第3話 ヘレナの期待(アベルside)

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第3話 ヘレナの期待(アベルside)

 幽霊のジゼルと出会い、青色の不思議なお茶を飲んだ日から、俺は毎晩のようにオルタナの森のあばら家に通うようになった。  ジゼルのおしゃべりをたくさん聞いて、少しずつ彼女のことを理解した。  幽霊の体では物には触ることができても、生きているものには触れることができないそうだ。  鳥も動物も、そして俺の手も。  彼女の体には触れることができず、ただすり抜けて行くだけ。  それと、ジゼルは食べ物も飲み物も口にしない。いつも俺がお茶を飲む姿を、頬杖を付いてニコニコしながら見つめている。  歌を歌うのが好きらしく、俺の知らない異国の歌を口ずさみながら、月を見上げてぼんやり考えごとをしている日もあった。  最近になって、彼女の命を狙う者があばら家周辺に現れるようになったと聞いた。剣や弓矢を持った屈強な騎士たちが代わる代わる襲ってくるので、ジゼルは毎晩怖い思いをしていたそうだ。  このことに関しては俺にも心当たりがあり過ぎて、何も言うことができなかった。 (俺だって、オルタナの森に入ったのは幽霊退治のためだったのだから……)  初めて幽霊狩りの騎士たちが現れた日、ジゼルはあばら家の近くに落ちていた木片に火をつけて、彼らを脅したそうだ。そこで一部の騎士達は、恐れをなして引き返したらしい。  しかし、幽霊狩りの襲来はその日だけにおさまらず、毎晩のように続いた。  ジゼルは昼の間に、森に落ちていた石をかき集め、幽霊狩りの騎士が落としていった武器を拾って歩いた。次の襲撃に備えて、自衛しようとしたのだ。 (こんなところでたった一人、怖い思いをして過ごしていたとは)  このまま幽霊として過ごすのではなく、もう一度人間として生まれ変わるという道は、彼女にはないのだろうか。  もしも俺が彼女の核を奪えば、幽霊ジゼルはこの森から消えていなくなるだろう。そうすれば、また生まれ変わることができるだろうか。  こんなところで騎士たちの襲撃を恐れて暮らすよりも、新しく生まれ変わって幸せになって欲しい。  毎晩彼女と一緒に過ごすうちに情が湧いてしまったのか、俺は彼女が生まれ変わって幸せになることを願うようになっていた。  ジゼルから(サファイア)を奪えば、ジゼルにとっても俺にとっても、良い結果になるはずだ。  ジゼルは生まれ変わって、人間として新しい人生を始める。  そして俺は彼女のサファイアを婚約指輪にして、ヘレナ嬢にプロポーズする。  それでいいじゃないか。  ……それじゃ駄目なのか? ◇ 「アベル様!」 「……ヘレナ嬢」  今夜もまた懲りずにオルタナの森へ向かうために馬の準備をしていた俺の前に、憧れの存在であるヘレナ嬢が現れた。 「アベル様。私のために毎晩オルタナの森の幽霊退治に出ていらっしゃると聞きました」 「はい」  それ以上何と返したら良いか分からず黙り込む俺の前で、ヘレナ嬢も目を伏せたまましばらく沈黙する。 「……あの、私」 「どうしました、ヘレナ嬢」 「私のことは、ヘレナとお呼びください。私、アベル様がオルタナの幽霊からサファイアを取ってきてくださると信じて待っています」 「ヘレナ嬢……いえ、ヘレナ。それはどう言う……」 「言葉の通りです。他の誰でもない、アベル様がサファイアを手にされるのを望んでいます」  そう言うと、ヘレナは恥ずかしそうに顔を隠しながら小走りで去った。彼女の背中を見ながら、俺は唇を歪める。  嬉しい。  嬉しい……はずだ。  憧れのヘレナ・ノールズ嬢からの、「待っている」という言葉。  毎日の訓練や任務が終わってから、疲れた体でわざわざ森のあばら家に通っているのは、なんのためだ?  ヘレナに、プロポーズをするためだ。  その当のヘレナから、「サファイアの指輪を待っている」と言われたのだ。これはヘレナが、俺からのプロポーズを待っているという意味だ。 (それなのになぜ、俺の心はこんなに冷えている?)  行き場のないモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、俺は今日も幽霊ジゼルのあばら家に向かった。  日が落ちる頃にオルタナの森に入ったが、ほんのりとサファイア色に包まれているその家はすぐに見つけられる。あたりが闇に包まれる夜になっても、サファイアの光が目印になってくれる。  まるで俺を、ジゼルの元に引き寄せようとするように。 「アベル様、いらっしゃいませ!」  扉を開けて、満面の笑みのジゼルが飛び出してきた。  今日はなんだか、いつもと雰囲気が違う。 「あ、頭に……」 「ふふ、気付きましたか? 自分で作ってみたの!」  美しい金色の髪の上に、青や白の小花の花冠がちょこんとのっている。  湖のほとりに咲いている花を摘んで、花冠を作ったらしい。  頬を染めて照れる彼女は、とても初心で可愛らしい。彼女が幽霊になる前、まだ人として生きていた頃は、こうして無邪気に花冠を作って幸せに過ごしていたのだろうか。 「アベル様、どうかしら?」  不安そうにこちらをうかがう彼女の顔には、「可愛いと言って欲しい!」とハッキリと書いてある。その表情があまりに分かりやすくて、俺は堪えきれずにクスクスと笑ってしまった。 「ジゼル、すごく可愛いよ。ドレスも花の色に合わせたらもっと可愛らしいんじゃないかな。このサファイア色のオーラに良く似合うドレスを着てみたらどうだろう」 「えっ、そう? ちょっと考えてみます」  いつものようにテーブルに着くと、彼女はいそいそと、いつものティーカップを一人分運んで来る。 「はい、どうぞ。今日のお茶は特別なんです」 「特別? いつもの青いお茶ではないのか?」 「そうなの。見て!」  自慢気に彼女がカップの中を指差した。誘われるようにカップの中を覗き込むと、何やら白い塊がお茶に浮かんでいる。 「これは?」 「しばらく見ていて」  彼女に言われた通りじっとティーカップの中を覗き込んでいると、中にある白い塊がゆっくりと開いていく。 「これは、花……?」 「そうなの! これは、お花のお茶なんです。お湯に入れてしばらく待つとゆっくりと花が開くのが素敵でしょう? 香りもとても良いんですよ」 「飲むのがもったいないな」  俺がカップからお茶を飲むのを、いつものように頬杖をついて見守るジゼル。  彼女の胸のあたりからは、サファイア色の光が強く漏れ出している。 (もしも彼女が幽霊じゃなかったら……)  色んな思いが頭をよぎり、俺はカップを置いて首をブンブンと横に振った。 「どうしました? 美味しくなかったでしょうか?」 「いや、美味しいし香りもいいよ。そう言えばジゼルは匂いを感じることはできるのか?」  ジゼルは俺の質問に一瞬きょとんとした顔で動きを止めた。  そして何故か、眉根を下げて下を向く。 「私は、臭いは分からないんです……」 「そうか」  それ以上は何も言えなかった。  こんなに良い花の香りも、彼女には分からないのだ。  やっぱり、彼女は幽霊なんだ。  彼女の幸せはどこにあるんだろう。  早く生まれ変わって欲しいと願う気持ちと、ずっとこのまま彼女と共に過ごしたいという気持ちが、俺の心の中で戦っていた。
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