雑草に紛れて摘んでしまわないように

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雑草に紛れて摘んでしまわないように

 トピアスが俺に欲情するかもしれない、なんて話が登ったのも今は昔。次代の寮長へ仕事を引継ぎ無事六年生を優雅に終えた俺は七年へ進級し、同時期に急に俺から距離を置いたトピアスを持て余していた。  はっきりと何かを言われたわけじゃないが、なんというか、なにかにつけつっかかられることが多くなった。軽口を言うことなんてしょっちゅうだったのに、『馬鹿っぽく見えますよ』とか言うことがキツい。ぷるぷる震えて泣いていた姿も、俺を見て顔を輝かせて駆けてきた姿も今はもう見る影もない。  ともすれば疎ましがられているのかと思うほどつんと澄ました姿に、寂しさを覚えるのは仕方がないだろう。かろうじて嫌われてはいないのかもと思えたのは、そんな風に突っぱねた態度ながらも俺と話をしてくれていたからだったが、最近はそれも怪しくなってきた。俺が何をしたって言うんだ。  七年に上がって暫くして俺が遂に弱音を吐くと、ユーゴは呆れ返った声を上げた。 「なんだお前、また気づいてなかったのか」 「なにが」 「俺とお前がついにヤったらしいと専らの噂だぞ」 「はああ?」  全くの寝耳に水……というか、それを知っていながら否定してないのかと問い詰めると、俺は卒業まで平穏無事に暮らしたいんだとなんとも薄情な答えが返ってきた。いや、薄情というか、それでいいのかって感じなんだが、まあユーゴのことだから本気で俺と噂されててもいいと思ってるんだろう。実際は何もないわけだが。でなければ放課後の空き教室で机を並べてレポートを片づけたりはしない。  学習棟は回廊上にあって、ここは二階の窓際、中庭の見える場所だが入ってくる日差しがなかなか優秀な光源兼暖房になっていた。 「なんでまたそんなことに」 「就職活動の一環で、俺と一緒に街まで行っただろ。あれだ」  ユーゴが口にしたそれに、俺は漸く合点がいった。  六年生以上になると、社会勉強だとかで街へ行く申請が出来るようになる。勿論一日ではなく、数週間から一ヶ月ほどかかるため、それまでに十分に単位を取得している生徒でなければ許可は出ない。引き抜きでその職場の教習生となることも結構あるが、俺とユーゴは街にある獣人向け短期労働斡旋所の【黒猫亭】という酒場へ行ってきたばかりだった。  俺は単に物見遊山でユーゴにくっついて行っただけのようなものだったが、前々からそういう噂が立っていた二人が揃ってそんなことをして外泊すればまあ、ついに、という声が出始めるのも自然なのだろう。俺としては釈然としないが。 「それがなんでトピアスの態度につながるんだよ……。『きゃーっ 同性同士なんてフケツ!』とか思われてる?」 「嫉妬だろう、あれは」  茶化したつもりが大真面目に返され、俺はぐう、と唸り声を上げた。ちなみにこの友人の冗句も同じ真顔で繰り出されるが、どっちに受け取ってもいいような事が多いため正直ずるいと思う。 「具体的にどの辺が。あの態度はそう言うんじゃない気がする。つーか俺に嫉妬って、つまりあいつはお前のことが好きなわけ?」 「……」  思ったままを口にすると、ユーゴは顔をしかめた。その中に呆れと驚きが混じっているのを見て首をかしげる。すると、盛大にため息をつかれた。 「誰もお前が嫉妬の対象になっているとは言ってない」 「じゃあなんだよ」 「好きな奴を虐めるタイプがいるだろう」  今度は俺が顔をしかめる番だった。  トピアスが? 好きな奴をいじめる? っていうか好きな奴って、俺?  全くイメージできない。前みたく笑顔で駆け寄ってくるんじゃないのか。あの時は好かれているのがはっきり分かって嬉しかったんだが。 「まさかあ」  咄嗟の言葉は信じられないのと、でももしそうだったらいいのにという僅かな希望が混じっていた。