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響いたのはキエロの悲鳴。
「きゃあ、ひったくり!」
おれはすぐキエロのほうを向いた。突き飛ばされたのか、キエロが地面に尻もちをついていた。ユキノジョウがキエロを抱えている。
「ハイド、捕まえて!」
オートバイに乗ったガキがこちらに向かって走ってくる。歩いているやつを蹴散らすようにエンジンを吹かした。手にはキエロのポシェットがあった。このまま逃走するつもりだろうか。手口としては、悪くはない。だけど、それは一般人を相手にしたらだ。
おれは余裕を持ってガキを見ていた。なんたって、こっちにはハイドがいる。とてつもなくハイテクな、ボディーガードがね。
「そこのあなた、待って」
そこからは一瞬の出来事だった。瞬きをしなくても、展開を見逃してしまう。おれのすぐ脇をオートバイが過ぎ去った。だがガキは乗っていない。操縦者をなくしたオートバイは道路に出るとバランスを崩し、横に倒れた。
いつの間にか、ハイドはガキを猫でも持つように掴んでいた。ガキは状況がわからず放心している。そりゃそうだよな。おれもよくわかっていない。たぶん、ガキがハイドの脇を通り過ぎようとする時に、ひょいっとガキを捕まえたんだと思う。拍手。
ハイドはガキを目の高さまで引き上げると、にっこりと笑いかけた。
「そういうことしたら、駄目」
優しくポシェットを奪い返すと、ハイドはガキを投げつけた。地面に叩きつけられたガキは気を失っていた。おれはこれ以上怪我をしないように、ガキを隅に寄せてやる。ガキはおれに引きずられても、目覚める気配がない。
気持ちよさそうに伸びているガキを見ていたら、悪戯心が湧き上がってきた。野菜売りのオヤジにペンを借りて、鼻毛を落書きしてやる。
「怪我はない」
ハイドに問いかけられて、キエロは軽く首を振ってから、頷いた。
「ええ、ごめんなさい。ありがとう……」
驚いているのか、怖いのか、キエロは少し泣きそうになっていた。ユキノジョウが肩を擦っている。キエロは微笑んだけど、その肩は震えていた。おれはガキへの落書きを追加した。
ハイドは一度家に帰ろうと提案したが、おれとユキノジョウの意見により、買い物を続けることにした。キエロにとってもそれがいいだろう。逃げ帰って怯えるよりも、その場で明るさを取り戻す、これがこの街で生きるコツ。いや、どんな街でも人生でも、そういうものじゃないだろうか。寝る前に一日を振り返って落ち込むよりも、今日は楽しかったと思いたいものだ。それは明日の活力になる。
ユキノジョウと一緒になって冗談を飛ばしていると、だんだんとキエロの元気が戻ってきた。
ちょっとびっくりしたけど、こんなものだろう。
そう思っていた。だけど、それだけで終わらないのが、シークレット・ガーデンという街。……というか、おれの日常。
ユキノジョウの家に向かっている途中のことだ。歩いていたら、フードを引っ張られた。振り返る前に、おれは誰かに殴り飛ばされていた。いきなり眼前にコンクリートが迫ってくる。地面に頬が擦れる。小石がおれの皮膚を引っ掻いた感触が痺れるみたいに伝わってきた。このシーンは覚えがある。ガキの喧嘩のゴングが鳴った瞬間だ。
おれを殴ったのは、リーゼントのいかつい男。秋だっていうのにアロハシャツを着ている。襟元から覗く胸元は、分厚くてゴムのようだ。見覚えどころか殴られ覚えもあった。夏に一度、喧嘩をしたことがある。その時の勝敗は聞かないでほしい。土下座をした情けない記憶がよみがえる。
「おい、てめェら。おれの連れが世話になったんだってな」
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