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ウタが好きだ。……一度も、きちんと伝えられた試しなんかないけど。
出会いは少し前。もう半年は経ったか。モンスターの攻撃を受けて森の中で瀕死の重傷を負っていたオレを助けてくれたのがウタだった。
最初は何が何だか分からなくて警戒から攻撃したこともあったけど、今はウタのことを一番に信じているし、気を許しても、いる。
この『箱庭』って世界(ウタがそう呼ぶからオレはそういうものだと思っている)は、土地があんまり広くなくて、いくつかに断絶してる。ウタはもっと広くて、丸い一つの世界に住んでる……らしい。そっちのが想像できない。まあ、この辺はオレの生活にはあんまり関係ないことだから興味もないんだけど。
それよりも、ウタはこの世界の住人じゃないってことの方が、オレにとっては大事……というか、看過できない事柄だ。
なぜウタが異世界人なのかが分かるのかというと、オレがウタからアオバという名前を貰って、こうして人のようなカタチを取れるからだ。そんなことができるのは異世界人だけ。普通はどうがんばったって、どんな魔法の熟練者にだってできやしない。
そんな特別な力を持っているから、神が遣わしたんじゃないかとか、使徒とか、いやもうあれは神そのもの、人の姿をした神のかけら、分身のような存在なのではなんて影では騒がれている。本人たちの前では静かにしているってのが失笑ものなんだけど、凄い力だっていうのはオレだって分かってる。
ウタみたいな存在から名前をもらうと、オレみたいな獣はそれまでとは桁違いの知識や知能、思考能力、記憶力を得る。人のカタチになることもそうだ。ただ、完全にニンゲンになることはできないらしく、耳としっぽは残る。……これは元々が獣だから、それを変えることは絶対にできないって言われてるみたいで複雑だ。別にニンゲンになりたいわけじゃないけど、ウタの近くに居たいと思うことが、いけないことなんじゃないかって思うことがあるから。
あと、お互いにそう望むとパートナーっていう特別な契で繋がりを持つことができる。ウタとオレが、今そういう関係だ。
ウタみたいな……ええと、ユーザー? のパートナーには獣しかなれない。それも、一匹だけ。他の奴がそうなるには、先になってた奴との繋がりを断たなければならない。
オレは今のところウタ以外にパートナーと認めた奴はいないし、ウタもそうらしい。そして、パートナーになってから……いや、オレを助けてくれてからずっと、ウタはオレに凄く良くしてくれている。
ウタたちは食事の必要もないらしくて(自分たちの世界では食べるらしいけど)こっちでは食べなくてもいいし、そもそもこっちに来ると味覚が反映されないから楽しめないって話を聞いた。ユーザーっていうのはみんな、こっちの世界の人の皮を被っているから、食事をしても実際に食べたことにならないんだって。初めて聞いたときは皮を被るっていう概念が分からなくて怖くてぶるぶる震えたっけ。こっちの世界にいるための肉体っていうのがそもそもウタのアバターで、本当のウタはカタチも、名前も違うんだって教えてもらった時は相当ショックだった。
ともかく、一緒に食べられないのは残念だったけど、ウタは気にした風もなく、たまに早い時間にこっちに来ることがあると、オレを食事に連れて行く。そして何が楽しいのかニコニコしながらオレが食ってるところを眺める。なのに、食事代は全部ウタが出す。獣に戻って適当に獲物を狩ってもいいんだけど、夜しかこっちにこないウタから初めてお金を渡されてそれで食べるようにって言われた時に、狩りで済ませたら全然お金が減ってないってウタが怒ったことがあった。勿体ないしお金を返せるアテもないからって言ったけど、怪我が治って体調が万全になるには栄養が必要だ、とウタは譲らなくて。それからはなるべく渡されたお金は使うようにしている。完治した今でも、それは変わってない。それどころかウタがいない間の雑務だとか用事、作業なんかをオレがする代わりに、それに見合ったお金をくれるようになった。
そう、ウタはなんていうか……オレに対してばかりお金を使う。しかもそのことに躊躇が一切ない。さも当然、みたいな感じでお金を使う。
