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電話の向こうですっかり黙りこくってしまった一郎のことが本気で心配になって来たとき、おもむろに彼は切り出した。
「……あのさ、湊、ちょっと聞いてくれないかな?」
はぁ。ホッとした。何かあったのかと思ってドキドキしちゃったよ。
「え? なになに? 相談事?」
「……うん……」
「深刻な話?」
「あのさ、湊って自分のこと、強いと思う?」
え……。一郎のやつ、また、なんか面倒なこと思い悩んでいるな。
「うーん、そんなこと考えたことないや」
「じゃあさ、どうやったら人って強くなれるのかわかる?」
「え? 別に僕、強くなろうとしたことないからわかんないや。そんなに強くなりたいなら、ボクシングでもすれば?」
「違うんだ。身体のことじゃ……。いや、身体も強くなったら自信もつくのかもしれないけど、僕は心が強くなりたいんだ。弱気でひ弱な自分が嫌だ。湊は、そういうこと、考えたことない?」
心が強くなりたい、か。僕だってできるなら強くなりたいさ。でも、実際はそうじゃない。っていうか、一郎のやつ、中学時代に壮絶ないじめを受けたって言ってたよな。そのいじめを生き延びて来ているんだし、十分僕なんかより強いと思うんだけどな。
「うーん、一郎は強くなりたいの?」
「うん。強くなりたい。弱いままなのは嫌だ。」
「僕は、一郎のこと弱くなんかないと思うけどな」
「弱いの!」
一郎は苛立ったように叫んだ。
「弱いの……。弱くて情けなくて、全然強くなんかないよ」
一郎の声色は今にも泣きそうになっている。
「一郎……。僕はそんな強くなりたいとか考えたことないけど、僕だってそんな強い人間じゃないよ。一郎も知ってるでしょ? 今、僕がこうやって嶺の携帯借りてる理由だって、僕が携帯持ってない理由、一郎は知ってるでしょ?」
「うん」
「僕だって、弱いよ。僕一人じゃ、何もできないし、この前、そのせいで一郎に迷惑かけちゃったし……」
「……いや、別に迷惑だなんて……」
「思ってるくせに。へへ。いいんだよ、そんなこと、遠慮しなくても。僕と一郎の仲なんだし。でもね、僕は弱いから、嶺と一緒にいるんだよ」
「弱いから嶺くんと?」
「うん……。嶺くん、僕が泣いても、泣くなって言わないんだ。僕、こう見えて結構打たれ弱くて、すぐ嶺の前だと泣いちゃう。でも、嶺は僕が泣いても全部受け止めてくれるから、嶺の前だったら泣いても大丈夫なんだって思えるんだ。だから、僕は次の日には笑っていられる。僕が弱いところ、嶺が補ってくれるから。一郎にも、そういう人、いるでしょ?」
僕はそれまで意識したこともなかったのに、一郎に向かってそんなことを話していた。まるで、自分に言い訊かせるように。そうだよ。僕は弱い。だけど、嶺がいるから少しは強くなれたんだ。学校だって、もう以前みたいに僕がゲイであることを噂されても怖くなくなったのは嶺が味方でいてくれるって絶対的な安心感があるからじゃないか。
「でも、次の日に笑っても、またその次の日に泣いちゃうこともある。だって僕、そんな強くないから。でも、嶺がいつもそばにいてくれるから、泣いても大丈夫だって思える。だから、あまり強くなろうとか考えて無理しなくていいんじゃないかな? でも一郎は、今のままでも十分強いよ。これ以上強くなられたら、僕、近寄れなくなっちゃうよ。今のままの一郎でいてよ」
「……でも、僕が弱かったら、人を傷つけちゃうんだ。母さんだって、僕のせいで……」
「じゃあ、ごめんなさいってお墓行って謝ってくればいいじゃん。で、許してもらえばいいんだよ」
「死んじゃったのに無理だよ……」
「僕がもし死んだとして、そんな感じでずっといつまでも僕のせいだ僕のせいだって一郎に泣かれたりしたら、僕はそっちの方が嫌だな。そんなことされるくらいだったら、「先に死んだりしやがって湊のバカ野郎!」って怒られる方がずっといいや。それに、弱いから人を傷つけるっていうのも違うよ」
そこまで言いかけて、僕はあることを思い出した。
