ウィンザー・ノットの日

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 こんなはずではなかった。  二年ぶりの電話で、啓子が須賀先生の回顧展の責任者になったと告げたとき、あの絵を展示できないか、と言ったのはぼくだった。 「須賀先生への最後の贈り物だよ」 「……表向きには、でしょ」  十年前、ぼくと啓子は絵を捨て、先生から去った。  須賀先生への敬意や忖度からとしか思えない受賞、なにかと先生のように描けと言う愚か者たち、先生のエピゴーネンのような作品を求める画商、そんなことに嫌気がさした。  ぼくと啓子は、ただ先生の絵が好きで、先生に学びたかっただけだ。ふたりとも勝手に先生のそばで絵を描いていただけだ。先生も弟子だとは考えてもいなかった。  もちろん、「営業」を考えれば、須賀先生の名前を利用すれば楽なのはわかっていた。多少の瑕があったにしても先生の威光がかすませてくれる。「須賀先生のお弟子さん」なのだから。  ぼくたちは鼻持ちならないほど、生意気で、若かった。  啓子は敢然と受賞を拒否した。ぼくは展覧会に絵を出すのをやめた。  ただ、周りを拒絶すれば先生に迷惑が及ぶ。そして、食ってはいけない。  病んだ父のため金が必要だったぼくは、デザイン事務所に就職した。学芸員養成課程を修了していた啓子はこの美術館の学芸員になった。  揃いも揃って不肖の弟子。あからさまな陰口は何年も谺した。  だから、先生とあの絵の半世紀ぶりの再会は、不肖の弟子の恩返し、とみんなは想うはずだ。  だけど、ぼくと啓子には別の計画があった。  安っぽい美談の蔭で、罪悪感と、とうの昔に沈めた想いにとどめを刺して、絵にも先生にも別れを告げる。誰も傷つけずに犯行現場から堂々と立ち去る、被害者なき完全犯罪だ。  まさか、あんな絵だとは想いもしなかった。 「どうして警告してくれなかったんだ」 「知らないほうが夢中になれるもの。余計なことして、絵を見る快楽を損ねたくなくなかったのよ。ナチスのこと考えながら、『スイミー』読んでもつまらないでしょ」  絵を見る快楽。啓子からその言葉を聞くのは何年ぶりだろう。 「きみはどうなんだ、あれを見てどう想った」  啓子はうつむき、小さな声で言った。 「あの絵が届いた日、帰ってすぐあなたの絵を見た。  あなたが描いてくれた、わたしの絵」 「まてよ!捨ててくれって頼んだだろ。きみは捨てたって言ったじゃないか!」 「一度は燃えるゴミに出したのよ。でも、出したのが遅くて回収されなくて、町内会のおばさんが、あなたのでしょって。それきり捨てられなくて」 「なんだって、そんなものを」 「同じものを感じたからよ!  きれいに描きたいとか、上手に描きたいとか、そんな見栄は捨てて、へんな理想を当てはめて美化するんじゃなくて、わたしの信じることとか、迷いとか、後悔とか、寂しさとか、批判もなしに受け止めてくれてる親密さを感じたのよ」 「描いたときは、わたしはもっと美人だって抗議したじゃないか」 「あら、いまでもそうよ。美術番組に出演すると、縁談の電話が何本もかかってきて、館長が苦虫潰してるもの。出演するときは、うそでいいから指輪をしてくれ、ですって」 「きみはうそつきだ」 「自分からも他人からも隠してることが多いだけよ」 「たまには本当の気持ちを言えよ」 「やぁよ、わたしが真実を語れば、世界が凍りつくもの」 「その心配はない」  啓子は顔を上げ、眼をそらしたくなるほどきつい眼差しで、ぼくを見た。 「回顧展を準備したこの半年は地獄だった。なにを見てもなにかを思い出す。先生と奥さんとあなたを。自分が逃げ出した世界に連れ戻されるのよ」  地獄?  啓子はいつも言葉を択ぶ。こんな言葉はジョーク以外で聞いたことはない。 「ほら、凍りついた。わたしの気持ち、考えもしなかったでしょ。  先生のインタビューのビデオって全部で二百時間近くあるのよ。毎日八時間観ても一月かかる。