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弦哉くんのコンサートは、やっぱり僕にはチンプンカンプンだった。だけど、一つわかったことといえば、ステージの上でピアノを弾く弦哉くんの姿は、あのキャンプの日で出会った時の何倍もカッコよく見えたってことかな。
終演後、僕は弦哉くんの楽屋を訪れた。
「げーんやくんっ! 久しぶり~」
僕が楽屋の入り口でチョコッと顔を覗かせると、弦哉の頬がポッと赤くなった。
「湊!」
弦哉くんが顔をほころばせて僕に駆け寄って来た。ところが、僕の後ろに控えていた嶺を見るなり、真顔になって立ち止まってしまった。そうか。弦哉くんにとって嶺は初対面だもんね。
「あ、ごめん。びっくりしたよね。僕の彼氏の嶺。嶺ともキャンプで知り合ったんだ。二人好きになっちゃったって言ったじゃん? そのうちの一人。本当に両想いになっちゃった」
「どうも、はじめまして。水瀬嶺です」
嶺が挨拶をすると、弦哉くんは何だか気まずそうに、
「ああ、どうも。国本弦哉です」
とだけ自己紹介した。何だか居心地の悪い沈黙が流れる。あぁ、ここに嶺を連れて来たのはちょっと失敗だったかな。変に微妙な空気になっちゃったよ。僕は少し後悔していた。すると、
「あ、そうだ。二人とも、飲み物いらない?」
と、嶺が言い出した。
「いるいる! 僕、ジュースがいい!」
「何のジュースにする?」
「うーん。そうだなぁ。じゃあ、オレンジジュースで」
「オレンジジュースとか可愛すぎかよ!」
嶺が僕の頭をワシャワシャにした。
「弦哉くんは?」
嶺が弦哉くんにも尋ねたが、
「俺はいい。ちゃんと水持って来てるから」
とだけ答えてまた黙ってしまった。
「そっか。じゃあ、湊だけオレンジジュースな」
嶺はそう言うと、楽屋を出て行った。
嶺がいなくなるのを確認するなり、やっと弦哉の表情が少し緩んだ。
「あーあ、やっぱり俺はだめだなぁ」
「え、どうして? 今日のコンサートめっちゃ凄かったじゃん」
「コンサートのことじゃなくてさ……。俺、今日は湊に告ろうと思ってお前を招待したのにさ。もう彼氏がいたのかよ」
「ええ!?」
僕はびっくりした。弦哉くん、僕に告るって、まだこれで出会って二回目だよ?
「いや、びっくりするよな……。俺、湊が初めてだったんだ。ちゃんとゲイである自分のことを話したの。奏佑にも律にも俺は男が好きなことを明かしてはいない。奏佑には何だか言い出すチャンス逃しちゃってさ。俺はゲイじゃない、なんて言っちゃったし、今更本当のこと言えないよ。それに、アプリで出会うのはほとんど身体目的の男ばかりだろ? キャンプで出会ったやつらとも、俺、あまり仲良くなれなくて深い話はできなかった。でも、湊だけは俺の話を真剣に聞いてくれた。それが嬉しくてさ。それに、湊は見た目も可愛いし、一目惚れしちゃったんだ。もっと住んでいる場所が近かったら、湊が居間の彼氏と付き合う前に俺がお前のこと彼氏にしていたのにな」
はぁ……。というか、嶺と付き合う前だったら、僕が弦哉くんの告白にオーケーすることは決定済みの事項なんだ……。あはは……。
「奏佑にも振られて、湊にも振られちゃうのか。俺ってとことん男にはついてないな」
弦哉くんはそう言って淋しそうに笑った。
「あ、うん……。そうだね……」
僕はどう答えていいかわからず、微妙な返答をした。
「そうだねって、そこは否定してくれよ」
「あ、確かに。ごめん」
僕は慌てて取り繕った。
「でもさでもさ、弦哉くんピアノ弾けるし、カッコいいし、たぶん弦哉くんのこと好きになってくれる人もっとたくさんいるよ! だから、諦めちゃだめだって」
「はぁ……。そうやって振った相手に励まされるのも、なんだか微妙だな」
「えぇ……。じゃあ、僕はどうしたらいいの?」
「どうもしなくていいよ。普通にしていろよ。そっちの方がいいわ」
と弦哉くんは言うけれど、僕の方も変に意識してしまって、僕と弦哉くんの間にも微妙な空気が流れ始めた。せっかく半年ぶりの再会なのに、こんなに気まずくなるなんて……。困ったなぁ。
「……とにかく、今日はコンサートに誘ってくれてありがとうね。僕、クラシック音楽なんてよくわからなかったけど、でも、こういうコンサートもたまには楽しいなって思ったよ。ごめん、こんな感想しか言えなくて」
僕はこの重い空気をなんとかしようと、言葉をひねり出した。
「いや、いいんだよ。気に入ってもらえたなら」
弦哉くんは相変わらず僕に振られて落ち込んでいるようだ。ええと、ええと、こういう時はもっと褒めておだてたらいいのかな?
