遺言状

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 寮から全力で走り、駆け込んだ早朝の館の中は騒然としていた。  近くに居た使用人の青年を捕まえて詳しい事情を聞く。  夜勤の使用人が物音を聞いた。  それは彼女の部屋の方から聞こえたと言う。  扉をノックしても返答が無い。  恐る恐る部屋に入ると真冬なのに窓が開いていて、彼女の姿は無かった。  誤って転落したのかと思い窓から外を見た。  薄暗くてよく分からなかったが、庭を走る人影が見えた。  彼女の部屋は2階の角。張り出した1階部分の屋根を伝えば外からも出入り出来る。  油断していた。私としたことが。  ……そうだ。彼はどうしている。  大切な妹が姿を消して、正気では居られないかもしれない。  館の西側にある彼の部屋へ向かう。  その一角は不気味なくらい静まり返っていた。 「直哉様。いらっしゃいますか」  返事は無い。気配は有る。 「失礼します」  荒れ果てた室内。窓際に置かれたベッドの上に彼は居た。  寝間着姿のまま膝を抱えて俯いている。 「直哉様。ご指示を」  彼は一条家の主。彼の指示が無ければ皆も右往左往することしか出来ない。 「警察に連絡は?」 「……してない」 「犯人に心当たりは」 「……わからないよ」  泣きそうな声。まだ年若い彼だ。無理もない。 「……僕のせいだ」 「今は自分を責めている場合ではありません」 「紗夜が居なくなればいいと思ったから……!」  驚いた。彼は妹を溺愛している。  あれは演技では無かった。 「どうしよう……紗夜に何かあったら……」 「あなたのせいではありません」 「遺産なんて要らない……紗夜が居てくれれば……」  ……そうか。彼はこの若さで莫大な遺産を手にしている。  欲に目が眩み、妹の分まで欲しくなったのだろう。 「落ち着いてください」 「無理だよ!僕のせいで紗夜が居なくなったのに!」 「あなたのせいではない。そして相手の不幸を願ったとしても、現実にはなりません。あなたは悔いている。それで十分です」  彼の顔から険しさが消えた。誰かに許されたかったのだろう。 「僕は……紗夜の本当の兄じゃない」 「そうなのですか?」 「僕は養子で。紗夜がこの家の、本当の子供なんだ」  彼の境遇を思うと胸が痛い。 「父の遺言状には……財産は紗夜と、その夫となる者に譲るって」 「そんなことが……」  それはあまりに惨い。彼の心が歪むのも仕方ない。  周りの者も必死に彼女を手に入れようとするだろう。
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