第六章 想い人のけじめ・想われ人のけじめ

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第六章 想い人のけじめ・想われ人のけじめ

 二月十四日がなんの日かわかるひと手挙げて! うんうん。知らない人なんていないよね。特に恋する乙女の皆はね。え? 僕は乙女じゃないって? 細かいことは気にしないの! 僕は乙男(オトメン)なんだからね。  ということで、僕は今、バレンタインデーに向けてチョコレートブラウニーを焼いているところ。誰に渡すかって? 決まってるじゃん。(りょう)の他に誰がいるっていうの?  オーブンからはチョコレートの甘い香りが漂って来る。うーん、美味しそう。僕も食べたいな。そうだ。残った生地を義理チョコにして兄ちゃんにあげるつもりだったけど、もう自分で食べちゃえ。兄ちゃんにあげるつもりで作ったなんて言わなきゃバレないしさ。早く焼けないかなぁ。後十五分か。待ち遠しい! 兄ちゃんにあげる予定だった義理チョコを食べることが……、じゃなかった。嶺にあげることが。  待ちに待ったオーブンの焼き上がりを知らせるチーンという音が鳴るなり、僕は急いで中から熱々のチョコレートブラウニーを取り出した。上にさっと粉砂糖をまぶして、ハイ、出来上がり!  嶺にあげる分をピンクの小さな包みに入れて、リボンで口を縛ってと。よし、これで完成! あ、そうだ。チョコレートブラウニーを渡すだけだと芸がないよね。嶺への僕の気持ちをしたためた手紙でも添えようかな。両想いになった相手にラブレターを書くなんて、ちょっとおかしいかな? でも、嶺はきっと喜んでくれるよね。  よーし。僕は自分の部屋に一旦帰って、嶺へのラブレターを書き始めた。すると、玄関の戸が開く音がして、 「ただいまー」 と、兄ちゃんの声が聞こえて来た。たまにこうして実家に帰って来る兄ちゃんの理由がわかって来た。兄ちゃんが昼間の診療を終えて家に戻るが、(めぐみ)さんが夜勤で家を空けている時に帰って来るんだ。兄ちゃん、いまだに料理一つできないからな。実家でご飯にありつこうって算段だ。ちゃっかりしてるよ、本当に。  手紙を書き終え、階下に降りていくと、僕が自分用に取っておいたチョコレートブラウニーがない。あれ? ここに置いておいたはずなのに……。辺りを見回すと、兄ちゃんがチョコレートを口の周りにつけながら口をもぐもぐしているのを発見した。 「あー!」 「ん? どうかしたのか?」 「ここに置いておいたチョコレートブラウニー、兄ちゃん今食べたでしょ!」 「ああ、あのお菓子チョコレートブラウニーっていうのか。うん。食ったよ。めっちゃ美味しかった。あれ、(みなと)が作ったんだよな? バレンタインが近いから、兄ちゃんに焼いてくれたんだろ? ありがとう」 「兄ちゃんのバカ! あれ、僕が自分で食べようと思って取っておいたんだよ!」 「え? あれ、湊のだったの?」 「そうだよ! なんで勝手に食べちゃうんだよぉ! 兄ちゃん最低!」 「湊、ごめん! 今度、そのチョコレートなんちゃらっての、今度俺が作ってやるから許して」 「え……、それは、いい」 「なんで? 兄ちゃんが愛情込めて作ってやるからさ。あ、そうだ。このお返しはホワイトデーにするっていうのはどうだ? 俺、何かホワイトチョコで作るよ」 「や、やめて。もう、気持ちだけで十分だから。ありがとう」  僕はいそいそとその場を逃げ出した。料理の全くできない兄ちゃんが作るチョコレート菓子なんて恐ろしくて食べられないや。  あーあ。せっかく僕が食べようと思った兄ちゃんへの義理チョコ……。でも、結局兄ちゃんの口に入ったからいいのか。