そんな俺にユーゴはジト目で俺を見た。 「飽くまで俺の見解に過ぎないから、信じる信じないはお前次第だがな」 「そりゃ、嫌われてないんだったらそれに越したことはないけどさ、断言しないあたりがな……」 「俺は第三者だからな。そこから先の責任は持てん」 「お前の言い捨てた言葉で俺は裏切られた期待をもう一度持ちかけてんだよ」  捨て鉢になって告げると、ユーゴは俺の言葉に目を丸くした。  トピアスに迫られたら、と思っていたところ実際は全く逆だったわけだが、その事実に凹んだのは確かだ。それはつまり、期待してたってことで。トピアスとそっちの意味で仲良しになるっていうのがやぶさかではなかったということで、そのくらいには、彼が好きだったということの証明だ。 「遅い自覚おめでとう」 「……どーも」 「冷たくされて気づくとはかわいそうに」 「そう思うならもっと優しくしてくれ。それか、いたぶるくらいならもう一思いに殺せ」  ずるりとソファにもたれこむと、行儀が悪いとすぐに怒られた。全くこの友人は手厳しい。 「大体分かったのなら行動すればいい話だろう。誤解を解くなりなんなり」 「今そんなことしたら告白する前に言い訳がましいって言われて終わると思う」  想像して、頭の中のトピアスが冷めた目で『恋人同士でもあるまいしどうしてそれを僕に言うんです?』と吐き捨てる。その後に好きだと言ったところで、『冗談にしては笑えない』だとか、それに類する言葉を返されるのだ。ちょっと流石にダメージが大きそうで踏み切れない。  机にへたばった俺に、どちらにしろ情けないことになったな、とユーゴの追撃が来る。 「まあお前に相手が出来るならこれからは否定するようにはするさ。お前には好きな奴がいるから無責任に噂を流して掻き回すな、とね」 「どーも……」  もう遅い気がするけど。というか、トピアスが俺を好きだと仮定して、俺とユーゴがデキてるということをトピアスが信じたとして、それがどうしてこう、つっかかるような態度になるのかが分からない。悲しげな顔をされるならまだしも、険しい顔をされるのだ。それが拒絶されているように思えて二の足を踏んでしまう。前までは気軽に頭を撫でたりしていたけど、それも躊躇うようになった。自分で思っていたより、結構響いている。 ******  トピアスを見かけることが多いと思ったら、どうやら俺は知らず探していたらしい。向こうには気づかれていないが声をかけて帰ってくる反応を思うと遣る瀬無くなり、次第に俺から声を掛けるのが躊躇われるようになって、接点が薄れ始めた。そんな頃。この国で最大の規模を誇る王都の図書館から引き抜きのため文官が数人やってきた。その中に、件の上級生を見つけた。  知ったのは図書館で文法論の参考資料を見てから学習棟から西寮へ帰る直前で、玄関ロビーで出くわして驚いた。  俺よりずっと大きいと思っていた身体は、俺の背がにょきにょき伸びてあまり身長差がなくなったからだろうか、流石に以前よりはそうも思えなくなっていた。それでも、異能に頼って筋力がない俺よりはいい身体つきをしているのは明らかだが。 「キャロ! 久しぶりだな」 「御無沙汰してます。……アベル」  緩やかに波打つ金色の髪と、綺麗な青い瞳。肌は手入れが行き届いている為か、それとも仕事柄室内にいることが多いからだろうか、白く、シミも見えなかった。  頭をくちゃくちゃに掻き回され、軽く抱きしめられる。彼からは香水の爽やかな匂いがした。そのまま連れ立って、回廊を歩く。 「元気にしてたか?」 「ええ。これでも五年の時は寮長もしたんですよ」 「そうか! お前はちっこい時からソツなく何でもやってたもんなあ」 「アベルこそ。仕事の方はどうです?」 「やりがいがあっていいよ」  アベルの力は『巻き戻し』だ。物体にしか働かないが、ある程度壊れたものを直す能力。それで、古い文献の修復にあたっている。  