第六章 想い人のけじめ・想われ人のけじめ

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 僕は翌朝にはだいぶ元気を取り戻していた。というのも、(りょう)がずっと僕のそばで手を握って、僕の身体をそっと抱き締めていてくれたからだ。どんなに嫌なことがあっても、嶺がこうやってそばにいてくれると、だんだん心が癒されていく。朝目覚めた時には、案外ケロッとしている自分に我ながら驚いたくらいだ。 「ふわぁ……」  大きな欠伸をする僕を嶺はデレっとした顔で見ていた。 「(みなと)の欠伸の仕方も小さい子みたいで可愛いなぁ」 「なにそれ。でも、そんなに僕が小さい子みたいなら、今日学校行くのやめようかな。だって、小さい子の行く場所って学校じゃなくて幼稚園でしょ? 一日遊んでいられるんだよ」 「バカ言ってないでさっさと制服に着替えろ。遅れるぞ」  嶺が僕のこと小さい子みたいだって言い出したんじゃないか。つれないな、嶺のやつ。  僕は制服に着替え、いつものように嶺と二人で学校に向かって通学路を歩いていると、 「おーい、桐谷(きりたに)!」 という声が後ろから聞こえて来た。(きょう)()が僕に手を振りながら走って来る。恭太の方から僕に話しかけて来るなんて、あのキョウさん事件がクラスでバレた時以来のことだ。 「(いり)()くん、おはよう」  僕が恭太にそんな風に朝のあいさつをするのも初めてだ。なんだか慣れない感覚で、ただのあいさつなのにぎこちない。 「ああ、おはよう、桐谷。ええと、隣の人は二年の……」 「(みな)()嶺だ」 「水瀬先輩っすか。俺、桐谷のクラスメートの入江恭太です。よろしくです、先輩」 「あ、ああ」  嶺の方もいきなり恭太に話しかけられて少し戸惑っているようだ。 「あのさ、昨日は俺の友達がごめんな」  恭太がそう僕に謝った。「俺の友達」というのは、くーくんのことを言ているんだろうな。 「入江くんはくーくん……()(たに)くんと仲いいの?」 「ああ。塾で知り合ったんだ」 「そっか……」 「あいつさ、桐谷と中学まで同じクラスだったんだってな。よくあいつからお前のこと聞かされてさ。お前がホモだっていう話もあいつからされたんだ。お前がホモ谷って呼ばれていたことも。中学生や高校生とエッチして捕まった男の事件にお前が関わっていたって話もあいつから聞いた。俺、最初は面白い話だなって深く考えてなかったんだ。でも、桐谷が前にホモ谷って呼び方のこと、本当は嫌だったってはっきり俺に言っただろ? お前が本当はホモってネタにされるの嫌がってるのもその時に初めて知ったんだ。俺はただネタのつもりで笑いを取ろうとしただけだったんだけどな。でも、結果的に桐谷を傷つけることになっていたんだったら申し訳ないって思ってる。だから、昨日、小谷を止められなかったことも、すまなかった」  僕は驚いた。くーくんが、僕のあらゆる情報を恭太にもたらしていたなんて。でも、高校は別々に進学したくせに、なぜ僕が高校に進学した後に起こしたキョウさんの事件をくーくんが知っているんだろう。それに、「ホモ谷」って呼び方も、前の高校でのことだ。中学でもゲイであるせいでいじめられたけど、そんなあだ名はつけられなかった。  僕はいろいろな疑問が頭に浮かんだけれど、恭太の言葉は素直にうれしかった。 「ありがとう、入江くん。気にしなくてもいいよ。入江くんが僕のことホモだって笑わないでいてくれるだけでもうれしいから」 「そっか。そりゃよかった」  恭太は少し照れ臭そうに笑うと、 「じゃ、また教室でな! 水瀬先輩もまた今度でーす」 と言って走って行ってしまった。 「なんだか不思議なやつだな」  嶺はポカンとして言った。 「うん。だよね」  僕はそう答えながら、自然と笑顔が零れるのだった。  しかし、くーくんの問題はまだ解決していない。もうあんなやつ放っておけばいいって、他の人なら言うのかもしれない。でも、僕はなぜくーくんがそこまで僕にこだわるのかが不思議だった。  中学時代、僕の告白を断ったくーくんは、僕を率先して無視するようになった。そこで僕とくーくんとの幼馴染としての関係も終わったはずだったんだ。それがなぜ、別々の高校に進学した今になってまで……。  僕はどうしても気になって仕方がなかったので、恭太にくーくんの通う高校を教えてもらい、話を聞きに行くことにした。一人で行くのは心細かったので、嶺も誘った。くーくんは今でもサッカー部に所属していて、いつも放課後サッカーの練習をしているらしい。だから、僕と嶺が放課後にくーくんの高校まで行っても、くーくんの下校時刻には十分間に合うはずだ。 「お前も、物好きだよな。なんだって、あんなやつのことを今更気にかけてやる必要があるんだよ」  嶺は僕の考えが理解できないらしい。 「だって気になるんだもん」 「昨日みたいに暴言吐かれたらどうする?」 「大丈夫。