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Rとの出会い
「いってきます」
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
ファミリーマンションの玄関から聞こえる優しい声。いつも俺たちを玄関まで見送ってくれる最愛の妻、瑠実子。
家を出た俺の前をタタタ、と駆けていき、共有エレベーターのボタンを押して、俺を待ってくれている。俺の最愛の娘、理愛。理愛が肩にかけている鞄の上で、Rというアルファベットを抱いた小さいクマのキーホルダーが揺れていた。
俺は條ケ崎武志。映画の配給会社に勤める34歳のサラリーマンだ。可愛い娘と優しい妻と3人暮らし、仕事も順調で、今度係長に昇任する。平凡だが、とても幸せな毎日を送っている。
しかし、この生活にたどり着くまで、大変な苦労をしたのだ。
マンションのエレベーターを降り、理愛が俺を見上げた。
「お父さん、今日は夜映画観る日だね!今日は何観るの?」
「そうだなー。理愛は何観たい?」
「お父さんとお母さんのおススメのやつ!」
「いつもそれじゃん。なんか観たいのないの?子供のアニメでも全然いいんだから」
「ん~アニメでもいいけど、お父さんとお母さんが選ぶ映画の方が面白いもん!」
こう言って理愛は俺に笑いかけ、俺はたまらずにかかんで理愛を抱きしめた。
「こいつ~」
「きゃ~くるしい~」
最愛の娘、理愛。9歳。顔はとても可愛く、町を歩いているとよくキッズモデルにスカウトされるくらい容姿端麗だ。性格も真面目で、家の手伝いも積極的にやってくれるし、勉強も得意で学校の先生からの評判も良い。まるで絵に描いたような理想の子供だ。
理愛の鞄についているクマのキーホルダーは、俺が出張に行ったときに理愛へのお土産として買ってきたものだ。これをあげた時はとても喜んでくれて、今も大事に使っている。
俺のことも、瑠実子のことも、とても慕ってくれている。
しかし、理愛は瑠実子の実の子供ではない。
理愛は、俺の前妻との間にできた子供だ。
俺の前妻、羅依愛。彼女と出会ったのは10年前。俺は24歳、羅依愛は20歳だった。羅依愛は俺の配給会社が経営している映画館に併設しているカフェでアルバイトしていた。
スレンダーな体型に、小顔で大きい目。通った鼻筋。ぷっくりした唇。少し暗めの茶髪のロングヘアー。誰がどう見ても華やかな美人顔と抜群のスタイルで、いつも人目を引いていた。
羅依愛の働くカフェがある映画館は会社の目の前で、ミーティングや客層チェックする為によくそのカフェを利用していた。
そしてある日、俺のSNSに羅依愛からメッセージが届いた。
『よくカフェに来られますよね?フォロー申請したのでよかったら仲良くしてください ^^』
男子校育ちで、学生時代はずっとアメフトに打ち込み、女性にあまり免疫がなかった俺は美人からコンタクトをもらえたことにかなり浮かれた。
そしてすぐ交際が始まり、こんな美人と付き合えるチャンスはもうないと焦った俺は交際半年でプロポーズして、結婚した。
羅依愛も結婚に積極的だったし、俺もこんな若い美人と結婚できたことが誇らしかった。
結婚してすぐに子供が授かり、理愛が生まれた。理愛は羅依愛によく似ていて、目も大きく鼻筋も通った顔立ちで、幼少の頃からとても美人だった。
若くて美しい妻に可愛い娘。
周りからは羨望の眼差しが向けられたが、現実はまるで違った。
羅依愛は俺との結婚を機にバイトを辞めて専業主婦になったが、金遣いは荒く、家事もろくにやらず、家の中はいつも散らかっていた。
思い通りにいかないことがあるとすぐにヒステリーを起こして暴れるし、赤ん坊の理愛が泣くと余計にキレて手が付けられなかった。
