秋風の狂想曲

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「え?」  振り向こうとしたキエロの頭を、ハイドが固定する。キエロは尾行されていた時の対応の仕方を知らないようだ。 「わたしがお料理を習うこと、内緒にしておきたいわ。びっくりさせたいもの」  ユキノジョウが欠伸混じりにいう。 「撒こうか」  おれらは頷いた。視線なんか感じませんよ、といった調子でまっすぐな歩道をちんたら歩き、曲がり角が近づくと、せーので走りだした。  こっちはこの街で幼少期を過ごした身。遊びも悪さもすべて、この街に学んだ。ガキのころの遊びって馬鹿にできないものだ。あの時何気なくやっていた鬼ごっこが、今じゃ逃走に役立つ。道は何百通りと頭の中にある。キエロのような慣れていない人間でも、簡単に逃げられる方法を記憶はすぐに導き出してくれた。  キエロは最初は走るで精一杯といった様子だったが、途中からくすくす笑いだした。  ハイドが両手を広げて、プロペラのようにくるくる回転している。  誰かを撒くのはいつだって楽しい。  市場が見えると、ユキノジョウがまっすぐに野菜売りのオヤジのところへ走った。キエロもあとに続く。市場はそれぞれの店が考えなしにスペースを確保しているので、ぱっと見が迷路のようだ。カラフルなフルーツが並んだり、そのとなりにどこかの外国の民芸品が売っていたりする。そのうえ、二メートルほどの通路には自転車やオートバイが行きかっていた。少しよそ見をしていたら轢かれてしまいそう。  おれとハイドは隅に寄って、ユキノジョウとキエロの買い物シーンを眺めることにする。ぼけっとしていると、ハイドがふっと笑いを零した。 「セルバンテスは、どうしたのだろう?」  今頃セルバンテスは涙目になっておれらを捜しているのだろうか。それを想像すると、罪悪感が生まれた。ほんの、ちょっとだけね。胸の大半を占めるのは、おれらは悪いお友達なのだから我慢してほしいってところ。 「こんなことしているから、嫌われるのでしょうか」  セルバンテスの目つきを思いだして、おれは苦笑いを零した。  ハイドがおれを見下ろして眉を寄せる。悪意をあまり感じとらない鈍感なハイドなのだけど、セルバンテスの視線にはさすがに気づいているようだ。 「しかし、わたしたちをあそこまで嫌わなくてもいいのではないか」 「悪い影響をお嬢さまに与えると思っているんでしょうね」 「たまに殺気のようなものを感じる」  殺気。物騒な単語に、今度はおれが眉を寄せた。おれたち二人を快く思っていないのはわかっているが、そこまで憎まれているだろうか。 「深く考えなくていい。『殺気』ではなく、『殺気のようなもの』。……たまに背筋が凍るくらいの感情を向けて睨まれることが、わたしにはある。ヒツジコはそこまでのものを向けられていないかもしれないけれど」  セルバンテスの目を思い出した。細めた目でじっとこちらを見てくる時の顔。どろどろした溶岩みたいに思える時はある。ユキノジョウに送る蕩けた笑みとは真逆。目だけで「邪魔」「消えてください」とぶつけてくる。軽蔑だったら、もうちょっと冷めていてもよさそうだ。よくは思われていない以上と、いえるのかもしれない。  キエロとユキノジョウが野菜売りのオヤジと話し込んでいる。それを見ながら、ハイドは首を傾げた。 「最初は、わたしを余計な虫のように思っているようだった。だが、それは途中から違うものに変化した、気がする。感覚なので説明がとても困難。うまく話せないけれど」 「変化?」 「わたしはセルバンテスのような視線を、セルバンテス以外からも感じたことがある。それが誰でどんなものだったのか、思い出せない。最近にも……」  そこでハイドの言葉が途切れた。平和な時間が突然、誰かの手によって引き裂かれたのだ。
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