欲を出したのがいけなかったのかも。僕もチョコレートブラウニー食べたかったなぁ。自分の分も含めて分量決めれば良かった。嶺のために作ったチョコレートブラウニーが入ったピンクの半透明な包みを眺めつつ、僕は思わず(つば)を飲み込んだ。  二月十四日の僕の高校はどことなく学校全体が浮足立っていた。男子たちはチョコレートをもらえたとかもらえなかったとかそんな話で盛り上がっているし、女子たちは友チョコの交換で忙しそうだ。僕はいつ嶺にチョコレートブラウニーを渡そうかな、と思いながら渡すタイミングを窺っていた。  でも、学年の違う嶺と二人きりになれる機会なんて、学校の中じゃ早々ない。僕は放課後、嶺の教室の前で嶺を待ち構えることにした。嶺のクラスのホームルームが終わり、生徒たちが一斉に教室の外へ出て来る。もうこうやって嶺のクラスのホームルームの終了を待って一緒に帰ることは日常的なことになっていたのに、何だか今日はドキドキする。 「よっ!」  嶺は僕を見つけるなり右手を挙げて合図した。なんだか今日は嶺の顔を見るのも気恥ずかしい。 「一緒に帰るか」 「……うん」 「どうしたんだ。今日はえらい赤い顔してるな」 「なんでもないよ」  二人で帰ることになったのに、なんだかチョコレートブラウニーを渡すのが恥ずかしくてなかなか切り出せない。僕は嶺と二人で並んで校門を出た。嶺は学校であった他愛のない話を僕にしながら、いつものように楽しく笑っている。僕はどうも気がそぞろになり、いつどこでチョコを渡そうかとばかり考えている。  と、帰り道の途中にある公園に、今日は珍しく子どもが誰一人遊んでいないのを見つけた。ここだ。 「ねぇ、嶺。ちょっとこっち来て!」  僕は嶺を引っ張って公園の中に連れ込んだ。 「湊、こんなところでなにをするつもりなんだ?」 「ここに座って」  僕は嶺の質問には答えず、公園のブランコを指さした。 「おいおい、俺はもう高校生だぞ。ブランコなんかで遊んだりしないって」 「いいから座って!」 「はいはい。可愛い湊ちゃんのお願いとあらば、聞かないわけにはいかないからね」  嶺は渋々ブランコに座った。 「はい、これ」  僕はもうちょっとロマンチックな渡し方があったはずなのに、とちょっと後悔しながらも、嶺にチョコレートブラウニーの入った包みをぶっきらぼうに手渡した。 「あ、もしかして、これ……」 「訊かないでよ。恥ずかしいから」 「もう、湊可愛くて大好きだ」  嶺が僕をむぎゅっと抱きしめた。 「これ、湊が自分で作ったの?」  僕は嶺の胸の中に顔をうずめながら頷いた。 「まじかよ。こんな可愛いプレゼント、俺、今日食べられないよ」 「ええ? だったら返してよ。僕だってチョコレートブラウニー食べたかったんだもん。でも、兄ちゃんに余ったやつ食べられちゃってさ。自分で作ったのに食べられてないんだ」 「だめだよ。これ、俺にくれたやつなんだろ? だったら俺に食わせろ」  そりゃそうだよね……。 「その代わり……」  嶺が通学カバンの中をゴソゴソ探り出した。 「はい、これ。お前に渡そうと思ってたやつ」  見ると、駅前のデパートで売ってるちょっと高そうなケーキ屋さんのチョコレートじゃないか。 「俺、正直料理苦手だからさ。でも、せっかく湊と付き合って初めてのバレンタインだから、なんかあげたくて」  嶺は恥ずかしそうに言った。 「わぁ! 嶺、ありがとう。これ、食べたかったんだぁ」  僕はすぐに飛びついた。 「お、湊、可愛い手紙までついてるじゃん」  嶺は包みに一緒につけた僕からのラブレターを声に出して読み始めた。
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