思い出パンチ

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 何もいい返せない僕を笑うと、おとぉさんはとどめの一言を放った。 「今は気味悪く聞こえるかもしれないけどな。あいつにとってお前が、そのガラスみたいなもんだったんだよ。宝物は物じゃなくて、お前と、お前との思い出」  僕はベッドから這い出して、玄関に行った。食欲はわかない。外に出てどうするんだって気もしたけど、じっとできなかった。  ヒーちゃんに会わなくちゃ。何ができるか、わからないけど。  外に出て、また歩き回って、思い出した今ならわかることがある。  僕が外に出るとどこからかヒーちゃんがあらわれて、引っ付いてきた。約束なんかしてないのに、約束したみたいに。勝手にくっついてくるように感じてたけど、僕もまたヒーちゃんのところに向かって歩いていたんだと気づく。ヒーちゃんがいるから外に出ていた。だってほら、今はヒーちゃんはやってこない。そして僕はそのやってこない相手に向かって歩いている。約束は僕とヒーちゃんの間。いつの間にかできた決まり事だった。  こんな時に巡るのは面白かった思い出。ヒーちゃんと初めて煙草を吸って倒れたこと。ガジュマルの樹に登ったこと。そこで出会った赤毛の女の子を、ガジュマルの樹の妖精だって思い込んだこともあったっけ。弾けもしないのにギターを拾って、二人でバンド名まで考えたこともあった。もちろん、ギターはどこかに行ったし、僕もヒーちゃんも楽器なんかできないままだ。それは二人の間で触れてはいけない話題になっている。あれほど熱く語ったのに。あの時、一所懸命だったけど、今は恥ずかしい過去になっているものたち。まだ輝いているものたち。  僕はどうして、忘れていたのだろう。あれほど大切だったものを、どうして、ゴミって決めつけて。心の中で「なんで」と「どうして」が駆け巡る。ぐしゃぐしゃになった頭はまともな思考回路を保ってくれない。面白い記憶が再生されているのに、唐突に悲しくなったり、怒りだしたくなったりしてくる。その悲しみや怒りがどこに向かっているのか、僕は掴むこともできやしない。  ああ、なんで大切なものでも、気付かない間に、どうでもいいものに変わってしまうのだろう。明日、また明日、そのまた明日。ぐるぐるぐるぐる回る世界と時間。あれだけ輝いていた日常すらも、寂びれた退屈に成り下がる瞬間。  宝物が埋まった公園を覗くと、十代……後半に入ったあたりだろうか、大きな少年たちがいた。みんなガラが悪そうだ。声を上げて笑っている。怖い。僕は特に絡まれてもいないのに、息を殺して、物陰に隠れようとした。僕を見つけたって、何かをすぐにしてくるわけでもないのに、心が怯える。だって勝てるはずがないのだ。膝から力が抜けて、その場に蹲り――ふと、僕は振り返った。視線を感じたのだ。僕の後ろにいた人物――ヒーちゃんは目を丸くしている。どうしてここにいるのかって感じだ。 「ひ、ヒーちゃん」  僕を睨みつけると、ヒーちゃんは踵を返して走りだろうとする。今度は僕も追いかけた。 「ヒーちゃん、待ってよ、ヒーちゃん」  ヒーちゃんは右手に角材か何かを持っている。まだ戦うつもりだったのだろうか。バカじゃないのか? 走っても走っても距離は一向に縮まらない。 「ごめん、ヒーちゃん。忘れてごめん」  走っても走っても、僕の体は暖まらない。それどころかどんどん冷たくなっていく。氷水でもかけられた気分だ。足がもつれて、僕はぺしゃんと転んだ。ヒーちゃんは一回振り返ったように見えたけど、帰ってきてくれるはずもなく距離は離れていく。こんな時、いちばん思い出したくないことを脳は勝手に上演してくれる。  ――転ぶなよ、お前ってどんくさいなあ――  いつか、そういって僕に手を差し伸べたヒーちゃん。自分の方が街に精通しているって顔で、僕に引っ付きまわる横顔。確かにヒーちゃんはとんでもないが、いつも僕に優しかった。  でも、今、完璧に僕は拒絶されていた。 「逃げ帰ってきたのか」  家に戻るとおとぉさんが腕を組んで玄関前で待っていた。僕のしょぼくれた様子で、すべてを読み取ったらしい。転んだ僕の膝小僧を見て、ちっと舌打ちをする。腕を引っ張られて、家の中に放りこまれた。  傷を洗ったり消毒されたりしていると、傷がしくりと痛んで、涙が出そうになってきた。悔しいから絶対泣かないけど、泣きそうって時点で情けない。  このまま僕らは終わるのだろうか。  拒絶されたことなんてないから、絶望的だ。初めてのことを僕はやってしまった。 「あのなぁ、めそめそすんな。男だろうが」 「ダチじゃないっていってた。無視されるし、謝りようがいないし、やっぱり駄目なんだよ」  悔しい。何が悔しいんだろう。ヒーちゃんに無視されたこと? 追いつけなかったこと? それとも他に何が――? もうわからない。どうしたらいいのかも、何も何も何も。
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