風呂場もそうだし、ベッドもそうだ。台所だってオレが狩った獲物を調理できるようにってなんか気合入れて調えてた。家を買ったのだって、オレのためだって。……どれも、ウタは使わないものだ。必要ないものなのに。
どうしてそこまでしてくれるのか分からなくて問い詰めたこともあった。そしたらウタはでれでれ笑って、
「んー、だって、そのためにここに来たんだしねえ。他に、特に目的ってないし」
って、そんなことを恥ずかし気もなく言ってみせたんだ。
オレは嬉しかったのに胸が痛くて、苦しくて、どうしてか泣きたくなって、でも泣きたくなくて……
「……アンタ、変」
結局、くしゃっと顔をしかめてそう言うのがやっとで。こんなことが言いたいんじゃないのに、ってさらに苦しくなる胸は、ウタが笑ってるのを見て少しだけ和らいだ。
ウタのことはもう疑っちゃいない。
ウタはオレといるとき、嬉しそうだ。何をするでもなく一緒にいることが多い。オレはそういうときどうしていいかわからなくて居心地が悪いっていうか、嫌じゃないんだけど嫌、で、言葉が悪くなる。それでも、ウタは嬉しそうだ。
ユーザーの中には獣に酷い事をする奴もいるらしいけど、ウタからそういうことをされたこと一度もない。……抱きしめられたり頬ずりされるのは恥ずかしすぎて嫌だけど。そういうことじゃ、なくて。オレが本当に、嫌悪や恐怖を持ってしまうような『嫌がること』は、しない。
それを肌で感じて、頭で分かって、だからオレは幸せだし、ウタといるのが好きだ。ウタには少しくらい嫌なことをされたって、好きでいられる自信がある。オレが嫌な思いをしても、ウタが喜んでくれるならそうしてもいいってくらい。オレは、ウタの役に立ちたい。
だから……――だけど、ウタがスバルを、オレみたいに死にかけてた黒猫を抱えて家に飛び込んできた時、オレはもしかしたら追い出されるかもしれないって、それだけは嫌だって、思った。思ってしまった。
ウタは優しい。そしてそれはオレにだけじゃ、なくて。だからすごく、怖かった。ウタから要らないって言われることが。ウタがオレのこと、鬱陶しいって、もっと素直な獣がいいって、……パートナーを、特別な繋がりを断たれてしまうかもしれないことが、怖くて、でもそれ以上にすごく悲しくて……。
それでもウタのそういうところが好きだったから、スバルの看病はきちんとやった。その時はまだスバルに名前が無くて、スバルはただの黒猫だったからっていうのもある。ウタがパートナー以外の獣を見捨てるような奴じゃないって言うことは単純にうれしかったし。
「んー……じゃあ、この子は黒い毛並に綺麗な青色の眼をしているから、スバルっていうのはどうかな」
不安でいっぱいになったのは直ぐだった。
名前を与えられて人のカタチになったスバルは、ウタによく懐いた。
スバルはオレと違って素直だったし、甘え上手っていうのか、ウタにまとわりついてその手で撫でられるのをよく強請った。それを羨ましいと思うのはきっと違う。だって、ウタはオレにも良くそうしたから。……オレが、それを突っぱねてしまっただけで。
それでもウタと居られる短い時間が、さらに削られるのはあんまりいい気分じゃなかった。今まではオレがずっとウタの隣に居たのに。ウタはいつもオレだけ見ててくれたのに。そう思うのを止められなかった。
スバルは素直で甘えたで、それはウタに対してだけじゃなくてオレにさえそうだった。くるくるとオレの周りをついて回ったりするスバルは可愛くて、オレはスバルに対しては優しく接することが出来た。……と、思う。ウタに比べればオレも大分自然体で居られたから。
ウタを取らないでほしい。
でもスバルが嫌いなわけじゃない。
ウタは平等に優しい。
でも、パートナーはオレだ。だからもっとオレを見てほしい。でも、好きになったのはそんなウタだ。
相談する相手もなく煮詰まっていく思考は、最終的にパートナーとしての繋がりを断たれるその時が来たら、ウタに名前を返して野生に、ただの獣に戻りたいというところで落ち着いた。それがどういうことかは、名前を貰った時に既に知っている。オレはウタとの記憶の一切を無くして、ただの獣に戻るのだ。そうはなりたくないけど、名前を持ったまま、ウタのことが好きなまま一人になるのはそれ以上に辛いことのように思えた。
結局、それはオレの杞憂に終わった。
ウタはオレがいいって言ってくれた。オレはやっぱり素直にはなれなかったけど、ウタはやっぱり嬉しそうだった。その晩、一緒に寝ようって言われて抱きしめられた時はどうしようかと思ったけど。