中庭では下級生たちが駆け回って遊んでいた。それを眺めながらアベルの側で歩を進めていると、不意に手を引かれて空き教室へ連れ込まれた。驚いてアベルを見上げる。その先にあった暖かな笑みの中に艶めくものを感じた。 「……アベル?」 「キャロもこっちに来いよ。お前の能力ならどこでも行けるだろ?」  勧誘にしては随分と色気のある声だった。ずい、と近寄る身体に自然と足が下がり、そのまま壁へと追い込まれる。綺麗な手の甲で頬を撫でられ、胸が跳ねたと思った時にはもう、唇を奪われていた。  鼻から声が漏れ、腰を抱かれてその腕の中に納まる。身長こそそう変わらなくなったものの、ぱっと見て感じた通り彼の身体はしっかりとしていた。咄嗟に胸に手を置いて距離を置こうとしてもびくともしない。  甘く啄まれて、名前を呼ばれる。香水の香りは心地よく、彼の温もりはいつかのようにそれ以上に安心できた。……それについ、寄りかかってしまいそうだった。 「細いな、ちゃんと食ってる?」 「っ」  首筋に舌を這わせられて、俺はどうにか声を抑え込んだ。  アベルの右手はシャツのボタンを手際よく外していき、左手は俺の腰に回されて、左後ろのサスペンダーのボタンを外してくる。性急さは無いもののあっという間の早業だった。  シャツをたくし上げられ、腰からアベルの手が入り込んでくる。自分でも驚くほど弱弱しい声が出た。 「怖いか?」  アベルの手は腰元に留まり、暖かな手に撫でられて少しだけ落ち着きを取り戻す。彼の顔は前と変わらず優しくて、俺の気持ちが追い付くのを、あるいは俺が彼を受け入れるための時間を作り、待ってくれていた。  前。もう、四年も前だ。  最後に触れ合ったのは三年と半年前。  あの時は言われるままついていった。今でこそ背は伸びたものの、当時の俺は小さくて、彼の顔はずっと遠くて、そんな頃からよく面倒を見てもらった。  最初に入った寮室で一緒になった縁で、多くの言葉を交わした。家族と離れて、兄を求めるように懐いた。遊びに行っただけの彼の部屋で初めて人肌の心地よさを知った。  俺が知っているのは彼との優しい触れ合いで、他は知らない。セックスもしたことがない。でも、四年前は出来たことが、もうできなくなったことを知った。それは卒業後何の連絡も無かった寂しさから芽生えた心の距離なのか、それとも彼が最早、俺が期待する相手ではなくなったからなのかは分からない。彼はもう俺にとっては『いい上級生』で、それだけだった。  アベルの顔が近い。それだけの時間が流れていて、そして俺は、彼だけを感じることはできなかった。  浮かぶのは違う、もっと幼い顔。もう可愛い笑顔を見ることは無くなったが、ふわふわの尻尾と、兎の長い耳を持つ獣人の。 「キャロ?」  俺がそっと手に力を込めると、違和感を覚えたのか、アベルは戸惑いながらも解放してくれた。彼には首を振るだけで十分だったらしい。 「多分、俺は図書館には行きません」 「……残念だ」  頬を包まれ、そのまままた唇が来るかと思ったが、彼はそのまま手を離した。 「あーあ、振られたなあ」  アベルの顔には寂寥さが混じっていたが、俺は笑った。 「今まで音沙汰もなかったのに心外ですね」 「仕事楽しかったからな。でも、愛しいと思う人にはいつ会っても愛しいよ」  優しく、頭を掴まれた。そのまま小さく髪を乱される。まるで久しぶりに会った弟に相手にされなくなった兄のようだと思った。……そうだったのだ、結局は。きっと。 「アベルに泣きつかなくていいように就職口見つけるのがんばります」 「ははっ お前なら大丈夫だよ。上手くやれるさ」  何気ない言葉に、だといいんですけど、とつい弱音のような返事を漏らしてしまった。彼は俺の頭をくしゃくしゃにして、それから人好きのする笑顔で顔を寄せた。 「そういやお前、手紙の一つでも寄越せよな。今はもう引き抜きに参加できる位には仕事に慣れてきたし、そのくらいの余裕はあるから。