結婚してから判ったことだったが、羅依愛は俺が好きだったんじゃない。俺の財産が目当てだったんだ。
俺の実家は古くから続く仏壇屋で、実家は都内に立つ大きな一軒家だ。
家業は兄貴が継いでいるので俺は関係ないが、俺も大手の映画配給会社に就職し、同世代の平均値よりは稼いでる方だった。
そして、学生時代に上下関係が厳しい運動部で鍛えられた忍耐力と礼儀正しさが上司や取引先から評価されて、広告や宣伝のチームリーダーを任されることもよくあった。
おそらくカフェのバイト仲間からの噂話や、俺のSNSを見たりして俺の素性を知り、狙いを定めていたんだろう。
そして、女性経験の少ないバカな俺はまんまとその罠にはまってしまったのだ。
(結婚式に来てた友達も凄い派手だったもんな~・・・・)
結婚式の友人の雰囲気や生い立ちムービーを見て、羅依愛が学生時代はギャルだったことを知った。出会ったときも華やかな顔立ちではあったが、髪は暗めの茶髪でメイクもナチュラルだったせいでギャルの面影はなく、気づけなかった。
羅依愛の友達は派手だけど美人揃いで、俺側に参列していた学生時代の部活仲間は浮かれていたが、ギャルとかヤンキーが苦手な俺はかなりビビッていた。
羅依愛も最初は良妻を演じていたが、妊娠中から本性を現してきた。
そして、羅依愛との生活に限界がきた俺は理愛を連れて家を出て離婚を申し出たが、そうするとまたキレて俺がDVしてるだの、不倫されただの、俺の両親の会社が脱税してるだのわめきたてるようになり、離婚調停にまで発展した。
もちろん、羅依愛が主張していることは全て事実無根だし、証拠もなかった。
それどころか不倫していたのはむしろ羅依愛の方だった。羅依愛のスマホで匿名の男とメールのやり取りしている証拠を見つけて突きつけたら、育児のストレスからSNSで知り合った男と不倫していたことを白状した。
その時期は本当に辛くて、ストレスで胃潰瘍にまでなってしまった。そのことを調停で訴えたら羅依愛に鼻で笑われた。
妻と上手くいってなくて離婚調停にまでなってること、病気にまでなったこと。惨めで恥ずかしくて家族や友人、職場の人、誰にも打ち明けられなくて、とても苦しく、孤独だった。
今では笑い話にできるまで回復したが、当時の俺はまだ若くて変なプライドもあって、『身の程を知らずに美人な嫁をもらって痛い目見た男』という目で見られるのが嫌だった。
結婚して2年後に離婚が成立し、理愛の親権、養育権は俺が持つことになった。羅依愛に対しては慰謝料や養育費など請求しない代わりに、理愛には会わせていない。とにかくもう羅依愛には二度と関わりたくなかったし、理愛にも会わせたくなかった。
辛い生活のなか、理愛の成長だけが俺の心の支えだった。顔は確かに羅依愛に似ているが、性格は俺に似たようで真面目で純粋な子に育った。自分で言うのもなんだが、内面は俺の方に似てくれて良かったと思う。
まあ、俺は勉強はできなかったけど・・・。
そして、羅依愛と離婚した俺は実家などの助けを借りながら仕事と子育てに奮闘していた。親や友人、職場には離婚したことだけ伝え、詳しい離婚原因や自分が病気になったことなどは伏せておいた。もちろん誰かに愚痴を言いたい気持ちはあったけど、万が一人づてに羅依愛が俺の話を耳にして、名誉棄損だの言い出されたら困るから我慢することにした。
もう恋愛も結婚もコリゴリだった俺はもう一生誰とも付き合わない気でいた。
しかし、そんな俺に歩み寄ってきたのが瑠実子だった。
瑠実子は俺の会社の後輩で、2歳年下。
