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最後のもう一葉
「あの最後の1枚の葉が落ちた時、私は死ぬのよ……」
病院の一室。
窓から見える向かいの壁を伝う蔦の葉、その落葉を見ながら彼女はそう言う。
「そんな馬鹿な」
まだ若い青春の輝きにある彼女とは対照的に、こちらはもう頭上がすっかりさびしくなり、顔の色つやこそは良いが、あちこち萎びた男性であった。
二人はこの病院の中庭で出会った。
「何を描いてるんですか?」
最初に話しかけたのは彼女だった。
「ああ、あんまり暇なんでスケッチをね」
中庭のベンチに腰掛けてスケッチブックを抱えている男性は、描いた中庭の風景を見せる。
「うわあ、上手ですね」
二人の出会いはそんな感じだった。
それから色々と話をするうち、彼女が近々心臓の手術をするのだと男性は知った
「そうか、今は医療も技術も発達してるからね。あんたと同じ手術して元気になってった人を何人も見たよ」
男性は「長年の不摂生がたたった」と、本人が恥ずかしそうにとつぶやく慢性疾患の教育入院中だと話す。
「だから手術とかはないけど、まあそこそこ長引くらしい」
「そうなんですか」
そうして、性別も年齢も環境も病気も、何もかも違う二人がなんとなく仲良くなった。
「今回は検査入院だけど、一度退院して、そして、その時は手術……」
彼女はほろっと涙を流した。
「怖い、私、まだまだやりたいこともあるのに、死んでしまうことを考えたらとっても怖いの……」
声を殺して静かに泣く。
「何言ってんだ、言っただろう。わしは今まで何人もあんたと同じ手術して元気になった人を見てるってな。若い人から年寄りまで、みんなお世話になりましたあ! って元気に笑って退院していったって」
「そうなんですか?」
「ああ、だから保証する。あんたはまた元気になる。そしてなんでも叶えるんだ。勉強も、恋愛も、仕事も夢も、全部元気になったあんたのもんだよ」
「だったらいいな」
彼女は弱く、それでも男性の声に力づけられてにっこりと笑った。
検査入院を終えて退院する時、二人は連絡先を交換し、毎日のようにSNSで連絡を取り合った。
そして月日は経ち、今度こそ彼女は運命を変えるため、手術をするために病院へ戻ってきた。
「またお世話になります」
「おう、こっちこそな」
そしていよいよ明日は手術というその日、台風が病院のある地域を直撃すると天気予報が告げていた。
「毎日毎日ね、あの葉っぱが減っていくのを見てるの」
「そんなもん数えるんじゃないよ」
「ううん、私には分かるの。あの最後の葉っぱが落ちた時、私は死ぬの。手術は失敗するんだわ」
「オー・ヘンリーかよ」
男性はそう言って笑う。
そう、あの名作「最後の一葉」だ。
病気の少女のその言葉、最後の一葉を落ちさせないため、老人は嵐の中で壁に葉っぱの絵を描く。少女はその残った葉に励まされて元気になるが、葉っぱを描いた老人は冷たい風雨にさらされて肺炎になり、命を落としていたのだった。
「おじさんはそんな無茶したらいやよ?」
「そんなことしないよ。そんなことしなくても嬢ちゃんは元気になる」
そして手術の朝を迎える。
「葉っぱ、残ってる」
ストレッチャーで手術室へ向かう彼女の目に映る、ただ一枚残った葉っぱが励ましているように見えた。
手術は無事成功し、彼女はICUから個室を経て、無事に元の大部屋と戻ってきた。
「おじさん、どうしたんだろう……」
手術の朝から一度も姿を見ていない。
SNSの返事もない。
「まさか、あの葉っぱ……」
彼女の部屋から見える壁を伝う蔦の葉、
「やっぱり……」
それは描かれた葉っぱであった。
「おじさん、まさか……」
胸が苦しくなる。「最後の一葉」のようにあの葉を描いてくれたのはおじさん、そして、そして……
「ねえ、あのおじさん知りませんか」
医者も看護師も、その他のスタッフも、誰も彼もが、
「ああ、あの方は退院されました。今はほらこんな時期でしょ、だから面会にも来られないの。今までは病院内だったから比較的そういうのゆるかったから」
そう言うのだが、なんとなく何かを隠しているような、そんな気がした。
やがて彼女は術後の面会禁止期間を過ぎ、やっと外からの面会を許された。
そして……
「やあ」
「おじさん! え、どうしたの!」
ひょっこり現れた男性を見て、思わず彼女がそう言ったのは無理もない。
「ふさふさ……」
かなりさびしかったはずの男性の頭頂部は、今はグレーがかったふさふさの頭髪で覆われていた。
「いやあ、実はな」
聞いてみると、やはりあの葉っぱは男性が描いたものだった。
「しっかりカッパ着て、そんでスプレーでちゃちゃっと描いたから全然濡れもしなかった。ただなあ、一枚だけ描いた葉っぱ見てたらちょっとさびしくなってな」
それで教育入院を終えて退院した後、
「一番に行って来たんだよ」
「増毛に?」
「葉っぱが一枚でさびしいように、わしの髪だってさびしかろうと思ってな」
「よかったー!」
「あの壁にももっと仲間描いてやろうと思って、ほれ」
その手にはスプレーアートの道具がしっかりと握られている。
SNSの返事をしなかったのは「びっくりさせたかったから」だった。
それからその病院では、病の不安から最後の一葉に嘆く患者はいなくなったそうな。
めでたしめでたし。
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