2.エレベーター

1/1
前へ
/10ページ
次へ

2.エレベーター

 幸いと言って良いのか、窓には鍵がかかっていない。  カラカラと開けると、廊下が見えた。さっき通ったあの広い通路とは違って、灰色に淀んだ空気が流れている。  窓が無いせいかもしれない。狭い通路の奥には、暗い色のドアが見えた。  そして、どこからか鳥の声がした。ぎゃー、ぎゃーという大きな鳴き声。  上の階に行ける。行ったほうがいいのかな。でも……。  おじいさんが登れない気がする。  思考を巡らせながら、辺りを(うかが)った。狭すぎる。凜はともかく、おじいさんはこの窓を通れないだろう。ご年配だから、こんな高いところに登ったら怪我をしてしまうかもしれない。 「危ないですよ、ここ。通れないですよ、おじいさんが」  向こう側に鍵がある保障もないのだ。行ったら戻れない。この窓は。  行ったら二度と戻れない。 「一緒に降りて、エレベーターで行きましょう」  そう言うと、おじいさんは少し驚いたような顔をして、それからニコリと笑った。  箱を元の位置に戻して、凜とおじいさんは一緒に階段を下りていった。上るときは長かったのに、階下につくのはとても早かった。  エレベーターは二つあった。ボタンを押すと、先ほど、女性たちが乗っていったエレベーターとは別の方が来た。  開くと、誰も乗っていない。凜はおじいさんと一緒に乗り込んだ。狭い箱の中は明るくて、ようやく安堵した。  ほどなく上階に着きエレベーターを出ると、人だかりが出来ていた。 「えっ……? あっ……」  警察らしき人たちまでいる。あんなに誰もいなかったのに、警備員らしき人が無線で何か話している。事件でもあったのかと、鼓動が早くなる。 「あっ! 凜ちゃん!」  名前を呼ばれて振り返ると、一緒に来ていたはずの友達の姿があった。 「……よかったぁ、夕莉子(ゆりこ)、帰ってなかったんだ……」  伊角夕莉子(いすみゆりこ)。淡くてふわふわした髪を二つ結びにしている。彼女は小動物のように慌てて駆け寄ってきた。探してくれていたんだと思い、安心と喜びが交互にくる。 「凜ちゃん、大丈夫? 怪我とかしてない?」 「どうしたの、大げさだよ」  凜がそう言って笑うと、桜子は「だって……」といいながら視線をとなりのエレベーターに向けた。 「何が……えっ?」  息を呑んだ。  となりのエレベーターが、血まみれになっていたからだ。  警察の人が説明してくれた内容は、こうだ。  警備員が巡回していると、エレベーターのほうから大きな音がした。  不審に思い近づいてみると、なかから人の話し声がした。それから、水が滴るような音。  そしてエレベーターのドアが開くと――なかは血まみれだった。  凜は、現場に居合わせた人間として、事情聴取をされた。迷子になった話、おじいさんの話をする。  でも、おじいさんはどこにもいなかった。  凜や警察の人と話している間に、どこかへ行ってしまったのだろうか。  エレベーターのなかは、血にまみれているだけで、遺体などはなかったそうだ。彼女たちは、どこに行ってしまったのだろうか。  あのエレベーターは、今は使用禁止になっている。 「……何だったのかなぁ、あのビル……」  数日経ってから、凜は夕莉子と一緒にカフェに入っていた。  エレベーターの件が、夢のように感じられた。もう、夕莉子にはその話はしていない。心配をかけるだけだから。けれどずっと、頭の隅っこからあの光景が消せない。  狭い箱の中は、真っ赤だった。  夕莉子はお手洗いに行っている。  だから、一人で待っている。中途半端な時間帯のせいか、店内には誰もいない。誰かが凜の問いに答えることは無い。  ない、はずなのに。 「エレベーターもまずかったね。でも、彼女たちのほうが危険な存在だったんだよ」  耳元で声がした。  ――ぞっとした。  少しトーンが低かったけれど、今の声は。 「おじいさん……?」  振り返ると、後ろの席には誰も座っていない。  ――そうだ、そういえば。  あの青い光の零れていた通路。なんで窓からビルが見えていたんだ。  あの時わたしは、地下にいたんじゃなかったのか。  あの非常階段から繋がっていた灰色の通路。あそこは。  なんで窓がなかったんだ。上の階のはずなのに。 「……凜ちゃん? どうしたの?」  はっとして顔をあげると、心配そうな目で夕莉子が見ていた。 「あっ、ううん。ぼーっとしてただけだよ」  あははと笑うと、わざとらしかったのか、夕莉子は神妙な顔をしている。  危険な存在だったのは『彼女たち』のほう。  では彼女たちは、エレベーターのなかで何をしていたんだろう。  あのおじいさんは、何者だったんだろう。  助けてくれたのかな。じゃあなんで、窓から出ることを勧めたんだろう。  なんで、窓から出ないと言ったら、笑ったんだろう。  凜が考え込んでいると、夕莉子は心配そうに覗き込んできた。 「ねぇ。もう、あのリサイクルショップには行かないようにしようね」  思考が読まれているのかと思い、肩をびくつかせてしまう。 「そりゃ、行かないけど」 「あそこね、変な噂があるんだって」 「噂? なに、都市伝説とか?」  嫌な予感がした。昔、あそこで変な事件でもあったのだろうか。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加