第四章 立つ噂

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 翌朝、僕が目覚めると、すっかり熱は下がっていた。まだ多少の倦怠感は残っているが、この分だと学校も休めそうにない。昨夜の体調からすれば、今日は学校を休めるに違いないと期待したのに。とことんついてないや。あのクラスメートたちと今日も顔を合わせるのか……。このまま調子が悪いことにして寝ていようかな。僕はそのままベッドの中でぐずぐずしていた。  (りょう)はずっと僕のそばに一晩中寄り添ってくれていた。僕の手を握ったまま、ベッドの上に突っ伏して眠っている嶺を見ていると、僕より年上なのにそんな嶺がなんだか愛おしくなって来る。  それと同時に、昨夜、二人で抱き合って泣いたことを思い出した。僕をお父さんからかばってくれたことも嬉しかったし、僕のために泣いてくれる嶺の優しさにも泣けた。ずっと両親に対して抱え込んで来た鬱積(うっせき)した感情が涙となって溢れ出した。  僕はその感情が爆発するままに泣いた。その僕を全力で受け止め、一緒に嶺も泣いてくれた。そのまま、僕も嶺も泣き疲れていつの間にか眠ってしまっていたんだった。  その時だ。 「あれ? もう朝か。いつの間にか寝ちゃってた」  嶺がゴソゴソ起き出した。 「おはよう、(みなと)。だいぶ顔色よさそうだね。熱ももうなさそうだ」  嶺は僕の額に掌を当てながらそう言った。 「俺は学校行かなきゃだから、ちょっくらシャワー浴びて来るな。湊はどうする? まだしんどいなら学校休むか?」  って、え!? じゃあ、僕一人でこの家に取り残されるってこと? それはちょっと嫌だ。僕はお風呂場に行こうとする嶺を追いかけてベッドから飛び起きた。 「僕も学校行く!」 「なんだ、随分元気そうだな」  嶺が笑った。 「嶺と一緒がいいの」 「わかったよ。じゃあ、一緒にシャワー浴びて学校に行こうな」  甘える僕を嶺は優しく抱き寄せた。  シャワーを浴び、着替えようとすると、お母さんが昨日汚した制服を洗ってアイロンをかけてくれていた。僕はパリッと乾いた制服を見て複雑な気持ちになった。あんなに僕のことなんか少しも気にかけてくれたことのないお母さんだと思っていたのに。少しは僕のこと……。いや、違う違う。どうせ、僕が今日学校を休んだらお父さんが怒るからだって。 「湊、どうした? 早く服を着ないと風邪引くぞ」 と嶺に声をかけられた僕ははっと我に返り、慌ててその制服を身に付けた。  昨夜の事件があったからか、お父さんもお母さんもあまり僕と嶺に話しかけて来ることはなかった。どうもお父さんはいつもより居心地が悪そうにしているし、お母さんもそわそわした様子で行ったり来たりしている。  僕も嶺もこの二人とほとんど言葉を交わすこともなく家を出た。 「なぁ、湊の親っていつもあんな感じなの? 俺、これまでお前の家に遊びに来た時は、もっと普通にしていただろ? 湊、熱出しているのにあんな言い方はないよ」 嶺はまだ昨夜のことを気にしているようだ。 「うん。外面(そとっつら)だけはいいからさ、二人とも。嶺の前では猫被ってるんだよ」 「そうなのか……。湊、俺、どうしたらいい? ごめん。俺はいい方法が何も思いつかないんだ」 「いいよ。嶺は僕のそばにいてくれるだけで心強いから。それに、昨日は僕をかばってくれて嬉しかった」 「いや、あんまり湊が酷いこと言われるから、ちょっと俺もカッとなっちゃってさ。もしかしたら、余計なことをしたかもしれないって、少し心配していたんだ」 「大丈夫だよ。僕、あの人たちに別に何も期待していないし」  僕は寂しく笑った。 「でも、何で湊が熱出したことであんな風に湊を怒鳴ったりするんだろう。普通の親じゃ考えられないよ」  嶺はずっと僕のお父さんの対応に納得がいっていないようだ。 「湊のお父さんって何であんな風になっちゃったんだろうな? 湊のこと可愛くないのかな? 俺、信じられないよ。こんな可愛い湊をあんな風に痛めつけるなんて」 「あはは。痛めつける、か……。そうだよね。僕もお父さんのこと好きじゃない。むしろ、嫌い。ずっと僕ん家では王様みたいにふんぞり返っているからさ。誰もあの人には逆らえなくて。僕のお父さんはね、ずっと大病院の外科部長で第一線で手術をして来たんだ。病院では誰もお父さんには頭が上がらないみたい。僕ん家でもそれと全く同じって訳なんだ。誰よりも自分の方が上だって思ってるから。  お父さんはね、昔は苦学生でお金がない家に育ったんだって。小さい時は、お金がなくて、服もまともなものが着れなかったらしくて、着古したボロボロの洋服で学校に通っていたんだ。だから、同級生にもそのことでバカにされたりしたらしんだ。そこから一人で頑張って、バカにして来た同級生たちを見返してやろうって、勉強して医学部に入ってお医者さんになった。  だから、自分は誰よりも頑張った。誰よりも偉いんだって思ってるみたい。誰よりも偉くて誰からも尊敬の目で見られたいって。だから、僕も兄ちゃんも昔からずっと学校でもいい成績を取って、優等生でいろって言われ続けて来たんだ。お父さんの息子の僕たちが落ちこぼれたら、自分の恥だからさ。自分の家族の経歴にも絶対傷をつけたくないんだよ。  兄ちゃんは出来がよくて、要領もよくて、なんでもできた。勉強もずっと学校で一番で、医学部入ってお医者さんになって、お父さんの望んだ通りの人生を歩んできた。  でも、僕は違ったんだ。僕はそんなに要領もよくないし、勉強だってそんなに好きじゃない。それでも無理して私立中学を受けさせられたんだ。だけど、結局落ちちゃってさ。それから、ずっと僕は落ちこぼれの桐谷(きりたに)家の恥だってお父さんは僕のことを思って来たみたい。その上、僕はゲイで出会い系アプリで淫行事件起こして、桐谷家の評判を台無しにしちゃった。だから、お父さんはそのことをずっと怒ってる。  僕は桐谷家では落ちこぼれの失敗作なんだ。僕なんか生まれて来なかったらよかったのかもしれない」  僕は気づけば、嶺に家の事情を全部話していた。こんな話、他の誰にもしたことがないのに。嶺には何でも話せるし、何でも話したくなってしまうんだ。僕の全てを曝け出したくなる。嶺は僕の全部を受け止めてくれるから。 「馬鹿言うなよ!」  嶺は昨夜と同じ様に目を潤ませながら叫んだ。 「馬鹿言うなよ……。湊は失敗作でも落ちこぼれでもなんでもないよ。生まれて来なければよかったなんて、そんな悲しいこと言うなよ……」  嶺は僕をギュッと抱きしめて肩を震わせて泣き出した。昨夜から僕は嶺を泣かせてばかりだ。
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