テキストまとめるために、耳も閉ざせず、眼も閉ざせずで、跳ばし跳ばし視てたら、先生の後ろにあなたとわたしが映ってた。  きったないシャツ着て、顔にも絵の具がはねてて、あなたは髪が長いし、わたしは赤い洗濯バサミでポンパドール、何日お風呂に入ってないんだか。  腹たつくらいに生意気な顔して、腹たつくらいに楽しそうで。  ……帰って辞表を書いた」 「でも、出さなかった」 「出しに行く途中で、あの絵が届いて…。見てるうちに、想ったの。  わたしはこんな絵を知ってる、見たことがあるって。  見えない小人にハンマーで頭を叩かれたみたい。  辞表なんか忘れて、早退けして、ゴミ袋からあなたの絵をひっぱり出したの。  笑っちゃうよね。大切にしたいものが、捨てそこねたゴミ袋にあるなんて。お手軽な教訓話みたい。  でも、……捨てなくてよかった。おかげで、想い出した」 「また、描きたくなった?」  こくりとうなずいた啓子はとても幼く見えて、ぼくは徹夜で展覧会の絵を仕上げたあとの啓子の寝顔を想い出した。  何度も汚れた服のまま床に転がり、ふたりで睡った。  その日は、睡っているうちに抱き合っていて、食事を運んでくれた奥さんの笑い声で目覚めると、眼の前に啓子の寝顔があった。どこに二日も徹夜するパッションが潜んでいたのかと疑うほど、幼さと素直さをさらけだした、あの寝顔。 「あなたもそうでしょ」  啓子にうそはつけない。  ぼくは、自分でもバカじゃないかと想うくらい素直にうなずいた。  すると、身体の底で何年も張りつめていたものがほどけた。  今日こそ灼き尽くすつもりで、ずっと手放せずにいた想い、絵に触れたくて手を伸ばしたあの気持。  はじめは気まぐれな線が、意味を帯びて枝になり、樹になり、森になり、世界になる。  顔料とオイルのにおい。筆の手応え。  言葉にはできないひとしずくの想いが、小さな河になり、画布より広く、心より深い海に注がれ、音もなくあふれ出す、あの、色と光とマチエール。  どうして捨てられると想ったのだろう。 「いきましょう」  啓子がぼくの手を取った。 「美術館(なか)に戻るのよ。あなた、今日はロクに見てないでしょ、先生の絵」  啓子と進む順路は、なかば巡礼、なかばバビロン再訪、でも、結局は子宮回帰だ。噛み合わない会話のような、独り言のようなささやきと沈黙を交わしながら、先生の不在と遺されたものの意味にたじろぎ、同時に魅了された。啓子はぼくの手を離さず、ぼくも啓子の手を離さなかった。  最後に、ふたりであの画題のない絵の前に並んで立った。 「描いたとき先生は二十歳?」 「そう、当時は、先生じゃなくて、ただの貧乏学生。奥さんは十九。ただの情熱的な恋人同士」  啓子が拗ねた口ぶりで言った。 「ずるいな、先生、今になってこんな絵を見せるなんて」  ロジックがおかしいのは明らかけど、気持ちはぼくも同じだった。  多くの絵には失望させられるし、見ても見なくても人生はかわらない。  だけど、言葉にできず、かたちに表すこともできずにいたもどかしさに、かたちと色を与えてくれる絵に出逢えたとき、昨日まであることすら知らなかった絵が、突然かけがえのないものになる。  高尚なメッセージなどいらない。  見知らぬ誰かのひと刷けの線が、自分の理想や希望を描く線に変わる一瞬の、あの共感と親密さ。  これはそんな絵だ。作ったポーズも、デフォルメもない。描き手が臆面もなく自分の愛情や技量を世界中に表明しようというのでもない。  瞳に散らしたチタニウム・ホワイト。その下にわずかにのぞくバーミリオン。あの理解に手が届く寸前のちいさな兆しを描くため、どれほど間近で相手の瞳を覗き込んだのだろう。それも一度では足りないはずだ。  間近で瞳を見つめるのは、間近で眼を合わせるのとは、まるでちがう。  啓子を描いたとき、瞳を覗き込むと、なんだか傷ついた陰りが見えて、ぼくは一度であきらめた。