スバルも怪我の治りが早くていい傾向だ。優越感を隠さずに言えば、スバルには悪いと思ってる部分もある。望まれて、相手の特別になれるのはすごく、すごく嬉しくて幸せなことだから。出来ればスバルもそんな相手と巡り合って欲しい、と思う。オレが居るからスバルはウタのパートナーにはなれなくて、だからそういう気持ちを知らないし。……まあでもだからってウタは譲れないんだけど。それも含めて、悪いって思ってるっていうのはそういうこと。
ウタのパートナーにはなれないスバルの今後について、ウタはスバルの意思を尊重すると言った。俺が知ってるんだから、ウタも野生に返すということがどういうことなのかは知っているはずだ。
残酷な反面、優しくさえある不思議な力。ウタは野生に返すのは否定的だ。だったら、パートナーにする気もないのにあんまりみだりに力を使わないでほしい。……オレの、心臓に悪い。
野生に返る気も、返す気もないってことで、スバルは今一緒に生活している。ウタに頼まれた作業を一緒にやったり、オレが料理を教えたり。スバルは要領は良くないけどひどい失敗もせず、一度覚えたらそのあともずっときちんとできる奴だったから随分助かった。ウタも喜んでくれるからオレも嬉しい。……まだ、スバルみたいに甘えられないけど。
そうだ! そう言えばウタのヤツ、スバルに『怪我が完治したら猫の姿をもふもふする』って約束してたらしい。オレは知らなくて、なんだかすごく面白くなくて、どういうことか問い詰めた。
そしたらウタは困ったように笑って、
「だって、アオバは嫌がるでしょ?」
って。
違うのに。
嫌なんだ。嫌なんだけど。でも、嫌じゃなくって。
獣の姿の時、ウタに撫で回されたことがあった。あれは、あの時、なんだかすごく変な気持ちになったんだ。
ウタの手つきはすごく優しくて丁寧で……気持ちいいのにどこか、ゾクゾクして落ち着かなくて。攻撃しようなんて思ってないのに噛み付きたくて仕方なくて。身体が熱くなって、なにかに突き動かされるような変な衝動がお腹の中でぐるぐるしていて、オレがオレじゃなくなるみたいで。それが、嫌だったんだ。ウタが嫌なんじゃない。
でもそれをどう言えばいいのか分からなくて、オレは言葉を詰まらせるしかなかった。
人の姿をしているときにウタに頭を撫でられるのは平気だ。嬉しい。
けど、獣の姿の時は駄目だ。気持ちよくてたまらないのに、おかしくなりそうで。嬉しいのに、止めてほしくて。
最近じゃ人の時でもあんまり触れていると妙な感じになってしまう。どうすればいいのか分からない。ウタに訊いてみれば答えは出るのかもしれないけど、でもどういう風に説明すればいいのか分からなくてやっぱりオレは何も言えなくなるんだ。
「じゃあ、アオバも触らせてくれる?」
だからウタのそんな言葉にも、オレの方が妥協したみたいに渋々頷くしかできなかったんだ。……ウタは、なんだかすごく舞い上がって、踊りだしそうなくらい破顔してたけど。
オレがパートナーで居られないなら野生に返るのを望んでたってことはウタには言ってないし、気づいてもいないだろう。 ウタの楽しそうな顔を見ていると、優しい手つきを感じていると、野生返しに否定的なウタにそれを強いるのはオレの我儘なんだと思った。思ったけど……だから一番最後の、自己満足でないといけないと思った。もし、もしもの話だけど。
もしもを考えてるのは知られたくない。ウタはきっと、言葉の通りオレとパートナーで居てくれるだろう。一度面倒見るって決めたら死ぬまでそうするのが拾ったニンゲンの義務だって、ウタは言った。
……義務だけじゃ、嫌なんだけど。でも、義務でも本当に死ぬまで一緒にいてくれるなら。それはやっぱり胸が苦しくなるほど嬉しいことで。それから、貰った名前に次いで特別な言葉だった。
それを、信じてないように思われてしまうのは嫌だ。
「アオバごめーん! また子猫拾ってきちゃった!」
「……アンタ……」
「でねでね、女の子なんだけど、名前何が良いと思う?」
「……っ 名前付けるの自重するって言ったのもう忘れたのかよ!」
「わっ……すれてないよ? もしつけるなら何が似合うかなって話で……」
「――~~このバカっ!!!!」
ウタが、好きだ。
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