思い出パンチ

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 仲直りなんか、しなくてもいいんじゃないのだろうか。という囁きも、心の中でしなくもない。そうしたら僕はヒーちゃんに付き合わずに済む。喧嘩をしようと誘われたり、赤ん坊の死体を押し付けられたり、トラックが迫ってくる道路に突き飛ばされたりしなくてもいいってことだ。日常に平穏が訪れる。ありゃ、それって最高じゃない? 「でもなぁ」  一人でぶつくさしてると、おとぉさんが背後に貼りついてきた。 「または手の甲に刃物をぶすりとやってけじめをつける方法もあるぞ。骨とかやらないように、ちゃんと気を遣って刺さないと駄目だけどな」  ずるずるっとおとぉさんから離れて、ベッドの中に潜りこむ。本当に最高だと心の底から思えれば、気が楽だった。僕の頭の中でヒーちゃんの怒った顔が浮かんで消えてを繰り返す。その前に見せた、困惑した表情も。僕は決定的な何かを忘れていて、ヒーちゃんは傷ついたのだ。それが何かわからないかぎり、謝っても一生許してくれないだろう。 「ユキノジョウ、落ち込むなよ。そういう時もあるもんさ、何も永遠に縁が切れたままってことはないんだぜ。大人がいうんだ、信用しろ」  そういう些細な喧嘩じゃないんだといいたかったけど、言い返す気力もなかった。  おとぉさんはそれきり黙って台所に立つ。かんかんと大根か何かを刻む音がする。夕食の準備だ。戸棚を開ける音がする。おとぉさんが「おいおい」と声をあげた。 「喧嘩したからって、素早いいじけっぷりを披露するなよ。……あーあ、ゴミ箱に捨てやがって。危ないの、このまま本当に捨てるところだったじゃねえか」  すたすたと足音が近づいてきたと思ったら、ぼふっと被ったシーツごと蹴られた。もそもそと顔を出すと、額に何かを投げつけられる。 「痛い。何するんだよ」 「バカが。こういうものはな、何があっても大切にとっとけ。これも大人の意見だ。捨てんなよ、いじけ虫」  そういって、おとぉさんは台所に戻ってしまった。視線を落とすと、数日前に捨てたガラスの破片が落ちている。こんなゴミ、なんだっていうんだ。  拾い上げて、もう一度ゴミ箱に入れてやろうとして……はっと思いだした。おとぉさんの声が続いて、僕の記憶を揺さぶる。 「お前とあいつの『宝物』だろう。おれが捨てようとしたら大泣きしてたくせに。あーあ、いじけ虫は嫌だね。小さい小さいお前の純粋さよカムバックって感じ」  ガラスの破片を握りしめる。僕の体温が移ったせいで冷たさはなかった。反対に、僕の顔から血の気が引いて、どんどんと冷えていく。ぶるりと体が震えた。悲しくもないのに、目頭が熱くなる。不意に涙が零れそうになる。  目を瞑ると、朝日に輝くコンクリートが浮かんだ。虹色に、光色に、さまざまな色を透かす、この汚れた街ではありえない光景。 「何、これ、どうしたの?」  その日はヒーちゃんと一緒に夜を明かして遊びまわっていた。その頃は僕とおとぉさんの仲が決定的に悪く、暇つぶしに殴られたあとだったので、家に帰る気などなかった。ヒーちゃんに冗談交じりに「おれと住む?」なんていわれて、半ば本気で考えていたりもした。どうせおとぉさんのいる家に帰るくせに。  遊び疲れて辿りついたのは、ゴミ捨て場だった。そこは街の元工場で、冷蔵庫や廃車、タンスやドレッサー、壊れたギターなんかが山みたいに積み重なっていた。灰色の街に馴染む、廃棄と排気でできた丘。家具は刺があったり、割れたガラスなんかが散乱しているので、夜中に遊ぶには危険すぎた。だけど、その日はどうでもいいような気分でもあったし、スリルみたいなものを楽しみたかったのもある。だから夜中になっても僕たちはそこから離れなかった。そうして僕たちは初めて、その工場の夜明けを見たんだ。  二人で肩を寄せ合って、廃車のボンネットでうとうととしはじめた時間帯。廃棄物や油まみれになっている地面が、きらりと光った。僕は半分夢に浸っていた眼をすこぅし開いて、そして驚愕した。雨に濡れてテールランプを反射するコンクリートのように、地面が光りだしたのだ。  朝日を浴びると、地面はどんどんと虹色に変化していく。光を地面に縫い付けたみたいだった。僕たちは、瓦礫の中にいたはずなのに、そこは万華鏡の中だった。 「なんだよ、これ。ほ、宝石とか落ちてるんじゃねえの?」  隣りで目覚めたヒーちゃんも裏返った声を上げる。僕はヒーちゃんの腕にしがみついた。ある種の恐ろしさを感じていた。綺麗なものに耐性がないのだ。眩しくて、眩しくて、怖かった。見ていられない。このまま虹色に僕まで吸いこまれて消えてしまうんじゃないかって錯覚する。  僕たちは顔を見合わせた。そのヒーちゃんの白い肌がオレンジや赤に染まっている。地面から反射した光が、ヒーちゃんの髪や鼻をスタンドグラスみたいにしている。僕はおっかねびっくりでヒーちゃんの髪の毛に触れると、僕にも光が反射した。 「何があるんだろう」  ヒーちゃんは震える僕の腕を掴んで、光の中に飛び込もうとする。僕は首を振ったけど、一人残されるのも嫌だったので、ついていった。光の渦に足を踏み入れると、じゃりりとした感触がする。砂利道と同じ感触。ゆっくりとしゃがみこみ、僕らは光の正体に気付く。
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