8月31日

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8月31日

 8月31日、和夫が目を覚ました時にはもう埼玉だ。田園風景はもう見えない。都会の風景が広がっている。東京はもう近い。和子はすでに荷物をまとめて上野で降りる準備をしている。  気が付けば、もう明日から2学期だ。明日から新しい自分のスタートラインだ。いい子になり、36年後にここに胸を張ってここに戻ってくれるように。  和夫はベッドから降り、通路に出てきた。周りでは乗客が荷物をまとめている。彼らも終点の上野で降りる予定だろうか?  和夫はシゲの写真を見た。この夏の事を絶対忘れない。この夏で自分は大きくなれた。ありがとう。だから、安心して天国に行ってもいいよ。 「いよいよ明日だね」  和夫は振り向いた。そこには和子がいる。和子はキャリーケースを持っている。キャリーケースの上には和夫のボストンバッグがある。  6時前、夜行急行は終点の上野に着いた。いよいよ東京に帰ってきた。久しぶりに俊介に会える。この夏休みでどうなったんだろう。会うのが楽しみだ。  和夫は上野駅に降り立つと、大きく息を吸い込んだ。久しぶりに吸う東京の空気だ。とても懐かしい。でも、秋平に比べて新鮮じゃないな。  上野に降り立った2人は地下鉄のホームに向かった。上野駅には朝から多くの人が行き交う。これまた懐かしい。秋平と違って、雑踏が大きい。これがいつも見てきた都会の風景だけど、自分はそれが気に入らなくなってきた。どうしてだろう。  2人は地下鉄のホームにやって来た。多くの人がホームで電車を待っている。森琴駅よりずっと多い。ここは廃線とは無縁だ。廃線になる吉岡線と全然違う。  和夫は地下鉄の車内でもシゲと過ごした夏休みを思い出していた。もうこんな夏は体験できないだろう。そして、この夏を忘れないだろう。  2人は最寄り駅の出口から出てきた。見慣れた風景だけど、和夫はどこか不慣れな気分になった。ここでも秋平が恋しいと思われる。  歩いて10分ぐらい、2人は自宅に戻ってきた。父はまだ出勤前のようで、車がある。これまた懐かしい風景だ。 「ただいま!」  和夫は家に入った。東京にいた頃は毎日のようにここを行き来した。今日からまたここを行き来する日々が始まる。 「おかえりー。明日から2学期だね」  やって来たのは俊介だ。やはり出勤前で、朝食を作っているようだ。いつもは和子が作っているが、和子が出かけているため俊介が朝食を作らなければならない。 「うん」 「頑張らなくっちゃね」  俊介は和夫の肩を叩いた。和夫は嬉しくなった。俊介も期待している。俊介の期待に応えないと。 「和ちゃん、帰ったんだ」  誰かの声に気付き、和夫は振り向いた。そこには優太と智也がいる。帰ってきたのを知って、ここに来たようだ。まさかここで会えるとは。 「ああ」 「2学期からまた頑張ろうね」  智也は笑みを浮かべた。1学期まではいじめていたのに。まるでいじめられていなかったかのような、昔から友達のような態度だ。 「和ちゃん、久々だな」  和夫は驚いた。担任の先生もやって来た。まさか担任の先生もやってくるとは。 「先生」  先制は頭を撫でた。この夏休みでよく気を取り戻してくれた。これで2学期は安心して和夫を見ていられる。 「十分反省しただろう?」 「うん」  和夫は元気に答えた。この夏で気を取り戻した。だけど、それ以上に忘れられない夏になった。 「いい子になってくれるな?」 「うん。おじいちゃんと約束したんだぞ。いい子になるから安心してって」  和夫は目がときめいている。シゲの事、秋平の事を思い出すだけで、なぜか明るくなってしまう。それほど忘れられない夏になった。 「そっか。それはよかった」 「和夫、頑張れよ」  優太も笑みを浮かべた。優太も応援している。優太の期待に応えないと。  その時、電話が鳴った。それに気づいた和子は受話器を取った。こんな早朝に誰からだろう。ひょっとして、シゲの身に何かあったんだろうか? いや、そんなはずがない。昨日あんなに元気だったシゲが倒れるわけがない。 