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2話
童話では「王様の耳はロバの耳」と少年が地面の穴に向けて叫ぶが、有希子にとってはSNSがそうだった。
有希子はパートの帰りに電車に揺られていた。ジーンズに開襟シャツというラフな格好で、キャンバス地のトートバックを肩からぶら下げている。前髪は邪魔にならないように、ピンで留まったままになっていた。
帰宅ラッシュより少し早いせいかそれほど混んではいないが、シートはすべて埋まっている。仕方がないのでドア付近にもたれかかりながら、両手でスマホを持ち、何やら熱心に打ち込んでいた。
それはパートの同僚についてのSNSの書き込みだった。初期アイコンで背景もプロフィールも何もないそのアカウントが、有希子の唯一の愚痴吐き場なのだ。そして今日は、有希子より少し若い彼女の、結婚三年目で子供がいない有希子への発言にどうにもイライラしてしまったのだ。
「若い時に産んだ方がいいですよ。だって成人したときおばあちゃんとか嫌じゃないですか」
水分補給をしようと休憩室に入ると、ちょうど昼休憩から帰ってきた彼女と鉢合わせて言われたのがこの言葉だった。ニヤリと口角を上げた優越感に満ちたその顔は、人を貶し慣れた嫌な雰囲気を漂わせていた。
すでに三人の子供を産んだ彼女はそれしか自慢できることがないのか、それとも新人いじめの格好の材料なのか、口を開けば子供の話を繰り返す。それも子供という存在がいかに素晴らしいか、ひいては自分の子育ての自慢話しかしない。もしかしたら有希子が不妊症なのかと勘違いしてるのでは、と思うこともしばしばだった。
有希子たちに子供がいないのは、五年くらいは夫婦の時間を大切にしたいと二人の意見が一致したからに他ならない。もし子供ができないのならできないで、それでもいいと思っていた。しかしそれでも、悪意の言葉というのはどうもストレスになる。
『人の家庭まで口出ししないでよ。詮索魔』
『せいぜい一人で少子化をくい留めてる気になってください。こっちに押し付けないで』
『気に入らないのか知らないけどほっといてくれない?』
そんなようなことをいくつか投稿していると、もうすぐ最寄りの駅に着くという車内アナウンスが流れた。有希子は降りる準備をしようと、スマホをトートバックのポケットの中に滑り込ませる。そして夕飯のメニューを考えていないことに、少し憂鬱になった。
「お肉、安くなってるといいんだけど」
口を開けば肉が食べたいという孝夫の顔を思い出し、少しだけため息が漏れてしまった。
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