「本当に凄かったんだってば! 弦哉くんなら絶対将来ピアニストで億万長者になれるよ」
すると、弦哉くんはやっとクスッと笑った。ホッ。よかった……。
「本当、湊って面白くて可愛いな。ピアニストで億万長者か。どこからそんな発想が出て来るのか教えて貰いたいもんだね」
「いやぁ、そんな褒められると照れちゃうなぁ」
「褒めて……るのか?」
「褒めてるんじゃないの?」
「ああ、まぁ、そういうことにしておくか」
弦哉くんはそう言うとあははと声を上げて笑い、大きく息をついた。
「でもな、俺、ピアニストを目指すのはやめたんだ」
「ええ!?」
今度はピアニストにならないって!? コンサートまで開いたのに? 今日は弦哉くんに驚くような告白ばかりされている。
「俺、キャンプの時に湊に話しただろ? 奏佑や律のような将来ビッグなピアニストになる素養のあるやつがいるって。俺にはあいつらには敵わないだろうってさ。俺、それでよく考えてみたんだよ。俺はピアノが好きなのか、音楽が好きなのか。俺は自分にはピアノしかないと思って来たし、ピアノだけに集中しなければならないと思っていた。でも、奏佑がどんどんピアノ以外の音楽に自分の世界を広げていくのを見て、正直羨ましくてさ。俺もだんだんピアノ以外の音楽に興味を持つようになったんだ。
今では、ピアノより、そうだな。オーケストラの曲の方が好きなんだ。オーケストラって凄いんだぜ。大きい編成になれば百人近くのオーケストラ団員が一堂に会して演奏するんだ。音のボリュームもバリエーションもピアノとは比較にならない。そんなオーケストラを率いて音楽を構築していく指揮者ってポジションが最近はとても面白いな、と思うようになったんだ」
「オーケストラか。へぇ……」
僕は目を白黒させるばかりだ。ピアノのコンサートだけでもチンプンカンプンだったのに、オーケストラって言われてもうまく想像がつかない。
「湊、絶対よくわかってないだろ?」
弦哉くんがニヤニヤしながら僕に言った。
「あ、弦哉くんが僕のことバカにした! ひっどーい! 僕だって音楽のことくらい、勉強したらすぐにわかるようになりますよーだっ」
「あはは、湊って本当に可愛いなぁ」
弦哉くんはそう言ってひとしきり笑うと、今度は真剣な表情になってこう続けた。
「俺、よく自分の心と向き合って自分の意思に正直に生きようって決めたんだ。だから、ピアニストじゃなくて指揮者の道を目指そうと決めたし、今日は好きなお前にも告白するつもりで来た。ま、結局告白する前に振られちゃったけどさ。でも、後悔はしてない。俺は後悔のないようにこれからは生きていくことにしたんだよ」
自分の心に正直に、か。僕は僕の心に正直に生きて来たつもりだったし、今もそれは変わらない。じゃなかったら嶺と付き合ったりしていないし。でも、自分の将来についてはどうなんだろう? 医者になれという両親からの圧力はなくなったけれど、だからといって何か新しいなりたいものが見つかった訳でもない。うーん、僕は将来どうしたらいいんだろうな?
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