ずっと頼りになる一郎。僕がゲイ向け出会い系アプリでトラブルを起こした時も、一方的に一郎に恋心を募らせて無理矢理に告白した時も、ずっと気丈に振舞っていた一郎。でも、そんな一郎が唯一陰の部分を見せる瞬間があった。中学時代に、ゲイであることをネタに壮絶ないじめを受けた話だ。一郎が一郎のお母さんの話を今出したのも、確か、一郎のお母さんが亡くなったのは一郎がいじめを受けて家に引きこもっていた時期だと聞いた覚えがある。だから、未だに自分を責め続けているって。
これは、僕が一郎を元気づけてあげないとな。いつも助けてもらってばかりだもん。ちょっとは僕も一郎の役に立ちたい。
「一郎、昔、いじめられたっていってた同級生と何かあったんじゃないの?」
一郎は黙った。これも図星らしい。
「やっぱりね。それで、急にそんなこと言い出したんだ。そのせいで翔くんの前で泣いて困らせたでしょ? そうでしょ?」
一郎は「む~」と悔しそうに唸った。
「ほーら、図星! そんな所だろうと思った! でも、よく考えてみなよ。一郎は、その一郎のこといじめた同級生のこと強いと思ってるでしょ?」
「うん、まぁ」
「じゃあ、その強い同級生は一郎に何したの? 一郎のこと、傷つけたんだよ? 強くなって無神経に人のことを傷つけるやつだっている。しかも、そういうやつは自分が誰かを傷つけたって自覚もない。そんなやつより、一郎はずっとお母さんのことで自分を責めて来たんだよ? ずっと一郎の方が優しいよ。僕は、そんな弱くても優しい一郎の方がずっと好き。それに、もし、一郎が弱いせいで僕が傷ついたとしても、一郎はきっと僕に謝ってくれる。それだけで、僕は十分だよ」
そこまで話すと、電話の向こうから一郎のすすり泣く声が聞こえて来た。
「あれあれ? 一郎くん、泣いちゃったのかな?」
「うん。泣いてる」
一郎は素直に自分が泣いていることを認めた。
「もう、一郎は泣き虫だなぁ。でも、そういうところが可愛いんだけどね!」
「調子に乗るな! 僕は、湊の方がずっと可愛いと思うけどな」
一郎の声に再び元気が戻って来た。うん。これで一安心だ。
「え、なになに、告白?」
「違うよ!」
「えー、どうしようかなぁ。もうちょっと前だったらオーケーしたのになぁ。でも、だーめっ! 僕、人妻なんで」
「人妻って、おいおい」
「嶺さまって旦那さまがいるんで。ごめんね、一郎。一郎の想いには答えられないかなー」
僕が飛ばしたその冗談に一郎からの返事はなかった。しばらくの間を置いた後、
「湊、ありがとね」
と一郎がつぶやいた。あれ? もしかして、一郎に感謝された? 僕は顔がぱっとほころぶのを感じた。
「え? なんだって? 聞こえない。もっと大きな声で」
「湊、ありがとう」
「えー? もうちょっと大きな声で言ってくれないとわからないなぁ」
「だから、ありがとうって言ってるの!」
「わーい! 一郎に感謝されちゃった! じゃあ、今度ジュースおごってね」
「え?」
「当然でしょ? 感謝されるくらいのことを僕はしたんだから、そのくらいしてもらわないとね」
「……わかったよ。今度会ったらね」
あはは。本当に一郎のうぶな所って変わらないね。高級旅館なんて、ただのジョークなのに、いちいち本気にするんだから。
「今度っていついつ?」
「今度は今度!」
「明日、明後日?」
「いや、学校あるからさ」
「じゃあ、いつだよー?僕、待ちくたびれ……」
僕が調子づいて一郎をおちょくっていると、
「なに人の携帯勝手に使ってるんだ!」
と、いきなり嶺に携帯を取り上げられた。嶺ったら寝てたんじゃないの!?
「あ、ひどい! 今、一郎くんの大切な相談に乗ってあげてたところなの。まだ話し終わってないんだから、携帯返してよ」
「だめだ。もう充電やばいだろ。早く寝ろ」
「えー? けち!」
僕の抵抗も虚しく、携帯は嶺の手の元に戻ってしまった。やっぱり、そろそろ僕の携帯、僕の元に戻って来てほしいなぁ……。
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