嶺がいてくれるから」 「まーた、調子がいいんだよな、お前は」  嶺が僕を軽く小突いた。  くーくんの高校まで僕と嶺が来ると、そっと校庭の中を覗き込んだ。くーくんがボールを追って走り回っているのが見えた。それと同時に、小学校時代、サッカークラブのエースとして大活躍していたくーくんの姿を思い出した。あー、くーくんのサッカーしている姿、カッコよかったんだよなぁ。今見ても、嶺がそばにいるにも関わらず思わず惚れてしまいそうな華麗な活躍ぶりを見せていた。 「おい、なにうっとり眺めてるんだよ」  嶺がそんな僕の様子に気付いたのか、僕を怒った。 「う、うっとりなんかしてないよ」 「じゃあ、俺の方だけ見ておけよ」 「それじゃあ、ここに来た意味ないじゃん。くーくんに話を聞くのが目的なんだから」 「ったく。お前、もしあいつに浮気心でも持ったら、俺、許さねぇからな」 「持たないよ。僕にとっての彼氏は嶺だけで十分だもん」 「その言葉に嘘はないよな」 「ないよ。絶対に」  嶺ったら、こんなところで嫉妬なんてしないでよ! もし浮気をするつもりなら、こんな所に嶺をわざわざ連れて来ることなんてしないでしょ!  サッカー部の練習が終わり、全員で集まって「ありがとうございましたー!」と大声であいさつをしているのが聞こえて来る。それからしばらくすると、くーくんがサッカー部の仲間とぞろぞろ外に出て来るのが見えた。くーくんは僕に気が付くなり、 「あ、ホモ谷!」 と僕を指さして叫んだ。 「え? あいつが?」 「お前がいつも言ってた気持ち悪いやつ?」  サッカー部員たちが口々にそんなことを言いながらどっと笑い出した。 「おい、ホモ谷がこんなところに何の用事だよ」 「僕、くーくんに話があって……」 「くーくん? 聞いたか、お前ら。くーくんだってよ」  くーくんは僕の「くーくん」という呼び方さえ悪意たっぷりに笑いに変える。サッカー部員たちがそれを聞いてわいわい盛り上がっている。 「お前、いい加減にしろよ! 一体、湊がお前に何をしたって言うんだよ!」  嶺がくーくんにつかみかかった。 「なんだよ、お前! お前もホモなんだろ? ホモのくせに偉そうにしんじゃねぇよ!」 「この野郎!」  次の瞬間、嶺の鉄拳がくーくんに下された。くーくんはそのまま地面に叩きつけられた。サッカー部員たちの笑い声はピタッと止まり、息を呑んで嶺とくーくんを見ている。くーくんはさっきまでの薄ら笑いをやめ、殴られた頬を抑えながら嶺を睨みつけた。 「お前……」  くーくんは歯をグイッと食いしばると、いきなり立ち上がり、僕の腕を引いて走り出した。 「俺はこいつに話がある。お前らは先に帰ってろ!」  くーくんはサッカー部員たちに叫んだ。そのままくーくんは僕を引っ張って、学校の校舎の裏まで連れて行くと、荒い息をしながら乱暴に僕の腕を離した。 「くーくん……?」  いつもと様子の全く異なるくーくんに、僕は()(げん)に思って尋ねた。すると、くーくんはいきなり僕を壁に押し付けて僕の唇を奪った。僕は一瞬、何が起こったのかわからなかった。次の瞬間、 「湊に何をするんだ!」 と嶺が叫んで、くーくんに体当たりした。ずっと僕らの後を追って来ていたらしい。くーくんは再び地面に倒れ込む。嶺が僕をギュッと自分の方へ抱き寄せた。  くーくんは地面に倒れたまま荒く息をしていたが、絞り出すような声で、 「なんで……、なんでこいつなんだ」 と言った。 「え?」 「なんで、こんなやつと付き合うんだよ!」 「こんなやつって……」 「お前の隣にいるそいつだよ! 水瀬嶺とかいう男のことだよ! お前、俺のことが好きだって告白したよな。俺のことが好きだったんじゃないのかよ。あれは嘘だったのかよ!」 「え……、くーくん?」 「答えろよ! なんで俺じゃなくてそいつと付き合ったのか。言えよ! 早く。ほら言えって!」 「だって……だって、くーくんは僕が告白したらキモイって言ったじゃん。くーくんへの気持ちはもう終わらせたんだよ。だって、そっちの方がくーくんも良かったんでしょ? 僕がくーくんを好きになったせいで、僕のこと嫌いになったんだよね?」 「……ちげぇんだよ……。違う……、違うんだ。俺は、お前のことが本当は好きで……。でも、そんな俺がホモだなんて噂立てられて学校で居場所をなくす訳にいかなかったんだ。サッカーは俺の全てだったから、そんなことで俺は学校や部活での立場をなくすわけにいかなかったんだよ。でも、お前はすぐに俺から離れていきやがった。俺にちょっと無視されたくらいで。俺はずっとお前のことが好きだったのに……。だから、余計にムカついたんだよ。アプリでいろんな男とヤッたり、今度は高校の先輩と付き合い出したり……。俺はお前のことだけ見ていたのに……。お前のことだけがずっと好きだったのに!」  僕も嶺も呆気に取られてくーくんの「告白」を聞いていた。
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