてくださいませ! ……。……はい、ですのでその、どうか落ち着いて聞いていただきたいのです。わたくし、ゴキブリとして生を受け、これまでを生きて参りました。ああっ あの、と、とりあえず! お話を! 後生でございますから……! あの、それでですね、わたくし、記憶が確かでしたらばこちらのお部屋より三軒隣にございます、この階の一番端。そこにお住いであるとある男性のペットとして大変可愛がっていただいており……いえ、あの、そんな怪訝そうな目でこちらを見ないでくださいませんか。本当にペットです。わたくし、ゴキブリでございましたから……いえ、ですから比喩ではなく! 可愛がっていただいていたのも、飽くまで犬や猫を愛でるのと同じニュアンスで、です! 我が主様(あるじさま)にそのような趣味はございません! はっ? え? ゴキブリを飼うのも理解できない? いえ……それは……はい、わたくし、女性受けしないことは重々承知しております……が、嘘ではございません。なぜ人の身になってしまったのかについては分からないのですが、つい先日、主様の元で健やかに過ごしていたわたくしは、恐ろしいものに襲われてしまったのでござ……いえ! ですから! そのような変な意味では……! ……はい、では話を続けさせていただきます……。で、ですね、その恐ろしい天敵から命からがら逃げだしてきた次第なのです。ええ、はい、こちらのお部屋まで。その時はまだわたくしの身体はゴキブリであったはずなのですが、……お恥ずかしながら、こちらのリビングにて少しお食事をさせていただいた後、身を休めるべく意識を手放したところ……目覚めればこのような姿になっておりまして。この身で外へ出ようとすれば、玄関にせよ、あるいは窓にせよ、どうしても鍵を開けねばなりません。勝手にお邪魔してしまい、あまつさえ食事までしてしまいました後のことでございます。ゴキブリであった頃ならいざしらず、そのように防犯面を崩し無責任に出てゆくことなどできなかったのです。それゆえ、このように玄関先をお借りしてひたすらこのお部屋の主であらせられます、あなた様のお帰りをお待ちしておりました次第なのでございます。この度は大変申し訳ございませんでした。謝罪と共に、深く感謝の意を示したく存じます」  さもゆゆしき事態があったのだろうと思わせる言葉で始まった男の話は酷く空想染みていて、私が顔をゆがめてしまったのは致し方ないと思うのだ。当の男は深々と土下座をしているからどんな顔をしているかはわからないけど、声は神妙そうだった。  ……で? これを私にどうしろって? 「……お話は分かりました。随分お疲れのようですので病院にかかられることをお勧めいたします。ではお帰りはあちらからどうぞ」 「ああああああの! その!」 「っひ!」  玄関を指し示した私に、男は縋りつくような勢いでばたばたと私の足元までやってくると、流石に驚いて壁まで下がりきった私に触れるような真似はせず、そこで両膝をついたまま顔の前で祈るように指を組んだ。 「そのような経緯でして……! わたくしの主様はわたくしが今現在このような事態になっていることなどご存じありませんし、戻るに戻れないのでございます! わたくしは生まれてこの方主様のお部屋しか存じ上げませんし、他に行く当てなどなく……それで……それで、ですね、その、大変厚かましい御願いであることは重々承知しているのですが、わたくしをこちらに置いてはいただけませんでしょうか!?」 「はっ?」  予想外の台詞に、私は口元が引き攣るのを抑えられなかった。これで歓迎できる人がいるというのなら今すぐ私と変わってほしい。  ゴキブリだと名乗った男は私の「あり得ない!」と言いたそうな空気を察しているのか、必死に言い募ってくる。 「残念ながら人間様(ヒトサマ)のお料理は詳しく存じ上げませんが、掃除に関してはきっとお役に立てると思いますしっ 決して、あなた様のお邪魔になるような真似は……ああっ あの、今まさにすでにお邪魔しているのですけどっ あのっ あのっ」  慌てふためく様子は憐れむより先に不気味というか、恐怖しかかきたてられず、私は思わず抱きしめるようにして持っていたバッグの中から携帯を掴み、握りしめていた。男の目がそれを捉え、私が何をされるかと身を硬くした次の瞬間には、男の勢いは急速に衰え、頼りなげなものへと変わっていた。 「……っ あの、本当なんです。信じて頂けないのもよくよく存じております。それでもわたくし、わたくしもどうすればよいか分からないのでございます……」  今にも泣きそうな顔は真に迫っていて、なかなかに訴えるものがあった。これがドラマとかなら絆されるんだろうけど、生憎現実で、しかも自分が直面している事態だ。憐れむことは出来てもそれ以上は無い。 「……取り敢えず病院行かれたらいかがですか? 道が分からないのでしたら調べますし、少々お待ち下さ」 「本当なのです! 