6.貫通扉

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6.貫通扉

 今は電車の中で、特に何が起きているというわけじゃない。だから少しは落ち着いていられる。  けれど逆に、自由に動けるようになったら。また、あのビルの中で迷子になった時のように恐怖に呑まれてしまうような気がした。  それがどこに向かっているのか分からなくても、大きなものの中にいるときは安心なのかもしれない。行き先が、おかしな場所でも。  この電車に乗っていると、そんな気がした。謎の安心感。  これで景色が異常だったら、ちょっとは違ったんだろうけれど……。  このメッセージに返信するのは、あまりよくない気がする。この『未亜』という人物の正体も分からないし、なんとなく関わりたくない。  けれど、助けを求める相手もいない。一瞬だけ桜子の顔が頭をよぎったが、彼女に迷惑はかけたくない。巻き込みたくなかった。  だからといって、親や他のクラスメイトに連絡するのも気が引けた。どうしてだろうか、気が進まない、  夕莉子以外に、誰の顔も浮かばない。  その時はじめて、自分は夕莉子を信用していたんだと気がついた。 「友達のなかじゃ、一番ちっちゃくて頼りないのになぁ……」  だからこそ、連絡はできない。  そう考えていると、スマートフォンから通知音がした。見ると、夕莉子からだった。  ……今は、見ないようにしよう。  凜はスマートフォンをカバンに仕舞って、貫通扉から隣の車両を覗き込んだ。誰かいないかと思ったのだ。 「……うわっ!」  思わず悲鳴を上げる。    透明なガラスで遮られた、向こう側の車両から。覗き込んでいる人物がいた。見覚えがある。動画を取りに来ていた、彼女の方だ。  『彼女』はべったりとガラスに張り付いて、唇だけをもごもごと動かしている。まばたきもせずに、ずっと凜の事を見ていた。  まさか、ずっと見られていた……?  怖すぎて話かけることも、その場から逃げ出すこともできない。生きている人間がこんなにも恐ろしいと感じたことはなかった。  しばらくお互いに見つめあったのち、動いたのは彼女の方だった。  貫通扉を開けて、こちら側の車両に勢いよく入ってくる。急に動いたのでついて行けず、凜は中腰のまま固まっていた。彼女は速足で凜に近づくと、勝手にカバンに手を突っ込んだ。 「え、ちょっと!」  ファスナーを開いて、凜のスマートフォンを取り出す。止めようとしたが、手早い仕草で何かをしたかと思うと、すぐに返してきた。 「なっ……何なの……?」  彼女はずっと無表情で、昼間に会った時とは印象が違う。大人しそうな娘だったのに、今は冷淡で機械的な印象しか受けない。  自分のスマートフォンを見てみると、そこには夕莉子からのメッセージが表示されていた。  ――凜ちゃん、いま大丈夫?  そのメッセージの下部には、自分のアイコンで返信した履歴があった。  さっき届いた、だるま人形の画像。それを、夕莉子に送り付けている。  頚螺(くびら)と繰り返して書かれた文章を添えて。 「やっ……ちょっと……そんな!」  ついて行けずに逡巡(しゅんじゅん)して、意味が分かって愕然(がくぜん)とした。  目の前にいる『彼女』は、自分のスマートフォンを使って、夕莉子に呪いの画像を送り付けたのだ。 「あんた、何てことすんのよ!」  怒りに任せて彼女の襟元をつかみ上げた。すると彼女は凍り付いたような眼差しで、口元を歪に吊り上げる。笑っているのだと気づくのに、数秒かかった。 「なにがおかしいの! どうしてくれるのよ!」 「何で助けを求めないの? ともだちいないの?」  彼女の口からは、機械のように軋んだ声音が漏れだした。  僅かに怯んだが、今は怒りでそれどころではない。夕莉子をなんとかしなければ、巻き込んでしまう。  異界に来るならまだいいが、もしも死んでしまったらと思うと気が気でない。 「どうでもいいでしょ。それより、あんた何のつもりよ! この状況、分かってんの? 分かってるなら――」 「たくさんともだち呼んでくれないと街が作れないよ」 「……はぁ?」 「キライッ!」  子供のような話し方をしたかと思うと、急に凜の手に噛みついてきた。 「! 痛った……!」 「でも、ともだち呼んだから電車から降りられるね。未亜ちゃんも嬉しいね」 「えっ? なに……?」  謎の言葉を残して、彼女は素早く走り去ってしまった。来た時と反対側の貫通扉を超えて、行ってしまう。追いかけようかとも思ったが、噛まれた場所が痛くてたまらない。見ると、血が出ていた。 「ああ、もうっ……何だったの、あの子……」  持っていたハンカチで止血する。  思ったよりも傷が深くて、中々血は止まらなかった。  ただの女子高生が、こんな噛み方をするだろうか? まるで野生動物のようだった。  痛みに耐えていると、汗が出て来た。僅かに涙ぐんで、顔を上げると――電車は止まっていた。 「あ……どこかに着いたんだ……」  背後にあるドアが、音を立てて開く。ここから出なければいけない。本能がそう警鐘を鳴らしているのに、中々動き出すことが出来なかった。  だめだ。出なきゃ。これ以上、先に行っちゃいけない。  この駅よりも先に行ってはいけない。  はやく。はやく。はやく。  出ないと。  その時、スマートフォンの通知音がした。  軽やかな電子音で我に返って、慌てて電車から飛び出す。凜が出るのと同時に、電車のドアは閉まった。  ……危なかった。  気がつくと、呼吸が荒くなっている。思い切り深呼吸をしてからスマートフォンを確認すると、メッセージが届いていた。
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