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1話
パリンという音もなく茶碗が割れ、有希子はまたかと一人ため息をついた。
「はぁ……」
まだ慣れないキッチンの流しで、手の中の茶碗を見つめる。幸い破片は出ず、真っ二つにするように縦に綺麗に割れていた。その不自然さに有希子は思わず髪を掻き上げる。肩口まで伸びたその髪は先日美容院で染めてもらったばかりで、その手触りの良さに少しだけ心が落ち着いた。
手を切らないように注意しながら、割れ物のゴミ出しは何曜日だったかと思いだしながら有希子はビニールの袋にそれを入れる。オレンジのチェック柄のエプロンには両脇にレースのポケットが付いていて、スマホを取り出そうと手を入れると玄関から「ただいま」という孝夫の声が聞こえてきた。
「なんだ、それ?」
ネクタイをほどきながら、孝夫がリビングへと入ってくる。今日は暑かったのか、青いシャツの首筋や背中の色が濃くなっていた。中肉中背で平々凡々という印象の孝夫は世のサラリーマンたちと同じように、今日も一日仕事を頑張ってきたのだと有希子は労いを込めて「おかえりなさい」と返した。
「またお茶碗が割れちゃったの」
「安物なんか使ってるからだろ」
そんな言葉を残しながら、孝夫は洗面所へと消えていく。その背中に有希子は何か言おうと口を開いたが、結局やめてしまった。確かに間に合わせのために百均で購入した茶碗だったが、水玉の和柄が気に入っていたのだ。しかしそう言ってみたところで、あしらわれるだけだろう。しかし有希子の胸には、何か嫌なモヤモヤのようなものがわだかまっていた。
「でも、もう三つ目よ。それも私のばっかり。引っ越してきてから立て続けになんて、やっぱりおかしいよ」
先月、孝夫の転勤により二人は千葉へと引っ越してきた。子供もいないということで、とりあえず2LDKの今のマンションへと引っ越してきたのだった。社宅という手もあったのだが、人付き合いの苦手な有希子が嫌だと反対したのだ。
「もしかしてここ、事故物件だったり……」
「考えすぎだって」
洗面所から帰ってきた孝夫は、もうスウェットに着替えていた。有希子が詰め寄ろうと振り返ると、その後ろに客人がいたことに初めて気が付く。
「事故物件が、なんですって?」
「あ、三宅さん。来てたんですか」
「すいません、お邪魔します」
三宅翔太のすらっとした高身長に爽やかなスマイルは、夏の蒸し暑さを感じさせない清々しさがある。そして薄い茶色の髪がどこか王子様のようなイメージを起こさせた。スプライト柄のシャツがよく似合っていて、会社ではさぞ女の子にモテるのだろうなというのが容易に想像がつく。
三宅は、転勤してきてからよくしてくれている同僚だった。飲みに行ったり、孝夫が有希子たちの家に呼んだり、二人でよく連れ立っている。友人作りの苦手な有希子からすれば羨ましいと思えなくもないはずなのだが、この三宅という男に有希子は言い知れぬ警戒心を抱いていた。
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