思い出パンチ

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「でもおれのダチじゃん。もうそれでこっちの道に足突っ込んだも同じだよ」 「おれはそんな友達いらない」  蛸みたいな唇のまま、ヒーちゃんはぼくをじっと見てきた。赤い瞳は、昨日殴られたせいか、少し濁って見える。それともいじけてるだけだろうか。  僕も見つめ返すと、ヒーちゃんは頬をちょっと赤くする。照れているというより、悔しがっているような、そんな色だ。 「それに、今回の喧嘩、公園なんだよ。あそこの……ベンチと鉄棒しかない、すげえ小さい公園。そこに、最近調子乗ってる三人組が、自分たちの場所だって主張してるの。だから、お前も今回ばかりは参加するべきだと思う。おれ今回は、その、負けちゃったし」 「公園?」 「その公園っていったら、アレがあるじゃないか。あそこは俺とお前の場所だよ。そういったべ?」 「アレ? なんのことだよ」  また、くだらない理屈で僕を争いへと誘おうとしているな。いつものヒーちゃんのパターンだ。もちろん、そんなことで納得するような僕じゃない。嘲笑うように鼻で笑ってやる。  そうすると、ヒーちゃんはきょとんとした。呆けた、無防備な、撃たれたような顔。  つい動揺しそうになったけど、僕は軽く首を傾げるだけにしておいた。 「お前……アレだよ。すっとぼけるなよ」 「はぁ? すっとぼけてないけど」  ヒーちゃんは困惑した様子で僕を見上げる。何か縋りつくものを探している、溺れた人のような雰囲気。小さく息を切って、小鳥ほどの声を絞り出すと、いった。 「忘れてるのか?」  忘れている? 気にはなったが、どうせこれも演技に違いないと僕は決めつけた。 「何を?」  ヒーちゃんの傷ついた顔が朱色に染まっていく。髪と唇を震わせて、眉間を険しくさせた。毛でも逆立ちそうな静かな怒りが、ヒーちゃんに集まっていく。紅潮された頬と、吊り上った目で見つめられ、僕は硬直した。今度は僕がおろおろする番だ。 「ね、ねえ。どうしたんだよ」 「別にどうもしてねえよ。ただのバカじゃん、おれって」  そう吐き捨てて、ヒーちゃんは立ち上がった。そのまま僕に背中を向けて離れていってしまう。冗談ではなく本気で怒っているようだ。びくんと体を震わせると、僕は慌てて追いかけた。なんで本気で切れているんだ? 「待って。ねえ、ヒーちゃん!」 「ついてくんなよ。お前なんか、もうダチじゃねえよ」  ヒーちゃんは僕を突き飛ばすように振り払って、一睨みもせずに去ってしまう。最後に見た横顔は、顎に皺を寄せて泣くまいと耐えているようだった。なんだその顔は。ギャグでやっているのか? 待ってよ。どこに行くんだよ。とめなくちゃとわかっていても、僕の足はもう動かない。何故か息もできないような苦しさもあった。  残された僕は、呆然と路地裏に立ったままでいる。どこかでカラスが間延びした声で鳴いていた。僕は何がなんだかわからない。でもヒーちゃんは確かに怒っていた。  公園といっていた。その公園なら知っている。僕の家よりずいぶん離れた場所にあって、狭いだけで寝やすくもなければ遊びやすくもない、何もないただの広場だ。誰かが居つくような場所でもなかった。それに、「アレがある」って、なんだろう? 何があるんだ。それが僕にどう関係しているのだろうか。  いつもなら、僕がどこにいようと、勝手に引っ付いてくるヒーちゃんだったけど、その日はもう顔を見せなかった。街のどこに行っても、暗くなっても、ヒーちゃんは帰ってこなかった。  歩き回って疲れた足を家でほぐしていると、育ての親が嬉しそうに僕の背中を突いてきた。 「何、おとぉさん」  振り向くと、やたらとにこにこして僕の足に手を伸ばしてくる。そのまま膝の裏を揉む作業に入りだした。 「いやぁ、ユキノジョウも成長痛かなぁと思うと感慨深いものがあって。さっさと大きくなって、おれに似ろよ」 「いや、似ないよ。遺伝子入ってないから」  この人――おとぉさんは僕を育ててくれている人だけど、血の繋がった父親じゃない。僕の死んだ母親に恋をしていた男だ。なので、まったく僕に縁のない人なのだけど、恋した女の忘れ形見ということで僕を育てている。いい人かといえば、評価はつけがたい。今は仲良くやっているけれど、ちょっと前まではとても仲が悪く、僕はよくおとぉさんにボコボコにされていたのだ。  にこにこしていたおとぉさんはふと思案顔になり、低い唸り声を出す。
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