本当にっ 誓って! 嘘などついておりません! 頭がおかしいわけでもございません!」 「そういうことは警察呼びますからそっちでお願いします……」 「わああああっ おやめください! 警察ってなにか恐ろしい所なのでしょう!? こわいです!」 「怖いのはこっちだ! っあ」  耐え切れなくてとにかく足を蹴り上げると、丁度お腹に当たったらしい。男はその場にうずくまった。……私の携帯をちゃっかり奪って、それを抱きかかえるみたいにして。 「……っ」  イイトコロにあたったのか、悶絶している男から距離を取る。姿が見えなくなるのは逆に怖いから、男の姿が確認できる範囲で、ソファとテーブルを挟んで対角線上へと移動。 「すみま、せん……でも、ほんとう、なんです……」  か細い声が聞こえる。呻きながらも顔だけはこちらへ向けて、そう言ってくる。べらぼうにうまい演技だ。と思おうとしたけど、思い切りぶちかましただけに、ほんの少し、ちょびっとだけ悪いなと言う気になった。  ……そこで気づいた。この男、顔が良い。  茶色くふわふわした毛はきちんと手入れされているし、服装も清潔感はある。少なくともホームレスみたいな感じじゃない。顔色も肌の質も悪くはないし、これが外に居ても絶対に不審者にはなり得ないだろうと思わせる。一見すれば頭がイカレてるようにはとても見えないし、全然信用はしてないけど、犯罪者って感じじゃなさそうだなとは思った。まあでも勝手に家に上がり込んでたからそういう意味では犯罪者なんだけど、こう、強盗? とか婦女暴行とかってイメージじゃない。 「……そこ、動かないでくれる」 「は、はい。動きません。……というか、動けません」  力なくへにゃりと浮かんだ表情は愛想笑いの上痛みの所為か引き攣っていたとはいえ、人のよさそうな印象を与えるものだった。  念を押して、ゆっくり、ゆーっくり、男から視線を外さないようにしながら寝室へ行く。貴重品の類がどうなっているかを確認するためだ。  うちはアパートだし、1LDKで、そう広くない。素早く部屋を見渡してみたけど、荒らされたような形跡はなかった。貴重品を置いている一角を確認するけれど、そこも問題は無かった。タンスの中も問題なし。ベッドも変なコトされた感じはしない。  寝室から出て、今度はキッチンだ。冷蔵庫を開けたり、包丁の場所と数をチェックしたり。どれもこれも普段通りで、私は少しだけほっとして息をついた。 「ソファでいいから、座って。取り敢えず、質問」 「は、はい」 「まず、あんたの主様の名前。言ってみて」 「は、はい。小鳥遊(たかなし) 優雨(ゆう)さまです」  合ってる。……いや、私の部屋から左方向へ三軒隣りっていう微妙な距離感だし、ご近所づきあいとか殆どないから下の名前とか初耳だけど。変わった名字だな、と思ったから名字だけは覚えていた。痩せ形で、身長は普通。多分175cmくらいじゃないかな。前に見かけたとき髪は黒かった。襟足は長め。シンプルにワイシャツと黒のスラックスとか、黒のVネックに黒野ジーンズとか、見かける度にコーディネートが黒だから、勝手に『クロ』と名付けてたりしたのだ。 「で、あんたに名前はあるわけ」 「はい。主様には『チャコ』と呼ばれておりました」 「……」  チャコ。チャコね、うん。へえ、そう。そうなの。 「あの?」 「いや、なんでもない。次。チャコの天敵って?」 「あ、はい、えっと、蜘蛛です」 「は?」 「ですから蜘蛛でございます。アシダカグモ。ご存じありませんか? この日本においてわたくしどもゴキブリの最大の天敵なのです。何せあやつら、わたくしどもより余程素早いのです。この度わたくしが逃げおおせることができたのは大変に幸運なことでございました」  アシダカグモ……見ればわかるかもだけど、見たくはない。クモってのは分かるけど。  まあいいや。 「なんで私の家だったの」  よりにもよって、という言葉は飲み込む。すると、チャコと名乗った男は困ったようにはにかんだ。 「お隣様ですと直ぐに気配を察知されてしまうかと思いまして……二軒隣様はアロマやハーブと言ったものがご趣味なのか、わたくし、どうしても入ることが出来ず……」 「で、三軒目の私の家に」 「はい……」  左隣は女性だ。確かにアロマセラピーを齧っているらしく、かなり前にごみ出しの時に出くわして少しだけ話をしたんだけど、アロマオイルやハーブは虫よけにもなるって聞いたっけ。……今度ちょっと殺虫剤代わりに置いてみようかな。 「おやめください」 「っ 心の中を読まないでよ!」 「嫌な予感がしたものですから」  きりっとした顔で言われても見惚れる私ではない。  チャコは直ぐに真面目くさった顔をやめると、こほん、と一つ咳払いをして見せた。それから、柔らかく笑む。 「わたくしどもゴキブリはレモンやハーブなどは苦手なのです……ちなみに、塩もいけません。当初は念には念をと四軒目のお家に避難しようとしましたら盛り塩がしてございました。