絵本を買って

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「絵本って、どんな物を皆さん買っていかれるんです?」  僕の問いかけに、店主は一冊の絵本を手にとってみせてくれた。 「実は絵本って定番が強い、とても息の長い商品なんです。同じものが版を重ねながら何十年も細々と売れ続けているんですよ」 「へぇ……いいですね」  新型車の売上にピリピリする業界にいる身としては、ある意味羨ましいというか。……何で僕は自動車メーカーなんかに勤めようと思ったんだろう。 「親御さんが子どもの頃に読んで貰った本を『自分の子どもにも読み聞かせてあげたい』とお買い求めになられるんです」 「なるほど……繋がる親子の愛ですか。いいですね、そういうのって」  口先ばかりでそう愛想を言う。……本音とは別の答えを語れるのは社会人として重要なテクニックのひとつだろう。  大事にされたのは妹ばかりだった。我儘勝手な好き放題で、それでも頭がよくって進学校に通っていた妹は母親の自慢だった。他所様から「ええ! あの学校に?! 賢いんですねぇ!」と驚かれるのが、何よりも嬉しかったらしい。対して出来が悪い僕は「どうしてお前は」と愚痴ばかり聞かされた。  いや、愚痴だけではなかった。「妹が言っているから」という理由で、どれだけ僕が犠牲を受けることになったか。  『あの子は女の子なんやで。大事にしたらんと』とか言われても、同じ兄妹でこうも待遇に差があるのかと思い知らされたものだった。  常に妹と母親の都合に振り回される日々だった。それが嫌で、嫌で。実の子どもでありながら下僕か召使いのように扱われ、最後はエスカレートしてまるで奴隷のような待遇だった。怒鳴られ、何をしてもしなくても認められることはなかった。  『あれをするな』『これをしろ』と、全てが自分の思い込みと気分と都合で決めつけてきた。『妹が』『私が』『お前はがどうなろうと知ったことじゃない』。僕の身の回りのものは全て母親が選んでいた。僕に選ばせるのが嫌だったらしい。服も湯呑さえも、全部『押し付け』だった。  母親が『もう台所に立つのはやめた』と宣言して以来、食事は僕の仕事になった。妹は『疲れているから』という理由で参加はしない。  だから学校から帰宅してすぐに台所に立ち、食事が終わって後片付けをしてから学校の宿題とレポートにかかっていた。だからその頃は12時より前に寝たことはなかった。  それでも感謝の言葉はひとこともなかった。  『不味い』『量が少ない』『おかずが貧相』。口から出てくるのは不満ばかりだった。それを黙って聞き流すだけの日々。心が壊れるのに、そう時間は掛からなかった。  ……結局、死ぬまでそれは変わることがなかった。  葬儀が終わってから、僕は家を出た。  そうして安いアパートで一人暮らしを始めた。  『この身の回りの全てが、自分の決断したもので溢れている』という実感に、涙が出たものだった。  ……あんな親にだけはなるまい。決して。
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