14人が本棚に入れています
本棚に追加
2.エレベーター
幸いと言って良いのか、窓には鍵がかかっていない。
カラカラと開けると、廊下が見えた。さっき通ったあの広い通路とは違って、灰色に淀んだ空気が流れている。
窓が無いせいかもしれない。狭い通路の奥には、暗い色のドアが見えた。
そして、どこからか鳥の声がした。ぎゃー、ぎゃーという大きな鳴き声。
上の階に行ける。行ったほうがいいのかな。でも……。
おじいさんが登れない気がする。
思考を巡らせながら、辺りを窺った。狭すぎる。凜はともかく、おじいさんはこの窓を通れないだろう。ご年配だから、こんな高いところに登ったら怪我をしてしまうかもしれない。
「危ないですよ、ここ。通れないですよ、おじいさんが」
向こう側に鍵がある保障もないのだ。行ったら戻れない。この窓は。
行ったら二度と戻れない。
「一緒に降りて、エレベーターで行きましょう」
そう言うと、おじいさんは少し驚いたような顔をして、それからニコリと笑った。
箱を元の位置に戻して、凜とおじいさんは一緒に階段を下りていった。上るときは長かったのに、階下につくのはとても早かった。
エレベーターは二つあった。ボタンを押すと、先ほど、女性たちが乗っていったエレベーターとは別の方が来た。
開くと、誰も乗っていない。凜はおじいさんと一緒に乗り込んだ。狭い箱の中は明るくて、ようやく安堵した。
ほどなく上階に着きエレベーターを出ると、人だかりが出来ていた。
「えっ……? あっ……」
警察らしき人たちまでいる。あんなに誰もいなかったのに、警備員らしき人が無線で何か話している。事件でもあったのかと、鼓動が早くなる。
「あっ! 凜ちゃん!」
名前を呼ばれて振り返ると、一緒に来ていたはずの友達の姿があった。
「……よかったぁ、夕莉子、帰ってなかったんだ……」
伊角夕莉子。淡くてふわふわした髪を二つ結びにしている。彼女は小動物のように慌てて駆け寄ってきた。探してくれていたんだと思い、安心と喜びが交互にくる。
「凜ちゃん、大丈夫? 怪我とかしてない?」
「どうしたの、大げさだよ」
凜がそう言って笑うと、桜子は「だって……」といいながら視線をとなりのエレベーターに向けた。
「何が……えっ?」
息を呑んだ。
となりのエレベーターが、血まみれになっていたからだ。
警察の人が説明してくれた内容は、こうだ。
警備員が巡回していると、エレベーターのほうから大きな音がした。
不審に思い近づいてみると、なかから人の話し声がした。それから、水が滴るような音。
そしてエレベーターのドアが開くと――なかは血まみれだった。
凜は、現場に居合わせた人間として、事情聴取をされた。迷子になった話、おじいさんの話をする。
でも、おじいさんはどこにもいなかった。
凜や警察の人と話している間に、どこかへ行ってしまったのだろうか。
エレベーターのなかは、血にまみれているだけで、遺体などはなかったそうだ。彼女たちは、どこに行ってしまったのだろうか。
あのエレベーターは、今は使用禁止になっている。
「……何だったのかなぁ、あのビル……」
数日経ってから、凜は夕莉子と一緒にカフェに入っていた。
エレベーターの件が、夢のように感じられた。もう、夕莉子にはその話はしていない。心配をかけるだけだから。けれどずっと、頭の隅っこからあの光景が消せない。
狭い箱の中は、真っ赤だった。
夕莉子はお手洗いに行っている。
だから、一人で待っている。中途半端な時間帯のせいか、店内には誰もいない。誰かが凜の問いに答えることは無い。
ない、はずなのに。
「エレベーターもまずかったね。でも、彼女たちのほうが危険な存在だったんだよ」
耳元で声がした。
――ぞっとした。
少しトーンが低かったけれど、今の声は。
「おじいさん……?」
振り返ると、後ろの席には誰も座っていない。
――そうだ、そういえば。
あの青い光の零れていた通路。なんで窓からビルが見えていたんだ。
あの時わたしは、地下にいたんじゃなかったのか。
あの非常階段から繋がっていた灰色の通路。あそこは。
なんで窓がなかったんだ。上の階のはずなのに。
「……凜ちゃん? どうしたの?」
はっとして顔をあげると、心配そうな目で夕莉子が見ていた。
「あっ、ううん。ぼーっとしてただけだよ」
あははと笑うと、わざとらしかったのか、夕莉子は神妙な顔をしている。
危険な存在だったのは『彼女たち』のほう。
では彼女たちは、エレベーターのなかで何をしていたんだろう。
あのおじいさんは、何者だったんだろう。
助けてくれたのかな。じゃあなんで、窓から出ることを勧めたんだろう。
なんで、窓から出ないと言ったら、笑ったんだろう。
凜が考え込んでいると、夕莉子は心配そうに覗き込んできた。
「ねぇ。もう、あのリサイクルショップには行かないようにしようね」
思考が読まれているのかと思い、肩をびくつかせてしまう。
「そりゃ、行かないけど」
「あそこね、変な噂があるんだって」
「噂? なに、都市伝説とか?」
嫌な予感がした。昔、あそこで変な事件でもあったのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!