大変肝の冷える思いをいたしました」 「それ結構私にとってもヤな事実なんだけど」  右隣が盛り塩やってるとかやめてよ。知りたくなかったよ。ホラーはお断りです。今置かれてる状況もある意味ホラーだけど。 「ちなみに、五軒先の端っこのお宅は?」 「カップルでお住まいのようで、気が進まず」 「唐突に失礼だな!」  男っ気が無くて悪かったなこの野郎!  叫びそうになるが、今は夜。あまり大声を出すのはよろしくないと必死にこらえた。 「ちっ 違うんです! 主様もおひとりなので、複数の方がお住まいですと勝手がよく分からず……!!! ただでさえヒトというのは大きいではありませんか! わたくしを可愛がってくださる主様ならまだしも、見ず知らずのヒトさまなんて……! 怖いです!」 「こっちからしたらゴキブリの方がよっぽどだよ! あと三軒先の人もペットにおひとりさま暴露されて可哀想だな!!」  仮にチャコの言うことが本当だとしての話だけどね。ゴキ飼ってるのに恋人いる方がびっくりだけどね。まだ蛇のほうがいいわ。  ……にしても、丁度いい具合に私の家がチャコ的にはベストな位置にあったというのは理解した。一応ね。最後は聞かなきゃよかったと思ったけど。 「……えっと。なんで人間になったのか分からないんだっけ?」 「は、はい」 「保護者……は、小鳥遊さんか。でも小鳥遊さんはゴキブリのチャコは飼っていても、今の人間のチャコは知らないと」 「……はい」  追い出して戻るように言っても無理。私が同伴だったところで私が彼氏か何かと悪戯を仕掛けてると思われて私の評判が落ちるだけだしそれは是非是非避けたい。ほぼ面識のない私まで頭が残念だと思われるのは心外だ。  こうして部屋に上がり込まれて顔もばっちり見られちゃってるし、変な切り方をしたら下手をすれば粘着されるかもしれない。  言っている内容こそむちゃくちゃだけど、今の所落ち着いた様子で、態度は良好。言葉遣いは丁寧で、雰囲気もまともそう。詐欺師ってのは一目見て怪しいタイプではないそうだけど、転がり込んでいる時点で詐欺目的であるとはとても思えない。  普通だったら、たとえ顔が良い男でも絶対に警察に突き出すべきだろう。  でも、そもそもどうやってチャコが家に入り込んだのか説明がつかない。  朝、きちんと戸締りをした。これは絶対だ。そもそも窓を開けること自体が殆どないというのも大きい。窓の数自体リビングと寝室の二つしかないし。  ドアだってきちんと鍵をかけた。鍵をかけて、ちゃんとノブを引いて確認する。だから、施錠に関して私に落ち度はないはずなのだ。  チャコがピッキングで開けたのなら、わざわざ内側から鍵をかけて、何も盗まず、私の帰宅を待っているのは、おかしい。余程頭がおかしくなければそんなことはしないだろう。手の込んだ悪戯というにはその範疇を越えている。  一番可能性が高いのは病気……精神疾患だろうけど、医者でもないのにはっきりしたことが言えるわけもない。まさか家出なわけないだろう。 「百歩譲って、だけど。ここに居るのはいいとしても、私、あなたを養うつもりないし、その余裕もないんだけど?」 「あ、大丈夫です。ゴキブリなので。水分と少しのご飯……残飯などで十分です」 「えっ それはそれでなんか……どうなの」 「そう言われましてもわたくし、ゴキブリですので」  きょとんとした顔で言われてしまい、混乱したのは私の方だった。ゴキブリだからなんだというのか。  にしても、だ。  もう夜遅い。明日は休みだ。たくさん寝たい。いいじゃないか、変なことはしないと言っているのだし。もう面倒だ。疲れた。食費とかかからないならいいか。仕事で普段家にいないし。むしろ掃除得意とか言うなら存分に使ってやればいいじゃん。そうだ、お風呂も入れといてもらったら楽だし。 「……そこ、私の寝室だから絶対に入らないで」  呟いた言葉に、チャコは目を輝かせて……いや、顔いっぱい、身体いっぱいに喜びを顕わにして、やっと安心したようににっこり、笑んだ。 「はい。誓って」  何に、とはもう聞きたくなかった。取り敢えず話は全部休んだ後にしよう。そうしよう。とにかく私の脳は休息を欲しているのだ。  普段ならきっとそんなことはしなかったともうのだけど、私は化粧を落として部屋着に着替えると、チャコは完全に放置してそのままベッドへ潜り込んだのだった。きっと酒が入っていたせいだと思いたい。  こうして始まったかに思えたチャコとの奇妙な同棲? 生活。  数日後、突如として乱入してきた『アシダカグモの軍曹』を名乗るモデルもかくやの足の長い男と、ご存じ三軒隣りのおひとりさま、小鳥遊さんにより、事態は大きく動くこととなる。  のだけれど、この時の私がそんなことを知るはずもないのだった。
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