眼は外に(じか)に接する脳の一部で、その向こうに啓子の心があると想うと、壊してしまいそうで、こわくて、それ以上覗き込めなかった。  間近で瞳を見つめるには勇気がいる。 「この絵、持ち主から買い戻せないかな?個人じゃ無理としても、美術館の予算からとか」 「無理、無理、無理。持ち主は絶対に売らない。お金の問題じゃないのよ」 「じゃ、なんの問題?」 「半年前にわかったんだけど、持ち主は奥さんのお父さまだったのよ」 「はあ、あの結婚に猛烈に反対したお父さん?それじゃ、お父さんが先生の息子さんの、孫の治療費を出したのか」  あの腹が立つくらい晴れた奥さんの葬儀の日、口ごもりながらお悔やみ言ったぼくに、無言で伏せた人だ。鋭い線が刻まれた顔をした人で、白く硬いカラーがやけに眩しく、礼服の剣襟がやけに刺々しかった。  妻も娘も孫も先に逝ったのだ。今ならあの刺々しさも納得できるが、あの日のぼくにはひとの気持ちを推し量る余裕などなかった。 「お父さまご自身も反対を押し切って早くに結婚して、苦労が多かったみたい。奥様も早くに亡くしてたし、娘にはちゃんとしてあげたかったのよ。  あのふたり、駆け落ちみたいに結婚したから、式の写真なんてないでしょ。  だから、これはひとり娘の結婚写真。  この絵を見れば、描く・描かれる関係を超えた、ふたりの圧倒的な親密さが伝わってくる。先生の姿はないけど、娘がしあわせな結婚をしたことはわかる。  手放せるもんですか。  でも、自分が逝くとき寄贈するって約束してくれた」 「逝くときって、今、おいくつなんだ」 「九十一。身の回りのことはひとに頼んでるみたいだけど、まだ矍鑠としてらっしゃる。  記銘力もすごいの。葬儀にわたしたちがいたのを憶えてらした。ほら、わたしたち、先生の横でぼろぼろに泣いてたじゃない。それで、お宅に伺ったとき、わたしのこと想い出してくれて……最初はしぶってたけど、結局は展示を認めてくれた」 「先生は忘れているのに」 「先生の代わりに、憶えてくれてるのよ」  啓子が顔をあげた。 「もうすぐこの絵ともお別れ。きれいよねぇ、十九だもの」 「うん、きれいだ」 「それだけ?こんなときには、ほかにも言うべきことあるんじゃない?」 「今、言うべきこと?」 「『きみも十九の頃は、同じくらいきれいだったよ、啓子』、とか」 「…きみは世界でいちばん真っ赤な洗濯バサミが似合ってたよ、とか」 「いや、いや、それは忘れてほしい」 「きみは今のほうが、ぼくにはしっくりくる」 「あら、うれしい」 「今のきみにはティファニー・ブルーの洗濯バサミがよく似合う」  言うと同時に右足を引いた。的を外した啓子の踵が勢いよく床を叩いた。  学芸員にあるまじき啓子の明るい笑い声が、展示室に谺した。  十年ぶりに笑う啓子を見た。  ふたりで笑った。  こんなはずではなかった。  笑う啓子を見ることは二度とないと想っていた。  いっしょに笑うことは二度とないと想っていた。  ふたりが絵を描くことは二度とないと想っていた。 「きれいなひとねぇ」  啓子の声に須賀先生の声が重なった。 「きれいなひとだねぇ」  絵を見ながら、先生はずっとネクタイのノットを確かめていた。  奥さんから贈られ、四十年間いつも大切な日に締めた、大切なネクタイだ。  心のどこかで、絵の女性がネクタイを贈ってくれたひとだとわかっていた。  大切なことは忘れていなかった。  そして、あの言葉。 「やり直しを、絵が待ってた」  どこかで、ぼくと啓子のことを憶えていてくれた。いつかぼくたちが描くと信じていてくれていた。  先生は大切な日にはいつも、あのネクタイを締めるのだ。  自分では結べず、奥さんには断られ、先生は恥ずかしそうに、ぼくにネクタイを差し出し、ぼくはいつも文句を言いながら先生のネクタイを締める。 「この締め方、なんていうんだっけ」 「ウィンザー・ノットです。忘れないでください」 END
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