2人が本棚に入れています
本棚に追加
鳳蝶の瞬く影が窓の外のコンクリートに落ちている。
ここ数年、部屋に閉じ籠ってばかりの日々を過ごしてきた。
もともと出不精の私だったけれど、コロナウィルスの蔓延は私のそれに更に拍車をかけた。
大学入学と同時に上京して一人暮らしを始めたが、授業はリモート講義、サークルにも入れず、友人ができないまま三年生が終わる春を迎えつつある。
鳳蝶の姿はカーテンでよく見えないのに、影だけがひらひらと揺れ動く。
私は近寄り、窓を開けた。
「あ、どうも」
隣のベランダで植木鉢に水をやる彼と目が合い、私は軽く会釈した。
「どうも」
彼は穏やかに微笑んだ。
同じ大学に通う一学年上の彼とは、たまにベランダで顔を合わせることがあった。
「あ、ねえ、あんず、すき?」
彼は思い出したように言った。
「あんずですか? あまり食べたことないけど、たぶん好きです」
「そう。よかった。ちょっと待っていて」
彼はカタンと音を立てて如雨露を置き、部屋の中に入っていく。
「これ、よかったら」
しばらくして戻ってきた彼は、ビニール袋をこちらへと手渡した。
袋の中を覗き込むと、橙色の丸い実が五つ、六つ入っている。
「実家から送られてきたんだけど、一人で食べ切れないから」
「美味しそう。ありがとうございます」
「俺も一個食べよ」
彼は手に持っていたあんずを一口かじった。
水を得たように彼は生き生きとした表情を見せる。
それは植物が花を咲かせるような、蛹が羽化して蝶になるような自然の美しさを感じさせた。
あまりに美味しそうで、私もあんずを取り出して、一口かじった。
みずみずしくて、甘酸っぱい。生きた心地が体中に溢れていく。
「さっきね、植木の蛹が羽化したんだ」
彼は言った。
「長く殻に籠もっていた分、きっとどこまでも遠くまで羽ばたいていける」
蛹のままどろどろに溶けてしまいそうな私の心を優しく包み込んだ。
先輩は遠くを見つめながら、優しく微笑んでいる。
視線の先を追うと、鳳蝶が空高く舞っていた。
END
最初のコメントを投稿しよう!