いざってときは遠慮なく言えよ」 「……ありがとうございます」  肩に回された腕は暖かくて、やっぱり、心地が良かった。  とはいえ、身体が全く反応しなかったというと嘘になる為、俺はその場でアベルを見送った。  彼らは数日間滞在して面接を行う。就職活動の始まる上級生のみではなく、あらかじめリスト化されている生徒たちの能力の中から有用そうな者へ声をかけることもあるらしい。俺の場合は相手がアベルと言うこともあって少々それだけでは留まらなかったものの、一応、チェックはされていたようだ。  外されたシャツのボタンもそのままに、サスペンダーだけを留め直して、じっと熱が散るのを待つ。今一人で火照る身体の熱を放つのは虚しさしか残らず、精神衛生上よろしくないことは俺自身が一番よく知っていた。  窓を開けると、いい風が入ってくる。ふと深く息をして、思う。  俺とアベルとの関係は、俺の方が手紙の一つでも出していたら今とは違ったものになっていたのだろうか。  分からない。待つばかりだった俺は彼の言葉にはっとした。外へ手紙を出すということ自体考えていなかった。親のことを思えば、年中あちこち駆け回ってる相手に返事を求めるような手紙は出せない。だからアベルが卒業しても、手紙を書こうなんて全く思いもせず、ただ彼からのなにかしらの声掛けを求めていた。現実的に考えてあり得ない心構えかも知れない。俺は彼にただ甘えていただけだ。親からそうされるように。兄から、そうされるように。同じ気持ちで。  そのアベルとの会話でどうしたって思い浮かんだのはトピアスで、でももう、笑顔は思い出せなかった。 「……キャロ?」  不意に俺以外に誰もいないはずの教室に声が響き、顔を上げる。教室の扉の向こうに、トピアスの姿が見えた。  名前を呼ばれたのは久しぶりじゃないだろうか。それだけで嬉しさが湧いてくる。不自然にならない程度の速さで服装の乱れを直し、俺は軽く手を振って腰を上げた。胸が騒がしい。 「こんな場所でなにをしてたんです?」 「まあ、ちょっとな」  訝って眉を顰めるトピアスに曖昧に笑って、少し話があるんだと告げる。アベルの暖かさが残る今なら、どうにか伝えられる気がしたのだ。  けれど、返ってきたのは険しい……いつも以上に厳しく鋭い黒い目だった。 「……あなたから聞きたいことなんてなにもありません」  どうしてかは分からない。だが、その声は怒りのようにも感じる冷たさに満ちていて、トピアスは静かな声色に反して今にも殴って来そうな程の気迫を持っていた。  俺の肌に残っていた微かな熱も、それで失せる。  ユーゴの言うことを信じるならトピアスはまだ俺のことを嫌いになってはいないらしいが、俺自身は全くそれを実感できなかった。できないままで、俺の本当の気持ちを、柔らかくて無防備な思いを伝えることは難しく、冷たく否定されたらと思うと怖くて、俺はまた、逃げた。 「……悪い。だったら、いい」  曖昧にさえも笑えなかったかもしれない。俺は取り繕うこともままならないまま、トピアスから背を向けて直ぐに玄関ロビーまで走り抜けた。背中にトピアスが俺を呼ぶ声がぶつかったが、彼は追いかけては来ず、俺はそのまま西寮へ帰った。  俺が先に背を向けたのはもしかしたら初めてだったかもしれない。話すことがあった最近まではいつも、颯爽と俺に背を向けて歩いていく背中ばかり見ていた様な気がする。  寮室へ戻り、完全に一人になったところでせり上がってくるものを鼻で笑おうとした。  まだだ。まだ、俺は何もしてない。何も言ってない。  なのにどうしてもこの気持ちを投げ捨てられたような気がしてならなかった。  今更膝が笑いだし、堪えきれずその場にくずおれ、少し泣いた。自分の吐く息の熱さが無性に寂しかった。
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