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session4.寝静まる頃
イコウ
ね?
そう、涙声で、電話口で言うので、私は嘆かわしかった。
死ぬ事ばかり、心にもない事を言っている。
本当は死にたくない筈だ、そう私は思っていた。
静かにしてほしい…
「良く死にたくなる。」
その一言で精神的にもがれてしまう。
電話口でその悩みを吐露された、丸山は、良い加減にしろよ、と吐き気がした。
電話が毎日、かかって来る。そのたびに、訳の分からない話をされて、愚痴を聞かされる。
丸山は、早く新作を書けよ、と内面腹立たしい気持ちで、黙っていた。
丸山は、校正が主だった。作家のコンセプトなんかは、どうでもよかった。その作風に文句は付けず、兎に角、本として出版する。
丸山の仕事は言葉の漢字などの意味合いの間違いの訂正作業が主だった。辞書を片手に専門用語を下調べして、赤ペンで校正する。
作家としての思惑には一切介入しなかった。
それは、彼女が既に限界を迎えていたからだ。
彼女は死に向かっている。
作品としては、紛れもなく、未完になるナ…先がみえたので怖かった。
島清次郎という、石川の文豪がいたが、統合失調の痴呆と診断されていた。
その記念館に彼女と行った際、気づいたのだが、その事実は我々にとって、ヤバい事実だった。
彼女はガイダンスの方に、説明を受けていたが、ただ話を聞いていた。そこには、文豪とのゆかりの繋がり羅系図が書かれてあった。
名だたる文豪と島との関連性はその、図表を見ていて、興味深かったが、彼女が聴いた話は、僕はもう、忘れてしまった。彼女にとって、その話の何処に心が惹かれたのか、また明日話して貰おうと今日は、思った。
今も生きている事を有り難く思った。
死にたいという、清水朝霞には、残酷だが、ネタにはしないでもらいたい。
この話は、我々だけの想い出で、それを創作のネタにはしないで欲しいと切に願った。
島清次郎は、精神病院のサナトリウムで死んでしまったからだ。
その話を聞いたら、彼女は興味深そうな、形相の目で食いつき、その話をネタに、まさぐり出した。
彼女はもう、既に死にたいを超えて、将来的に死ぬ…ごくりと唾を呑んだ。
危ない…
その話なんか、しなければ良かった。
私はだから、校正しか関わりたくなかったのだ。
巻き込まれてしまう前に、担当から降りた。
彼女のがなり声が、私の脳裏にこびり付いて頭から離れ無くなって、私は不眠症になってしまったからだ。
私は精神を病み、島清次郎と同じ統合失調だった。
彼と同じ、痴呆になる前に、彼女と一緒に働くのは降りた。
もう死にたい!!!!!混乱し、取り乱し、私にあたり、罵っていた朝霞は、私が担当から降りると、憑き物が落ちた様に、コンセプト方針をガラリと変え、戦争問題と心の問題、そう言った、冷める様な、怖い話題を一切、売れる狙いで作らなくなった。その問題について考えるのを辞めた。
彼女の課題は、それとは全然違うテーマ、経済の話題に変わっていた。
それが、本当は、彼女が生きる糧だと彼女を知り尽くしていた私は知っていたからだ。
悲しいが、私丸山は今日付で、担当を降りた。
次の部署に移り、今は校正専門担当と言う肩書きも棄てて、積極的に、私の追いたいテーマ、日本経済の未来について、記者として走る日々に明け暮れている。
我々は仲違いしてはいない。また、いつか、彼女とは仕事を組む機会が来るだろう。
それ迄、清水朝霞とは暫しのお別れとなる。
また、改めて、向き合う迄、サヨナラだ。
日本の未来を、明日を見た方が、前向きだ。
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