遺言状

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 彼の瞳が翳る。  この若さで突然、親を亡くし大きな家を継いだ彼の心労は相当なものだろう。 「……大丈夫ですか」  思わず口にして、失礼だったかもしれないと後悔した。  彼は雇用主。私は雇われの身。  気を悪くしただろう。 「すみません。つい」 「構いませんよ。ありがとうございます」  表情。声の抑揚。  怒りは感じられなかった。  代わりにあったのは驚き。  そして安堵。 「あなたなら、妹も心を許すかもしれない」 「……そうでしょうか」 「とにかく会ってください」  使用人らしき女性に連れられて少女が部屋に入って来た。  先程、2階の窓から見ていた日本人形のような少女。手には古いクマのぬいぐるみを抱えている。  私の方を見ようとしない。怖がられているのかもしれない。 「妹の紗夜(さや)です」 「紗夜お嬢様、とお呼びすればよろしいですか?」 「名前だけでいいですよ」 「では、紗夜様と」 「紗夜」  兄に呼ばれた彼女の表情が強ばった。  緊張によるものか。 「こちらは及川さん。今日からお前の教育係になる方だ。ご挨拶を」  一瞬だけ私の方を見て、彼女は小さくお辞儀した。  やはり人見知りのようだ。 「……可愛い」  そう、口にした彼は立ち上がって妹に駆け寄る。 「紗夜は可愛すぎる!そう思いませんか及川さん!」  激しく同意を求められ戸惑った。  確かに彼女は可愛らしい。  しかし、ここで「可愛いですね」と言ったら妙な誤解をされるかもしれない。  幼女を愛でる趣味があるのではないか、と。  この歳で独り身なのも説得力を持たせてしまい、ますます怪しまれそうだ。 「やめてくださいお兄さま」  思いの外はっきりした口調で彼女が兄を諌めた。 「及川さんが困っています」 「……あぁ、そうだね。すみません及川さん」 「……いえ。仲の良いご兄妹で、素敵だと思います」  賢い少女だ。  彼女に問題があるようには思えない。  今までの教育係が1日で辞めた理由が見えなかった。  使用人の男性が私を案内したのは、館と同じ敷地に建つ小さな日本家屋。  住み込みの使用人の寮として使っているらしい。  四畳半の和室が私の新しい住まいとなった。  独り身で荷物も無い。  十分な広さだ。  窓は北側にひとつ。昼間でも薄暗く明かりが必要だ。  窓を開け換気していると、早速呼び出された。  慌てて館に戻る。
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