「もしもし」 「和子さんですか? 私、シゲさんの家の向かいに住んでいるスエですが、シゲさん、昨夜家で倒れて入院したの」  電話の声の主はスエだ。シゲを病院に送り届けたスエは病院の公衆電話を使ってシゲの状況を話しているようだ。 「そうですか・・・」  その声と共に電話が切れた。和子は呆然となった。いつかは来るだろうと思ったけど、こんなに突然入院とは。 「お母さん・・・」  和子は振り向いた。そこには和夫がいる。その電話を聞いていたようだ。まさか、シゲに何かあったんだろうか? 「どうしたの?」 「いや、何かあったのかなと思って」  和子は戸惑っている。シゲが入院したなんて、和夫に言ってはダメだ。気にせず前を向いて今を生きてほしい。 「そう・・・」  だが、和子の様子から和夫は予想ができた。シゲが入院したんだろうと。もう先が長くないんだろうな。冬休みは会えない可能性が高いようだ。  その夜、和夫は東京の夜景を見ていた。明日から9月だ。2学期が始まる。それが自分のスタートラインだ。  東京の夜景はいつ見ても美しい。だけど、楽しくない。秋平が恋しいからだろう。だけど、もう帰れない。シゲは倒れてしまった。もう秋平に来る事はないだろう。これから東京でさらに大きくなって、36年後に胸を張って戻ってこれるようにしないと。 「どうしたの?」  和夫は振り向いた。そこには和子がいる。和子は嬉しそうな表情だ。この夏休みで気を取り戻した。これからの和夫が楽しみだ。 「おじいちゃん、どんな気持ちで僕を見守っているんだろう」 「そうだね」  すると、和子は不安げな表情になった。和夫はその表情が気になった。やはりシゲの身に何かがあったんだろう。だが、あまりその事は言わないでおこう。シゲの病気の事を考えずに、前を向いて歩いていかなければ。きっと空からシゲが見守っていると信じながら。 「明日から学校頑張ろうね」 「うん」  和夫は笑みを浮かべた。自信を持って2学期に臨もう。シゲも、両親も、先生も、みんな期待している。その期待に応えなければ。  その頃、病室ではシゲのこん睡状態が続いていた。その横ではスエが椅子に座っている。まだ生きているが、いつ死んでもおかしくない状態だ。  その時、シゲは夢を見ていた。そこは夏の森琴駅だ。森琴駅には和夫と両親、スエや鈴木がいる。こんなにもホームに人がいるのは珍しい。  しばらく待っていると、10年ぐらい前に吉岡線から姿を消したSLがやって来た。2両の客車を牽いている。いつの時代だろう。シゲは首をかしげた。  SL列車は森琴駅に着いた。客車の中には妻や弟がいる。もう死んでいるのに、どうしてここに来たんだろう。ひょっとして、迎えに来たんだろうか? 「シゲさん!」 「シゲ!」  2人は誘っている。シゲは戸惑った。本当に行っていいんだろうか? もっと生きたいのに。 「行ってきなさいよ」 「お父さん!」  みんなも誘っている。それを見て、シゲは客車に乗り込んだ。車内は木目調で木の香りがする。とても懐かしい匂いだ。  乗り込むと、すぐに汽笛が鳴った。出発だ。列車はゆっくりと森琴駅を後にした。和夫と両親、スエや鈴木がその様子を見ている。シゲはデッキからその様子を見ている。  列車はホームを離れると、銀河鉄道のように空へ昇っていった。シゲはその様子を見ている。その時、シゲは気づいた。この列車に乗って天国に行くようだ。近い将来、天国から和夫を見守る事になるだろう。だから、寂しい顔をせず、前を向いてこれからの人生を頑張ってほしいな。  列車は徐々に高度を上げていく。生まれ育った森琴村や秋平の集落がだんだん小さくなっていく。シゲはデッキから見下ろした。森琴村とも、秋平ともお別れだ。シゲは少し泣けてきた。これからは天国から和夫の成長を見守ろう。  シゲが天国に旅立ったのは、それからおよそ1ヶ月後の事だった。両親をはじめ、多くの人が泣いていたが、和夫は硬い表情だったという。必ず成長して、再び秋平に帰る。そして、タイムカプセルを掘り起こすんだ。
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