付き合うまでは、真面目に仕事頑張ってくれる可愛い後輩、くらいで特に異性として意識していなかった。しかし瑠実子は俺が結婚する前から俺に好意を寄せてくれていたらしく、俺は全く気づかなかった。
瑠実子は羅依愛のような派手な美人ではないが、小柄で可愛らしい雰囲気で、ボブがよく似合っている。瑠実子に好意を寄せている男性社員も何人かいた。
そんな瑠実子が俺を好きになったきっかけは、瑠実子の失恋だった。
当時、瑠実子にはずっと憧れている先輩がいた。隣の部署の人なのであまり接点がないが、思い切って告白したらOKを貰えたらしい。憧れの先輩と付き合えて浮かれていた瑠実子だが、わずか1カ月でフラれてしまった。
たった1カ月で天国から地獄に突き落とされた瑠実子は、失恋のショックでみるみる瘦せていき、仕事もミスを連発して、当時同じチームで仕事していた俺も上司に叱られた。
上司にしっかり注意しとけ、と言われた俺は会社のミーティングルームに瑠実子を呼び出した。
「あの・・・斎藤さん」
「は、はい」
向かいのテーブルに座っていた瑠実子は、俺の声にビクっと反応しながらも、体をプルプル振るわせて俯き、完全に怯えていた。
「なんていうか・・・その」
「はい・・・・」
「・・・人間だから、調子悪いときもあるよね」
「・・・・すみません・・・・」
「斎藤さんが元来真面目で頑張り屋なのは皆知ってるし。元気取り戻したときに、また頑張ってくれたらいいから」
「え・・・?」
説教されると思っていたらしい瑠実子は顔を上げて真っ赤な目で俺をみた。
「ん?なに?」
「いや、その・・・凄く、怒られると思ってたから」
「こんな落ち込んでる人間に説教しても効果ないでしょ。よし、皆のとこ戻ろう」
俺が立ち上がり、ミーティングルームのドアを開けようとすると。
「・・・先輩!」
「ん?」
「ありがとうございます・・・!」
瑠実子は両目に涙を溜めて俺に深く頭を下げた。
「大丈夫だよ。いつか、俺が調子悪くなったときはフォローしてね」
冗談まじりにそう言って笑いかけると、瑠実子も安心したように微笑んでくれた。
そこで瑠実子は完全に俺に惚れてしまったらしいが、その直後に俺が羅依愛と付き合いだして、また落胆したらしい。
しかし、2年後に俺が離婚したことで瑠実子からよくご飯や映画に誘われるようになり、交際することになった。
バツイチでしかも連れ子ありの男なんて無理だろうと思っていたが、瑠実子は理愛に会いたがり、会わせてみたら理愛も瑠実子によくなついていた。
お互い真面目で控えめな性格が共通していて、相性が良かったらしい。
実は、瑠実子は子供が産めない体だったのだ。
子供の頃に事故で腰をぶつけて後遺症が残り、日常生活に支障はないが、医者に妊娠出産はかなり困難だと診断されていた。
自分の子供を産むことはあきらめていたらしいが、その分理愛をとても可愛がり、むしろ2人のデートより理愛ちゃんも連れて3人で出かけよう、と言ってくれていた。
理愛もルミちゃんにお母さんになってほしい!と言ってくれたので、交際3年経て俺たちは結婚することになった。俺が30歳、瑠実子は28歳、理愛は5歳だった。
瑠実子は結婚前に会社を辞め、今は近くの映画館の劇場スタッフとしてパートで働いている。
今は結婚4年目に突入した。
俺はもともと映画が好きで映画の配給会社に就職したのだが、もちろん会社にも映画好きな人が多い。瑠実子も映画が好きで、理愛も俺に似て映画好きだ。休みの日に3人で映画館に行くこともあるし、週末の夜に3人で映画を見るのが今の楽しみだ。もちろん理愛がいるので子供でも見れるようなコメディ映画などになってしまうが、理愛が寝たあとに瑠実子と2人で大人向け映画を見るのも楽しい。
話題の新作を見たり、少しマニアックな海外の映画を見てみたり。お互いのおススメを交互に観賞して意見交換することもある。
俺はサスペンスやアクション系、瑠実子は恋愛系やヒューマンドラマ系の映画が好きだ。
こんなことになるなら最初から瑠実子とそのまま付き合えば良かったかもしれないが、羅依愛とも結婚していなければ理愛が産まれていないからなんとも複雑だ。
色々苦労はあったけど、俺は今の人生にとても満足している。
もちろん夫婦喧嘩することもあるけど、そのたびにしっかり話し合いして解決している。不満はない。きっとこれからも上手くやっていける。そう信じて疑わなかった。
そんな俺が、まさかのトラブルに巻き込まれるとは、この時は全く、想定していなかった。
その日は休日だった。
3人で家の近くの映画館で話題の新作を見て、ご飯食べてショッピングセンターで買い物してそのまま歩いて帰るところだった。
「来週、理愛のピアノの発表会だね」
「うん、緊張する~」
瑠実子に発表会の話題をふられた理愛は鞄についてるクマのキーホルダーを握りしめて、ため息をついた。
「大丈夫だって。いつも家で凄い練習してるじゃん。俺曲覚えちゃったもん(笑)」
「でも緊張はするよぅ」
「大丈夫だって。あ、神社あるよ。発表会上手くいくように、お参りしよ」
俺は帰り道の途中にある神社を指さした。古くからある神社らしく、今まで入ったことない神社だった。不安がる理愛を勇気づけるために、気晴らしも兼ねて提案してみた。
かなり広い境内に入り、奥にある本殿へ到着すると3人で賽銭に小銭を投げ入れ、手を合わせた。
横をちらっと見ると、瑠実子も理愛も手を合わせ、目をきつく閉じて念じていた。
そんな光景を微笑ましく思いながら、俺も目を閉じて、頭の中で自分の願いを呟いた。
『理愛のピアノの発表会が上手くいきますように。そして・・・・』
『このまま3人で、仲良く暮らせますように』
お参りを終え、境内を出るときに理愛があっ!と叫んだ。
「どうした?」
「・・・キーホルダーがない!」
理愛の鞄をみると、いつもあるクマのキーホルダーがなくなっていた。
「いつなくなったかわかる?」
「・・・わかんない。でも、神社入る前はあった」
「探そうか。理愛、大丈夫だよ、理愛。落ち込まないで」
そう言って瑠実子は理愛の手を引いて神社の中を探し出した。
俺も2人について神社の中を探したが、クマは見つからなかった。
「お父さんがくれたやつ・・・」
キーホルダーが見つからないことで、理愛はひどく落ち込んでいた。
「ほらほら泣くな。また買ってきてやるから」
「・・・・・・」
ネットで探して買おうかな、とか思っていたが、理愛は納得いってない様子だった。
「そういうことじゃないでしょ、もう少し探そうよ」
「お母さん・・・」
「大丈夫、大丈夫。きっと見つかるから」
瑠実子は理愛の気持ちを察して理愛の手を取り、またキーホルダーを探し出した。
(・・・・まあ休日だし、時間あるからいいか・・・)
俺たちは神社内を3手に別れて探す事にした。神社は広いけど迷子になるほどじゃないし、3人一緒に周って探すより、効率が良いと考えた。
すると・・・・
「あっ!!」
大きな声が聞こえて振り返ると、理愛が境内の入口から向かいの道路を指していた。
道路脇に、Rを抱えたクマのキーホルダーが落ちていた。
理愛はキーホルダーを取ろうとして車の確認もせず、車道に出てしまった。
「あぶない・・・!」
俺はダッシュで車道へ出て理愛を引っ張ったが、目の前には車が来ていた。もうだめだ。
俺は理愛を抱きしめ、目を強くつむった。
「きゃーーーーーー!!」
瑠実子の悲鳴が俺の耳に残った。
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